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sausalito

Author:sausalito
成田は新しいものと旧いものが混在する魅力的な街。歴史を秘めた神社やお寺。遠い昔から刻まれてきた人々の暮らし。そして世界中の航空機が離着陸する国際空港。そんな成田とその近郊の風物を、寺社を中心に紹介して行きます。

■ ■ ■

多くの、実に多くのお寺が、明治初期の神仏分離と廃仏毀釈によって消えて行きました。境内に辛うじて残った石仏は、首を落とされ、顔を削られて風雨に晒されています。神社もまた、過疎化による氏子の減少や、若者の神道への無関心から、祭事もままならなくなっています。お寺や神社の荒廃は、古より日本人の精神文化の土台となってきたものの荒廃に繋がっているような気がします。   石仏や石神の風化は止められないにしても、せめて記録に留めておきたい・・・、そんな気持ちから素人が無謀にも立ち上げたブログです。写真も解説も稚拙ですが、良い意味でも、悪い意味でも、かつての日本人の心を育んできた風景に想いを寄せていただくきっかけになれば幸いです。                             このブログでは、引用する著作物や碑文の文章について、漢字や文法的に疑問がある部分があってもそのまま記載しています。     また、大正以前の年号については漢数字でカッコ内に西暦を記すことにしています。         なお、神社仏閣に関する記事中には、用語等の間違いがあると思います。研究者ではない素人故の間違いと笑って済ませていただきたいのですが、できればご指摘いただけると助かります。また、コメントも遠慮なくいただきたいと思います。

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【訂】2014/05/05 の「三里塚街道を往く(その弐)」中の「お不動様」とした石仏は「青面金剛」の間違いでした。  【訂】06/03 鳥居に架かる額を「額束」と書きましたが、「神額」の間違い。額束とは、鳥居の上部の横材とその下の貫(ぬき)の中央に入れる束のことで、そこに掲げられた額は「神額」です。 →15/11/21「遥か印旛沼を望む、下方の「浅間神社」”額束には「麻賀多神社」とありました。”  【指】16/02/18 “1440年あまり”は“440年あまり”の間違い。(編集済み)→『喧騒と静寂の中で~二つの「土師(はじ)神社」』  【訂】08/19 “420年あまり前”は計算間違い。“340年あまり前”が正。 →『ちょっとしたスポット~北羽鳥の「大鷲神社」』  【追】08/05 「勧行院」は院号で寺号は「薬王寺」。 →「これも時の流れか…大竹の勧行院」  【追】07/09 「こま木山道」石柱前の墓地は、もともと行き倒れの旅人を葬った「六部塚」の場所 →「松崎街道・なりたみち」を歩く(2)  【訂】07/06 「ドウロクジン」(正)道陸神で道祖神と同義 (誤)合成語または訛り →「松崎街道・なりたみち」を歩く(1)  【指】07/04 成田山梵鐘の設置年 (正)昭和43年 (誤)昭和46年 →三重塔、一切経堂そして鐘楼  【指】5/31 掲載写真の重複 同じ祠の写真を異なる祠として掲載  →ご祭神は石長姫(?)~赤荻の稲荷神社 

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三里塚街道を往く (その壱 寺台から法華塚まで)
今回は個人的に馴染みの深い三里塚街道を3回に分けて歩きます。
寺台から三里塚交差点までが通称「三里塚街道」ですが、
まずは寺台から法華塚へと向かいます。


三里塚街道ー73

起点の寺台は国道51号線と、空港からの国道295号線が408号へと続く
立体交差点の近辺の地名です。


三里塚街道ー75

その昔はここに寺台河岸と呼ばれる船着き場があり、
荷物や人の往来が多く、それは賑やかなところだったようです。

街道の起点から51号線を渡ったところにある「あづまばし」から
往時をしのばせるものがないかと見渡しましたが、
それらしきものは見当たりません。


三里塚街道ー76

下流を見ても、上流を見ても・・・

川幅は狭く、水量も少なく、とても舟が往き来できたとは思えません。
時間は自然を大きく変えてしまいます。
人の営みによっても自然は変えられてしまいます。


三里塚街道ー87

ともかく、三里塚街道を三里塚に向かって進みましょう。


三里塚街道ー77
三里塚街道ー78

特に目につくものはなく、右に左にと急カーブが続くだけです。
このあたりは片道一車線の道路で歩道はありません。


三里塚街道ー80

道端に小さな祠を見つけましたが、文字は書いてあったのかなかったのか、
表面が風化して判別できません。


三里塚街道-83
三里塚街道-85

2キロ近く進むと、正覚山智耕院の看板が目に留まりました。
近づいてみると大きな建物ですが、どうやら斎場のようです。
通りの反対側には東関東自動車道をまたぐ橋をはさんで、
「八富成田斎場」という大きな施設があるのですが、
斎場が並んでいる景色はちょっと不思議な感じです。

平成18年開山ということで新しい建物ですが、開祖の像が街道からも見えます。


三里塚街道ー9

さらに6~700メートル進むと法華塚のバス停があり、
その少し先の左側にひょろっと高い石碑が立っています。
法華塚の石碑です。
5メートルはあるでしょうか、「南無妙法蓮華経」と刻まれたこの石碑は、
曲がりくねった街道で突然視界に飛び込んできます。


三里塚街道ー7
三里塚街道ー8

私は四十年ほど前、この場所を毎日のようにバスで通っていたのですが、
「法華塚」のバス停はただ何となく通過する場所でしかなく、
この石碑にはついぞ気付くことはありませんでした。

「寶歴十二年 滑川村 願主 冨澤五郎兵衛」と裏面に刻まれた
この石碑の立つ場所は、日親上人が法華経を説いた場所と伝えられています。

またこの塚は、中村檀林で知られる多古の日本寺(にちほんじ)を起点とする
江戸への道程の四里目、三里塚の次の塚です。


三里塚街道ー10

その日親上人をここに招いたのは、近くにある妙福寺の僧侶だったと言われています。
妙福寺は“法華経を信じない人からの施しを受けず、法華経の僧侶、信者以外には
施しをしない”という不受不施派のお寺だと聞きました。
宗教には疎い私ですが、本堂をはじめ境内がすっきりした雰囲気で、
何んとなく納得してしまいます。
どこにも賽銭箱が見当たらないのは、その教義ゆえなのでしょうか?


三里塚街道ー13

寺の裏手にある墓地の一角に不思議な塚を見つけました。
近づくと小さなお地蔵さまの側面に、
「先祖代々有無両塚 妙福寺総壇方中之諸霊」と彫られています。
弔う家系が途絶えて無縁となった墓石を集めてあるようです。

 
三里塚街道ー14

文化、文政、天保、天明、弘化、嘉永などの年号が刻まれています。
新しいものでは明治44年、昭和14年というものもありました。


三里塚街道ー16

市川の中山法華経寺の末寺だというこのお寺の静かな境内が、
私を歓迎していないような気がするのは、
不信心者だからでしょうか。


三里塚街道ー11

妙福寺は先ほどの法華塚の脇を左に入り、
直ぐにある小さな十字路に立つと右側に本堂が見えます。
法華塚からは徒歩5分程度です。


三里塚街道ー67

法華塚から来た道をさらに進むと、側鷹神社(そばたかじんじゃ)があります。
ご祭神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、大同三年に創祀され、
空港事業により平成19年にこの地に遷座されました。


三里塚街道ー70

屋根の構えも装飾もなかなか立派なものです。


三里塚街道ー69

境内の脇に三つの小さなお社が並んでいます。
左から子安社、天神社、日天子社です。


三里塚街道ー68

一番奥に熊野神社のお社がありました。
小さいながらも立派な鳥居があります。


三里塚街道ー71

境内にも、神社の周辺にも人影がありません。
数台が停まれる駐車場も立ち入り禁止のロープが張られています。
狛犬もどことなく寂しそうです。

空港事業のためとは言え、何世代にもわたって親しんできた住民との絆が
細くなってしまったのでしょう。

道は行き止まりになり、右に曲がって京成電車の跨線橋を渡り
細い道を下ると思わぬ場所に出ました。
空港建設のために使われた、通称「資材道路」が県道44号線と交わる
急坂の途中です。
44号を左に行けば、直ぐに「さくらの山」になります。

三里塚街道に引き返すのもしんどいので、
今回はさくらの山で飛行機でも眺めて帰ることにしました。



         ※三里塚街道はあと2回に分けて書こうと思います。
          昔の面影を残す景色はあまり見当たりませんが、
          地名の由来や空港事業に翻弄された社寺の物語に
          興味深いものがありそうです。 




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街 道 | 17:24:16 | トラックバック(0) | コメント(2)
正体見たり、釈迦堂の鬼
以前成田山の釈迦堂に棲む“鬼”について書きました。

どこを調べても何にも出てきません。
図書館で調べても、インターネットで調べても・・・
一体あれは何なのでしょう。



自分で正体を突き止めたかったのですが、結局お坊さんに聞いてしまいました。

ようやくその正体がわかりました。

「火伏せの鬼」と言うそうです。
昔からお寺にとって一番怖いのは“火事”だったので、
仏様の配下の鬼が“寝ずの番”をしているのだそうです。

納得しました。
高いところで梁につかまって、睨みをきかしていたのですね。



釈迦堂ー21
釈迦堂ー22

良く見ると正面と東側の屋根の下にも“火伏せの鬼”がいました。
いかつい顔であたりを見回しています。



釈迦堂ー23

正面の鬼の下には竜がいます。
竜の長い髪には水が含まれていて、消火に活躍すると考えられているそうです。



釈迦堂ー24

釈迦堂の壁面には島村俊表作の二十四孝12枚の彫刻がはめ込まれています。



釈迦堂ー25
釈迦堂ー26

そして、狩野一徳の下絵をもとに松本良山が10年かけて彫った
五百羅漢を見ることができます。

金網に守られていてちょっと見にくいのですが、
豊かな表情が並んでいます。



釈迦堂ー27
釈迦堂ー30

樋を伝わって落ちる雨水をためる大きな桶が、角かどに置かれています。

火事に対する強い警戒が感じられます。



釈迦堂ー31

一番初めに見つけた鬼のいる西側に回って見ました。
二十四孝の彫刻が見えます。



釈迦堂ー28

離れた場所からあの鬼をあらためて見てみました。
初めて見つけた時は笑っているようにも見えた鬼の顔ですが、
「火伏の鬼」と分かって見る顔は、「火つけ・失火は許さぬぞ」と、
油断なく辺りを見張る厳しい顔でした。





香閣越しに見る釈迦堂は、
さすがにかつて本堂であった風格が備わっています。

鬼たちも、これまでの長い年月を、そしてこれからも、
しっかりこのお堂を守って行くことでしょう。



              ※釈迦堂(安政の本堂)
                釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩が安置されています。
                安政五年に建立された旧本堂で、
                仁王門から登って行くと本堂の向って左にあります。
                重要文化財。
                




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成田山 | 18:42:19 | トラックバック(0) | コメント(0)
豪快な成田・山車祭り
20日の日曜日は「成田・山車祭り」でした。


山車祭りー3

朝9時過ぎには市役所前の駐車場には
市内の各町内からの山車や屋台が集合しています。


山車祭りー1

繊細で華麗な彫刻や装飾で飾られた山車(だし)の上には
歴史上の人物やその町にゆかりのある人形が乗っています。


山車祭りー4

明治33年に製作された成田最古の山車の上には神武天皇が乗っています。

山車祭りー5

こちらは日本武尊(ヤマトタケル)です。


山車祭りー6

人形の大きさはそばにいる人物を見ていただければ分かると思います。
出発前の調整をしていますが、大きいだけに大変そうです。


山車祭りー8

山車と屋台のデモンストレーションが始まりました。
こちらの山車の上ではお囃子に合わせて狐が踊っています。
後ろの人形は藤原秀郷(俵 藤太)です。


山車祭りー10
山車祭りー9

各町内の山車や屋台が順番に賑やかなお囃子を演奏し、
若衆が屋根に上って踊ります。


山車祭りー11

デモンストレーションが一巡すると、参加者全員による「総踊り」です。
お囃子に合わせて若衆が掛け声も勇ましく扇子片手に踊ります。



山車祭りー12

いよいよ「曳き回し」の始まりました。
18台の山車と屋台が次々と市役所前を出発して行きます。


山車祭りー13
山車祭りー14

曳き回しが始まるとバランスを考えてか、人形を屋台の中に
しまうこともあるようです。
中を見たことはありませんが、歯車を利用した昔からの技術で
人形を上下させると聞きました。


山車祭りー15
山車祭りー16
山車祭りー18

小一時間もした頃、表参道をJR成田駅に向かう山車や屋台が次々に現れました。


山車祭りー19
山車祭りー20

特等席を見つけました。
お腹が空いて入ったレストランの大きな窓から
次々に通って行く山車が間近に見えます。


山車祭りー22

曳き回しの最大の見せ場は、成田山総門前から薬師堂前までの坂を
一気に駆け上るところです。
曲がりくねる坂道を登るには相当の力と技術が必要です。


山車祭りー23

最後の難所、薬師堂前の三叉路を駆け上がります。


山車祭りー24

ようやく登り切りました。
屋根の上の若衆も、立ちっぱなしの八幡太郎義家公も、
ほっと安堵の瞬間です。


山車祭りー27
山車祭りー28

続々と山車と屋台が駆け上ってきます。

山車は市役所前から電車道(かつて成宗電車が通っていた道)、山門前、表参道、
JR成田駅を巡る約2キロの行程を3周します。


山車祭りー29

山車や屋台が通過した後にはくっきりと車輪の跡が残っています。
何トンもの車が通過するのですから、道路の白線も削られてしまいます。


山車祭りー30

巡行コースの最後、JR成田駅から市役所前に戻る下り坂です。
ここには観客はほとんどいません。
山車や屋台の“関係者”だけが、一周終えた安堵と疲労感を漂わせて
曳いて行きます。

成田太鼓祭り、成田山車祭りと2週続いた大きな祭りはここで一段落。

7月始めの成田祇園祭りを皮切りに、9月初旬の宗吾御待夜祭まで、
市内の各所で夏祭りが続きます。


            ※成田・山車祭り
             成田市の市制施行60周年を記念して行われました。
             第1回は市制50周年、2回目は55周年と5年おきに
             開催されています。
             今回は、山車が囲護台、幸町、田町、土屋、仲之町、成田山、
             花崎町、本町、飯田町、台方・下方、並木町、ニュータウン、
             屋台が東町、上町、寺台、宗吾、三里塚、本三里塚の計18台。




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祭り・イベント | 17:27:18 | トラックバック(0) | コメント(0)
三里塚記念公園
今回は三里塚記念公園を訪ねます。



この公園は、成田空港の建設により、それまでこの地にあった
「宮内庁下総御料牧場」が栃木県に移転したため、
我が国の畜産振興に多くの実績を残した御料牧場を記念して造られました。





門を入りしばらく行くと右手に茅葺きの平屋が見えてきます。

これは「貴賓館」で、各国の大公使を招待しての園遊会や、
皇族の宿舎として使われたものです。





玄関から覗くと、内部も外見と同じく和風です。





欄間、襖、畳、障子・・・日本家屋そのものです。
これで外国の客人をもてなすことができたのでしょうか?





いくつかの部屋を抜けて奥の部屋に入ると、洋風の大広間が現れました。
板張りの床に高い天井、照明もシャンデリア風です。
広く大きな窓に白い壁。
これなら外国人を招いてちょっとしたパーティーが開けます。





広い風呂場には総檜の浴槽が。





とても面白いものを見つけました。
雨戸の戸袋を少なくして、室内を出来るだけ明るくするための工夫です。
直角に曲がる場所では雨戸を半分ほど庭側に飛び出させ、角の丸い金具と
溝を削った場所を利用して90度ターンさせるのです。



三里塚公園ー1
三里塚公園ー2

ちょっとしたコツが要りますが、これだと角かどに戸袋は要りません。
お分かりになりますか?



三里塚公園ー3

折れ曲がった長い廊下も戸袋が無いので、陽の光が差し込んで
室内がとても明るくなっています。





芝生の庭には2つの文学碑があります。
左奥にはこの場所に近い駒井野に住んだ文人、水野葉舟の歌碑で、
「我はもよ野にみそきすと しもうさの あらまきに来て土を耕す」とあります。
手前は葉舟の親友の高村光太郎の詩碑で、“三里塚の春は大きいよ。”から始まる
「春駒」という詩が刻まれています。



 

これは裏庭にある防空壕の鉄扉です。
階段を地上から10メートルほど降りたところにあります。
左側の細長く見える斜面は、爆風を逃がす設計で、地上に通じています。

昭和16年に宮内省(当時)から発注され、当時の皇太子(今上天皇)が
戦災を避けてこの地に来られた時のために造られました。





小さな前室の先に主室があります。
壁のコンクリートは75センチ、1メートルの爆風逃しの空間を挟んで
さらに52センチのコンクリート壁で守られています。
広さは3.4坪、電話の引き込みもありました。





爆風逃しのスペースは1メートル、この右側が主室になります。

一般の防空壕とは規模も強度も比べ物になりません。
なお、この防空壕が使われたという記録はありませんが、
この防空壕の存在は機密事項でしたから、真偽のほどはわかりません。





明るい地上に戻り、公園の奥にある「三里塚御料牧場記念館」に向うと、
左側にひっそりと3つ並んだ石碑がありました。

一番左は「獣医学実地教育創始記念碑」です。
明治11年、取香種畜場に獣医科が設けられたことを記念する碑です。

真ん中の石碑には「名馬ダイオライトの碑」と書かれています。
昭和10年に英国から輸入された種牡馬で、子には史上初の三冠馬・
セントライトがいます。(ダイオライトは閃緑岩の意)
右の石碑は「名馬トウルヌソルの碑」です。
昭和2年に英国から輸入された馬で、第1回日本ダービーの優勝馬・
ワカタカをはじめ多くのダービー優勝馬を輩出しました。
東京の目黒競馬場跡の近くに銅像があるそうです。
(トウルヌソルはひまわりの意)





記念館の前庭に新山荘輔博士の銅像が建っています。
下総御料牧場をはじめ各地の御料牧場長を勤め、三里塚近郊の振興や
児童たちの奨学に大きな功績を残した人です。





残念ながら記念館の内部は撮影禁止です。
内部には御料牧場の歴史や畜産や農耕に関する資料の展示があり、
2度にわたって行幸された明治天皇や昭和天皇が行幸された時の記念品等が、
展示されています。





葉舟をはじめ高村光太郎、窪田空穂、前田夕暮、水町京子等の
三里塚ゆかりの文人たちの作品も展示されています。





公園の入り口から記念館へと続く一本道はトチノキ並木です。
左奥にある細い散策路に沿って桜が植えられ、こちらは桜並木になっています。
数本の八重桜が残り少ない花を咲かせていますが、
2週間ほど前には、大勢の花見客でさぞかし賑わったことでしょう。



          ※三里塚記念公園  成田市三里塚御料1-34
           JR成田駅東口からから三里塚行き、または多古行き・八日市場行きで
           三里塚下車。来た道を戻る方向に徒歩3分。
           入場無料。貴賓館は原則として内覧はできません。
           記念館も入場無料。駐車場あり。




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公園・施設 | 18:41:45 | トラックバック(0) | コメント(0)
新緑の三ノ宮埴生神社
成田山の西参道三ノ宮通りにある埴生神社(はぶじんじゃ)を訪ねました。




三ノ宮埴生神社が正式名で、御霊代(みたましろ)は土師器(はじのうつわ)。
御祭神は埴山姫命(はにやまひめのみこと)で、土の神様です。

その名前や御霊代、御祭神からして、古代に土器の製造を職業としていた
土師部(はじべ)一族が創建したと言われています。
創建年代ははっきりしていません。





成田総鎮守として子育て、安産、初宮参りなどの祈祷が多く行われます。

その昔、麻生郷(栄町矢口)に一宮、玉作郷(成田市松崎)に二ノ宮があり、
その総社としてここ三ノ宮があったようです。





裏手には小高い山があり、木々の間から見えるお社は
長い歴史の重みをたたえています。





小さな裏山には新緑がまぶしい散策路がありました。





お地蔵さんが・・・と思ったら、どうやら違うようです。
何やらお婆さんのような・・・
色あせた紙に女性の戒名のようなものが書かれています。
説明書きはどこにもありませんので想像するしかありません。





小さな墓石と見えたのは、馬頭観世音と刻まれた三つの石碑でした。
嘉永三年と寛政十年と、小さな見字がかろうじて読めました。





石碑の脇から石段が小さな祠に向かって続いています。





浅間神社の掲額がありました。
小さな賽銭箱に投げ入れたお賽銭は乾いた音を立てて底に落ちて行きました。





お社の隣にそびえる椎の巨木は樹齢何百年になるのでしょうか。

いかにも神様が宿られている厳粛な雰囲気を醸し出しています。





この一帯は昔からその地の利ゆえに数々の争乱に見舞われています。
(このことはいずれ触れることになるかもしれません)
その中で現代まで地域の中心として人々の信仰に守られてきた埴生神社は
成田の一角で長い時の流れを見守ってきました。





埴生神社のあるこの道は、県道として多くの車が往来する生活道路ですが、
地元の人達以外には“参道”としてはほとんど知られていません。

ここが“参道”だとは数カ所に立てられた標識がなければ気付かないでしょう。

三ノ宮埴生神社の現在の社殿は明治39年に再建されたもので、年月を重ねて
静かに参道の傍らに鎮座されています。



       ※三ノ宮埴生神社  成田市郷部994
        成田山表参道が薬師堂の前で二股に分かれるところを左へ徒歩約10分。
        JR成田駅、京成成田駅からは徒歩約20分。
        車ではニュータウン側からは公園通りを郷部交差点で右折。
        (408号線のイオンモール側からは左折)
        郷部大橋を登りきったところが交差点なので通り越しに注意。
        県道18号(成田・安食線)の標識と西参道三ノ宮通りの標識がある。




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成田町の寺社 | 19:47:21 | トラックバック(0) | コメント(8)
勇壮な成田太鼓祭り
4月の12日、13日は成田太鼓祭りです。
今年で26回目になるのですが、私は今回が初めての見学です。




大本堂前の会場での「千願華太鼓」という、千人の(本当にそのくらいはいました)
太鼓の合奏(?)が祭りのスタートです。
大本堂前の広場は本当に広いのですが、参加する人達が会場に太鼓を運びこむと、
一面に敷き詰められている玉砂利が全く見えません。





まだ開演までには1時間もあるというのに、周りには見学の人達でいっぱいです。





いよいよ開演です。
みんなバチを高く掲げてスタンバイです。





千人の合奏は想像以上の大迫力です。
地響きのようなその大音量は、おなかの底にまで響きます。





沖縄から参加のグループです。




市内からだけでなく、全国から参加したグループが、
次々に立ちあがってパフォーマンスを繰り広げて行きます。

                       
小さな女の子たちのグループもいます。





アフリカからも2名だけの参加でしたが、独特の太鼓の音を
会場に響かせてくれました。





昼前からは8カ所の会場に分かれて、それぞれのグループが演奏します。
これは埼玉県の武蔵越生高校の太鼓クラブです。
梅林で有名な越生だけに、法被には梅の花が描かれています。





小田原の相洋高校は小田原提灯片手に「おさるのかごや」を演奏し、
その若者らしく、はつらつとしたパフォーマンスは大きな拍手を浴びていました。





陽も傾き、風が冷たく感じる頃、千年夜舞台が始まります。
大本堂前の舞台では数々の賞に輝く都立深沢高校が、
大勢の観客の前で息の合った演奏を繰り広げていました。





太鼓奏者として世界的に有名な林 英哲さんが
大太鼓にバチを入れる頃には陽も沈んで、
照明に照らし出された舞台には幽玄な雰囲気が漂います。





その雰囲気の中でライトに浮き上がり、時には強く、時には弱く
太鼓を自在に操る林さんの演奏に、観衆は深く吸い込まれて行きます。





演奏はいつまでも続きます。
素人でもその体力の強さが分かる凄まじい演奏です。





境内の隅々まで力強い音は拡がって行きます。
太鼓がこんなにも豊かな表現力を持った楽器だとは、
ついぞ気が付きませんでした。





西参道からの帰り道、釈迦堂の扉は閉じて人影もありません。
静かな釈迦堂の周りにも、今日一日成田に鳴り響いた太鼓の音が、
小さく残っているような気がしました。




太鼓祭りの二日目です。



2日目は太鼓パレードです。
成田のゆるキャラ「うなりくん」を先頭に、JR成田駅から成田山の総門まで、
表参道を沢山のグループが太鼓をたたき、踊りながら、練り歩きます。





ひょっとこやおかめ、いろいろなお面を付けた一団が
沿道に鈴なりになった見物客を笑わせます。





元気の良い若者の一団は、担いだ太鼓を振り回しながら進みます。
勢い余って見物客の中へなだれ込みそうです。





意外と女性のドラマ―(?)が多く、男性よりにこやかで元気に見えます。





大人たちに交じって子供たちも一人前の顔をして行進していました。





沖縄のグループは二組。
指笛を鳴らし独特の掛け声で進み、沿道から拍手を浴びていました。




                       

大きな獅子が2頭、近寄ると子供たちが怖がりもせず顔を撫でています。





神奈川県の桐蔭学園のチームが通り過ぎて行きます。





トリニダード・トバコ発祥のスチールパンのバンドが、
和太鼓とは違う音色を響かせて行きます。





パレードが通り過ぎ、見物客が帰りを急ぐ中、
小さな駐車場に設けられた舞台で、九十九里の「黒潮太鼓」の子供たちが
太鼓をたたいていました。
立ち止まる人は少なく、舞台の前には20人ほどの観客しかいませんでしたが、
一生懸命演じています。

十年後の太鼓祭りでは、きっと凛々しい姿で大きな太鼓をたたいていることでしょう。

1週間後には「山車祭り」でまた賑やかになりますが、
「太鼓祭り」が終わった成田山と参道には、暫しの静寂が戻ります。




          ※成田太鼓祭り
           毎年4月の第2土曜と翌日曜日の2日間開催されます。
           今年は第26回となりました。
           成田駅からの表参道の数カ所に舞台が設けられ、土日の両日とも
           1時間に1回のパフォーマンスを見ることができます。
           土曜日には千願華太鼓、千年夜舞台が大本堂前で行われます。
           見学は無料ですが、原則として立ち見です。(夜舞台のみ、一部
           有料指定席の椅子あり)
           日曜日には駅前から総門前まで太鼓パレードがあります。

         

 


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祭り・イベント | 21:09:41 | トラックバック(0) | コメント(2)
整備された成田駅西口
JR成田駅の西口は、成田ニュータウンに向かって開いています。





東口側からは高いフェンスに阻まれて見えなかった工事の全貌が、
西口側からは良く見えます。

ロータリーには樹木が植えられ、芽生えた新緑がまぶしく光っています。





手前の駐輪場は屋外ですが、左隅に見える駅舎の1階と2階部分も駐輪場です。
ニュータウンの多くの住人が自転車で駅まで来ますので、
周辺の駐輪場を含めて常に満杯の状態です。





西口の利用客は歩道橋を上って3階の改札口に向かいますが、
歩道橋はいつも季節の花で飾られています。
お昼時にはベンチでお弁当を開く人達も見られます。

今日はまだ昼前の人通りが少ない時間帯でしたので、
数羽の鳩がのんびりと遊んでいました。





東口が昔からの成田を表しているとすれば、
西口は発展する今の成田を表しているような気がします。
連絡路の西口側から見る東口は活気があるぶん雑然としていますが、
西口は整然とした雰囲気で、それだけに物足りない感じがします。





歩道橋の花とロータリーの樹木が、その気持ちを
少し埋めてくれるようです。





残念なのは、バリアフリーについての配慮が少し足りないことです。
2階までの階段と、3階までのエスカレーターの他、
エレベーターが設置されているのですが、見つかり難いのです。
西口に向かって左側を商店の軒先を迂回して、自転車置き場の数段の階段を
登らないと見つかりません。





ニュータウンの中心部に向かって広い道路が延びています。
車で東口に抜けるには、地元の人でもあまり知らない
細い抜け道が1本しかありません。
普通は相当大回りしなければ抜けられませんから、
駅に用事がある車しか通らないので、道路の広さの割には空いています。





たまたま停車中の成田エクスプレスを見つけました。
停まっている場所からすると空港へ向かうようです。





ニュータウンが造られてからずいぶん時間が経っていますが、
まだまだ開発が進んでいます。

東口で感じた“開発”の違和感は西口にはありません。

しかし、工事が終わった時、東口とともに西口でも、
自然との調和を感じたいものです。





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鉄道・駅 | 22:14:50 | トラックバック(0) | コメント(0)
歌舞伎役者が舞う成田駅東口
成田駅には成田山の表参道となる東口と
成田ニュータウンが広がる西口があります。
今日は東口を見まわしてみます。




駅舎の正面には成田山の大提灯が掲げられています。

忙しく行き交う人達は見上げることもなく通り過ぎますが、
外国人の旅行客には如何にも“日本的”と映るようで、
立ち止まって写真を撮る姿を良く見かけます。





駅前のロータリーに向かって
スナック、立ち食いそば、観光案内所が並んでいます。

スナックと立ち食いそばは通勤客の朝食、夕食で賑わいます。





北側にはバス停、交番、本屋、レストラン等が並んでいます。
交番も成田風の造りです。

濃いオレンジ色の建物は本屋さんですが、
昔は確かお土産物屋だったと記憶しています。
広い間口の奥には食事ができるスペースもありました。





ロータリーの真ん中に立つモニュメントですが、
通勤で毎日のように利用していた頃には目にも入っていませんでした。





駅前から表参道へ入る角に歌舞伎役者の像が立っています。
高さ6メートルの塔の上では役者が鏡獅子を舞っています。

成田山と歌舞伎、とりわけ市川団十郎の「成田屋」との
結びつきを感じます。





停まっているバスは三里塚、多古を抜けて八日市場(現匝瑳市)に向います。
主に昔の三里塚鉄道や多古まで延びていた鉄道の跡を走ります。
九十九里の海沿いまで、鉄道が無い沿線住民には
「国鉄バス」の名で親しまれてきました。





駅舎を出て京成成田駅に向かう通路(現在は工事中で通行止め)の脇に
不動明王の分身と伝わる「不動の椎」が立っています。

樹齢700年の老大木ですが、今は工事現場のフェンスに囲まれて
根元は隠れてしまっています。
まさか切り倒されるようなことはないと思いますが、
ダンプが出入りし、重機がうなる中で、どんなに住み辛く思っていることでしょう。

工事が終わってフェンスが外された時には高層ビルが立ちふさがり、
日当たりがめっきり悪くなるだろうと心配です。

開発は必要でしょうが、
どうか、自然に優しい開発であって欲しいと願うばかりです。





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鉄道・駅 | 20:58:33 | トラックバック(0) | コメント(2)
明治30年開業のJR成田駅
成田の空の玄関が成田空港なら、陸の玄関は成田駅です。

成田駅にはJRと京成電鉄がありますが、今回はJR成田駅をぶらつきました。





1987年(明治30年)の開業ですが、幾多の変遷を経て現在の駅舎は
1979年に完成し、1986年には西口が改築されました。






JR成田駅からは千葉方面から東京・新宿等へ、我孫子方面から上野・東京等へ、
佐原方面から銚子へ、佐原方面から鹿島神宮へ、そして成田空港方面へと
多くの方向へ線路が伸びていますが、
実は全て「成田線」という珍しい駅です。

佐原を経由して銚子に至るのが本線、鹿島神宮や我孫子、空港へ
向かうのは支線になります。





朝夕の通勤時間帯を除くと発着本数は少なく、日中はのんびりとした雰囲気です。
改札を入ったコンコースには待合室があり(見にくい写真ですが右側のガラス部分です)、
時間待ちをする人達が本を読んだり、居眠りをしたりして
到着のアナウンスを待っています。





2番線から千葉行きが発車して行きます。
手前の1番線には東京方面への直通快速や成田エクスプレスが停まります。





5番線からは銚子行きの発車です。
右側に見えるホームは2・3番線ホームです。

昔は2・3番線ホームで駅弁を売っていたのですが、
いつの間にか無くなってしまいました。
4番線はホームは無く、通過線になっています。

6番線には我孫子行きが停車中です。
単線なので“すれ違い待ち”の時間が多く、
我孫子までは45分程度かかります。





沿線には、安食(あじき)、木下(きおろし)、布佐(ふさ)など
難読駅が続きます。





成田から1つ目の駅も難読駅です。
下総松崎と書いて(しもうさまんざき)と読みます。





駅舎は橋上駅になっていますので、東口と西口は跨線橋形式でつながっています。

成田駅の1日の平均乗車数は約1万5千人になりますが、
平日の日中は閑散としています。




           ※成田駅は今大規模な工事中です。
            商業施設とマンションが駅前にできるようです。
            成田山をイメージした駅舎の雰囲気が壊れないか、心配です。

            次回は成田駅東口、そして西口と紹介して行きます。




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鉄道・駅 | 18:44:14 | トラックバック(0) | コメント(2)
釈迦堂に棲む鬼
成田山新勝寺の大本堂の左側、30メートルほど離れた場所に
釈迦堂があります。

安政五年(1858年)に建立された旧本堂で、安政の本堂とも呼ばれます。

昭和四十三年に現在の大本堂が建立されるまでは
この釈迦堂が“本堂”でした。

現在の本堂の場所から移設されてきました。

重要文化財のこのお堂には釈迦如来が安置され、
開運厄除け祈祷所として大本堂へのお参りのあと、多くの人が訪れます。







手前には信者からの寄進による立派な手水舎があります。

表参道から総門をくぐり、仁王門から急な石段を上ってお参りすると
目に入る場所には手水舎はありません。
信心深い、作法にうるさい参拝者は、
ちょっと寄り道をして清めてから、あらためて本堂に向かいます。






釈迦堂側から手水舎を望む景色です。






お堂の側面には島村俊表作の二十四孝の彫刻や
狩野一信の下絵に松本良山が10年かけて彫った五百羅漢が
はめ込まれています。





ふと見上げた屋根に何か見慣れぬものがありました。


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望遠で覗くと、何やら鬼が大屋根を支えているようです。

笑っているような、歯を食いしばっているような・・・

思わず“ご苦労さんです”と声をかけました。





狛犬の前を悠然と通り過ぎる猫が一匹。






お堂の脇の陽だまりに座り込んでのんびり昼寝の体勢です。






何度も訪れた釈迦堂ですが、あらためてゆっくり見て回ると
知らなかった景色が見えてきます。










           ※釈迦堂
            大本堂に向かって左側に位置しています。
            以前書いた裏門から入ると最初に前を通ることになります。

            今度訪れるまでに、あの鬼のことを調べておこうと思います。
            ネットや案内パンフレットで調べても、どれも鬼について
            何も触れていません。
            案内所で聞いてしまえば簡単ですが、それも味気がありませんので。




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成田山 | 09:03:02 | トラックバック(0) | コメント(0)
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