

いかにも古そうな石塔が入口の坂の下に立っています。
「右 あじき 龍○さ○(多分龍がさき)」「左 なりたさん」と彫られていて、
裏面には「西国 坂東 奉順禮供養塔」と彫られています。
多分、ここが成田山の裏参道の入り口にあたっていたのではないでしょうか。

細い急坂を少し上ると鳥居が見えてきます。

天正年間、秀吉の時代に殿台城主の馬場伊勢守勝政が建立したと伝えられていますので、
かれこれ400年は経っているでしょうか。
ご祭神は「大己貴(おおあなむら)神」です。


御神木のモミの木も樹齢400年と言われていますから、
建立のころからこの神社を見守っているわけです。


度重なる地震被害で社殿が傾いてしまったため、
平成10年に復元工事が行われました。


脇道の「へび供養塔」の陰から猫がじっとこちらを見ています。
“うさんくさいヤツだ”とでも言いたげに、身じろぎもせずに睨んでいました。


拝殿の後ろにある本殿は屋根の傾斜と曲線が美しい建物です。

裏の小高いところに石で作られたお社が並んでいました。
ここは小さな広場のようなところです。

出羽三山の参詣記念碑もずらりと並んでいます。
この地でも湯殿山、月山、羽黒山の三山への参詣は昔から盛んであったようで、
文政、嘉永などの年号が刻まれています。

「奉納 八幡宮」「洗手石」と彫られています。
文化十四年(1817年)の文字が読めます。

拝殿の左側には七つの神社が合祀されています。
写真手前から奥へ、琴比羅宮、愛宕神社、八幡神社、
白幡神社、石導神社、疱瘡神社、天満宮です。

疱瘡神社とは珍しい神社ですね。

石段を上ったすぐ左、七つ並んだ小さなお社の手前には「子安神社」の石塔があります。
台石には「土屋女人中」とあり、裏面には「大正十年九月再建」と彫られています。



拝殿の右側には石造りの「天照皇大神」があります。
朽ち果てた拝殿には、かすかに菊の紋章が見えます。


参道の脇には元禄元年(1688年)と彫られているお地蔵さまや
馬頭観世音の石碑が並んでいます。
文化とか文久とかの年号が読み取れる古いものばかりです。
一番奥は「へび供養塔」です。
あの猫はどこかに行ってしまいました。

この場所は殿台城の一角だったようですが、
周りは削られ、宅地化されていまはその面影もありません。
開発は必要ですが、自然や歴史的遺産との調和が大切です。

神社を建立した馬場伊勢守勝政が小田原の役で
徳川勢に討たれたのが天正十八年(1590年)。
それから400年経った今もなお、
「大宮神社」は土屋地区の鎮守として、この地に静かに佇んでいます。
※大宮神社 成田市土屋1331
国道408号線成田山裏門入口交差点から徒歩5分。
道標までは3分。
イオンモールからは徒歩7分。

佐倉藩の中級武士の家を過ぎ、
しばらく行くと「上総の農家」が畑の向こうに見えます。



広い庭には竹馬や竹ぽっくり、独楽などの懐かしい遊び道具が用意されています。
最近の子供たちには新鮮な遊びでしょう。



名主クラスの家なので、納屋や機織り場などがあって、相当広い敷地です。

道端に庚申塚がありました。


成田安食バイパスをまたぐ橋を渡ります。
ここにも「網つり」がありました。

広場の先に能舞台が見えます。
大栄町の諏訪神社にあったものを参考にして造られたものです。


広場の奥に茶店がありました。
お茶とせんべい、きんつば、ラムネだけのメニューですが、
ちょっと歩き疲れた足には恰好の休憩場所です。



茶店を過ぎるとアップダウンのある坂道が続きます。
やがて、下総の農家、安房の農家が畑をはさんで建っているのが見えます。
江戸時代の農家を資料をもとに再現したものです。


散策路のあちこちに五穀豊穣や災難を避けるための藁人形があります。
木の枝に巻きつく蛇にはちょっとびっくりしました。

木々の間から田んぼが見えてきました。

水車小屋が現れました。

江戸時代末期の水車小屋を再現したそうで、結構複雑な構造です。
昔は田舎に行けばあちこちで見られた光景ですが、
今は観光施設や和風料理店のお飾りでしか見ることができなくなりました。

田んぼは谷戸の奥まで続いています。

メインストリートに戻り、お蕎麦屋さんに入りました。
昼時の短い時間ですが、実際にお蕎麦を食べることができます。
二階に上がって通りを眺めることもできます。
向いの店の前には籠が置いてあります。
駕籠かきはいませんから、これはお飾りですね。

休日ともなれば結構団体客がいて賑やかな通りですが、
平日の昼下がりは見学客もまばらで、静かでのんびりした昼下がりです。

出入り口の木戸の脇に明治初期の「書状集箱」を模したポストがありました。
実際に郵便局の集配があります。

正面の門はふだんは閉まっていますが、
タイムスリップの入り口としてはなかなか趣があります。
左側の木戸から入場します。
日常のしがらみから解放され、
森林浴をかねながら江戸時代に思いをはせるのも良いものです。
※房総のむら 印旛郡栄町龍角寺1028
JR成田線安食駅から龍角台車庫行きバス10分
「房総のむら」下車、徒歩3分
入場料 300円 学生150円 中学以下・65歳以上は無料
月曜・年末年始は休業

「房総のむら」は印旛郡栄町にある「参加体験型博物館」です。
昭和61年に開館し、平成16年には隣接する房総風土記の丘と合併しました。
自然豊かな丘陵地帯に展開される博物館は、一日では回りきれない広さです。


駐車場で千葉県のキャラクター「チーバクン」が出迎えてくれました。
あちこちに引っ張りだこで大忙しですね。


江戸時代の街並みを再現したメインストリートです。
店も看板も当時のままを復元しています。


日替わりでどこかの店が実演と体験ができるコーナーを開いています。
勾玉つくり、張子の絵付け、千代紙ロウソク、をはじめ様々な体験ができます。




店の中も凝っています。
16のお店が並んでいますが、その全てに入ることができ、
二階に上がることもできます。


小さいながらも本格的なお稲荷さんもあります。


木橋がかかる掘割には小さな舟が浮かび、大きな鯉がたくさん泳いでいました。


江戸時代後期の武家屋敷です。
佐倉藩の中級武士の家を再現しています。
意外に質素な感じがしますね。

予約が必要のようですが、子供の甲冑や内掛の着付けが体験できます。

床の間には大小の刀が掛り、奥の座敷には書見台が置かれています。

農村地区に入ってきました。
不思議なものが通りにぶら下がっています。

「綱つり」といって、村の入り口にぶら下げて災いを防ぐお守りにしていたものです。
サイコロ、男、エビ、お札、たわし、タコ、女の7つを藁で編んで吊るします。
これはタコです。

緑の濃い散策路が続きます。
見所満載なので、続きは明日、アップします。
広い境内にはまだまだ見所があります。

「石摺(いしずり)不動尊」です。
分かりにくい場所にありますが、仁王門から階段を上って香閣の前を右に行き、
東門への階段の手前を右に入ります。
文政十年(1827年)照胤上人によって建立され、
天保十三年(1842年)に照阿上人が再開眼したと裏面に書かれています。

現在は禁止されていますが、以前はこのお不動様の像に墨を塗って
拓本のようにして写し取り、お札代わりにしていたそうです。

石摺不動尊から下を眺めると、前々回に紹介した「こわれ不動堂」が見えます。

前回紹介した一切経堂の後方には「聖徳太子堂」があります。
1992年に建立され、我が国の仏教興隆に尽くした聖徳太子を祀っています。


ずいぶん童顔の聖徳太子ですね。


周りの塀にはずらりと掛け灯篭が並んでいます。

境内のはずれにあるためか、ここに入ってくる人は少ないようです。
塀に囲まれた敷地内には木が一本もなく、ちょっと異質な感じのする空間です。




大本堂の裏手の斜面には不動明王の手助けをする
八大童子や三十六童子、五大明王、役行者等の像が並んでいます。


大本堂に中を覗くと御護摩の最中でした。
堂内は撮影禁止なのでガラス越しにシャッターを切ってみましたが、
ガラス面が反射してうまく撮れません。
場内撮影禁止ですから仕方ありませんね。

なんとか隙間を見つけて、雰囲気だけでもと撮ってみました。


大本堂は周りをぐるっと回ることのできる広い廊下があります。
裏側には大日如来を真ん中に虚空蔵菩薩、聖徳太子像が安置されています。


大本堂の左手、大日如来像のそばの階段を上ると
「額堂」「光明堂」「平和大塔」などがありますが、
今回は大本堂の前を香閣からの煙にむせながら左へ進みます。


見慣れた釈迦堂の前に立つと、左手に真っ白な「聖天堂」が見えます。

秘仏「大聖歓喜天」が安置されています。
この大聖歓喜天は良くインドで見かける象頭人身像です。
子授けの神様として信仰を集めています。

ちょっと戻って釈迦堂の先を右に曲がると「出世開運稲荷」に通じる長い階段が見えます。

明治21年に再建されたこのお稲荷さんは、
小さいながらいつも熱心な信者で賑わっています。
佐倉城主の稲葉丹後守が宝永年間に寄進した
吒枳尼天(だきにてん)を本尊としています。


私は十数年前、このお稲荷さんのお賽銭箱のそばで小さな子猫を拾いました。
足を骨折していましたが、与えたエサには見向きもせず、私の後を必死に追ってきました。
十年あまり成田を離れていて久しぶりに帰って来たばかりで、
とても忙しい中でしたが、見かねてそのまま獣医さんに連れて行きました。
以後13年にわたり我が家のマスコットとして幸せに過ごしましたが、
この場所は彼にとって、まさに「開運」の場所だったのです。


たくさんの絵馬や狐の置物が並んでいます。
こじんまりしたこの場所は、何かほっとする空間です。

帰り道の階段からは成田山の広い境内が見渡せます。
次の機会には「光明堂」や「額堂」、そして遠くに見える「平和大塔」を訪ねたいと思います。
※大本堂、釈迦堂についてはすでに書いていますので、
左欄の「記事の分類とアップ数」中の「成田山」を
クリックしてください。

仁王門から階段を登り、新勝寺の境内に出て香閣越しに正面の大本堂を眺めるとき、
右手に華麗な装飾の3つの建物が目に入ります。

三重塔を前面に、一切経堂と鐘楼が並んでいます。
質実にして豪壮な大本堂とのコントラストは、いっそう目を引きます。

三重塔は正徳二年(1712年)に建立され、
宝暦七年、享和元年、安政五年と三度の大修理が行われましたが、
昭和58年に古文書に書かれた資料を基に復元されました。

極彩色の紋様に彩られたその姿は、息をのむ美しさです。


屋根の下には黄金の龍がたくさん並んでいます。

幸運なことに、偶然正面の扉が開いているところに来合わせました。
中には金剛大日如来の五つの知恵を表す「五智如来」が安置されています。
宝生如来、阿弥陀如来、阿閦(あしゅく)如来、不空成就如来が、
大日如来を中心に並んでいます。

中央の大日如来です。
小さいながらも金色に輝く美しい仏様です。

扉には見事な透かし彫りが施されています。
三重塔は五重塔とは違った安定感が感じられます。
それでも25メートルと、けっこうな高さのこの塔は、
見事な装飾に見とれた人の首を痛くさせるには十分な高さです。

一切経堂は享保七年(1722年)に建立されました。

中央の転輪経蔵には一切経約二千冊が収められ、
この周りを一周すれば、その全てを読んだほどのご利益があると言われています。
以前は中に入って下の台座を押し回すことができ、
実際に経蔵をひと回りできたのですが(私も何周かしたことがあります)、
残念ながら今は中に入ることはできません。


外壁にはいくつもの見事な彫刻がはめ込まれています。

都合の良い時だけ神仏に願い事をする私としては、
もう一度経蔵を回ってご利益を得たいと願っています。

鐘楼は寛永年間以前に建立されたようですが、
元禄十四年(1701年)に再建されました。

こちらも見事な装飾です。

中へは入れませんが、梵鐘へは狭い階段を登ります。

現在の梵鐘は昭和48年に設置され、それまで使われていた梵鐘は
現在大本堂後方の高台にある「額堂」に置かれています。
※ 「梵鐘の設置は昭和43年です」とのご指摘をいただきました。 訂正させていただきます。
ご指摘、ありがとうございました。

この鐘の音は、何んとも言えぬ重く、深い音色です。
特に夕暮れの境内に浸みるように響く鐘の音が、私は好きです。

大本堂前の広い境内の中で、
三重塔、一切経堂、そして梵鐘の一群は、
ひと際華やかな一角になっています。

仁王門は成田山を代表する建造物のひとつです。
この門の前に立つと、誰もが成田山に居る自分を実感します。
今回はこの仁王門を中心に、その周辺を見てみましょう。
まずは表参道の総門あたりから始めましょうか・・・

表参道から総門に入る手前に石塀が続きます。
以前はこの一帯全てを石塀が囲っていましたが、
新しく総門ができた時にその多くの部分が外されてしまいました。
寄進者の名前や家紋が刻まれた景色は、いかにも門前という風情でしたが、
今は一部を残すのみです。

「総門」は平成19年に建立されました。


2、3年は木の新しさが目について、何んとなく違和感がありましたが、
今は落ち着いた色合いとなり、成田山の雰囲気にすっかり溶け込んでいます。

仁王門へ向う石畳の、両側に並ぶ大きな灯篭の中に、
ちょっと変わったものが立っています。
ごつごつした火山岩を、ただ積み上げただけのようですが、
良く見ると“獅子が子を谷に落として這い上がって来るのを待つ”
という図が彫られています。
岩の上に親獅子が、“納”の字の下に子獅子がいます。

総門をくぐらず、向って左手に入ると「弁財天堂」があります。
建立の年代は定かではありませんが、元禄年間には既にあったとされています。

総門の陰に隠れ、目立たぬお堂ですが、成田山の境内では
一番古い建物です。

弁財天堂のさらに後ろには「大師堂」があります。

明治21年に再建されたお堂で、弘法大師をはじめ真言宗の高僧が祀られています。

総門をくぐり、左に目をやると「御護摩受付所」という大きな建物が見えます。
その一角に「納札所」があります。
お世話になった、お守りいただいたお札をお返しするところで、
お礼の浄財とともに納めると、センサーが働いて自動的にコンベヤーが
中に運び込んでくれます。
お寺と自動コンベヤーとは面白い組み合わせですが、
参詣客が多い成田山ではの知恵でしょう。


仁王門に登る階段の右手に手洗舎があります。
何十回となくこの場を通っていたのに、
今回初めてここに手洗舎があることに気付きました。
あまりに当たり前の風景なので、目に留めることが無かったのでしょうか。
「釈迦堂に棲む鬼」に書きましたが、
私は成田山の手洗舎は釈迦堂の前にしか無いと思い込んでいました。

仁王門への階段を上らずに右に行くと、「成田山東門」があります。
門の後ろに見えるのは「成田山水行道場」です。

一旦外に出てみると、門の手前に洲之崎稲荷明神がありました。
目立たない場所ですが、きれいに掃き清められています。

水行道場の裏には「成田山参籠道場」の看板が掛った建物があります。
この一角は修行場が集まっているようです。

東門側から見る総門はまた違った趣があります。

さて、いよいよ「仁王門」への階段を登ります。
仁王門は文政十三年(1830年)に建立されました。
“魚がし”と書かれた大きな提灯は、昔から魚河岸が奉納してきたもので、
現在のものは昭和43年に奉納されました。

仁王門の左右には仁王様が怖い顔で立っています。
頑丈な金網で囲まれていますが、隙間からお顔を拝見してみます。

右に立っているのは那羅延金剛(ならえんこんごう)で、
口は“阿(あ)”と開いています。

左に立っているのは密迹金剛(みっしゃくこんごう)で、
口は“吽(うん)”と閉じています。

多聞天(たもんてん)は裏側の左に立っています。
人々に福徳を与えます。
私はこの多聞天の凛々しい中に深い思いやりが感じられるお顔がとても好きです。

右に立っているのが広目天(こうもくてん)で、人々に仏心を起こさせます。
那羅延金剛、密迹金剛、多聞天、広目天の四体は、
境内の入り口で伽藍の守護を担っています。

仁王門をくぐってさらに大本堂への階段を登りますが、
階段との間に亀がたくさんいる仁王池があり、太鼓橋がかかっています。
池の中央には亀の形をした島が作られていて、亀が甲羅干しをしています。

橋を渡ってすぐ左に狭く急な石段があります。
ここを登る人はほとんどいませんが、ちょっと登ってみます。

「こわれ地蔵尊」という珍しい名前です。
御本尊は倶梨伽羅不動明王です。

何度修理しても壊れてしまうことから付いた名前だそうで、
なるほど、小さなお堂なのに土台が傾き、ヒビも入っています。

階段を慎重に下りて仁王門の後ろを横切ると、「開運地蔵尊」があります。
両手を合わせて頭を下げて祈る老婦人がいました。
こわれ不動尊に登る前からその姿勢でしたから、ずいぶん長いこと祈っています。
お年からしてご自分の開運ではなく、
息子さんか娘さんの運が開けるように、お願いしているのでしょう。
カメラを向けるのは憚られる雰囲気でした。

老婦人が去った後、お地蔵様のお顔を覗かせていただきました。
ふくよかなお顔のお地蔵様です。
今さらですが、私もちょっとお願いしてみました。

お地蔵様の前に灯台のような大きな石の建造物が立っています。
正面に石工灯明講と彫られているので、灯明台のようです。

寄進者の名前でしょうか、大勢の名前がはめ込まれている中に、
市川団十郎の名前を見つけました。


総門から仁王門を経て、大本堂までの階段を登る僅かの距離ですが、
ゆっくり見まわすと実にいろいろなものが見えてきます。
いつもはお参りに気を取られて、通り過ぎてしまう場所でしたが、
今回はいくつもの発見がありました。
※成田山新勝寺 成田市成田1番地
JR,京成成田駅から表参道を徒歩約10分。

ここはJRと京成の空港第2ターミナル駅です。
右側がJR、左側が京成になっています。

JRは単線区間になっているため、同じ1つのホームに上り・下りが入ってきます。
初めての人は混乱することが多いようです。
東京方面に行こうとしてホームに立っていると、空港行き(第1ターミナル行き)が
入線してきます。
線路の向こう側にホームがあるので、間違えたと思ってあわてて階段を上り、
向い側に行こうとしますが、そこは京成のホームです。
もう一度元のホームに戻ると、今度は東京行きが入ってくる・・・という具合です。
京成も同じ状態でしたが、北総線の乗り入れに伴ってホームの両側を
使うようにしたので、こうした混乱はありませんが、ホームの前後で本線と北総線を
使い分けているので、分かりにくさは解消されていません。
(空港第2ビル駅や成田空港駅についてはいずれ「鉄道・駅」のカテゴリーで書く予定です)

改札口を出ると検問があります。
パスポートや身分証明書を確認しています。
いつもここで荷物を広げ、しまってあるパスポートを探す人が通路をふさぎます。
最近はチェックも緩くなったようです。


駅のコンコースからターミナルビルに入ったところに、
2体の埴輪が立っています。
「芝山仁王尊」の埴輪祭りで知られる芝山町の出土品のレプリカです。

改札を出ると直ぐに外貨の両替窓口があります。
ここで簡単な手続きで両替ができます。


クリニックもあります。
ちょっとした町のクリニック程度のスペースがあります。

最近できたシャワールームです。
長旅の汗を流してさっぱりとして、家に会社にと向えます。
AM6:30~PM9:00の間使えます。
最初の30分が1030円以降15分ごとに520円です。
一番奥にコンビニがありますが、目立たない場所なので
空港関係者の利用がほとんどです。

コンビニの横の壁面に、良いサービスでお客様を“おもてなし”したスタッフを
表彰するボードがありました。
2階の美容室等がある廊下の奥にも同じボードがありました。

通りをはさんだ駐車場ビルの地下にはペットホテルもあります。
人間様のホテルロビーのような雰囲気です。

再び3階の出発ロビーに戻ってきました。

中央にステージが設けられています。
簡単な演奏会が開かれます。

成田空港のキャラクター、「クウタン」です。

2階にあった郵便局はここに移っていました。
規模はだいぶ小さくなっています。


警備員がセグウェイに乗って巡回しています。

床を掃除する機械です。
人が乗って走りながら清掃します。

7月20日にターミナル内にオープンするカブセルホテルの
モデルルームです。

内部は意外に広く、ゆっくり休めそうです。

3階から見える4階の壁面には、大きな壁画がかかっています。
加賀又造作の「日月四季」という題です。

電光掲示板の点滅が早くなってきました。
そろそろ出発便のラッシュ時間なのでしょう。

チェックイン・カウンターも忙しくなってきました。


出国手続きが終わると、そこはもう外国です。
手荷物検査を済ませれば、あとは搭乗を待つばかりです。
行ってらっしゃい!
空港は何度来ても飽きません。
デッキに出て飛行機の離着陸を見るのも楽しいですが、
私はターミナルビルのフロアやショップ、レストランの中で、
これから旅に出る人、帰ってきた人、の醸し出す混然とした雰囲気が好きです。
※いずれ第1ターミナルについてもショートトリップを
行うつもりです。

2階には銀行やカフェがあり、休憩にためのイスも多くあります。
1階の到着ロビーを見下ろせるように吹き抜けになっていますので、
フロアの面積はあまりありません。

全体に照明が暗く、静かで落ち着いた雰囲気なので、
出発までに時間がある人達がひと眠りする風景がよく見られます。

回廊のようになっている場所から1階の到着ロビーが見渡せます。

リフレッシュルーム、美容室、床屋が並んでいます。
この先に郵便局があったのですが、いまは4階に移っています。

喫煙コーナーです。
旅客機内は禁煙ですから、搭乗前に駆け込み喫煙です。
昔は機内に喫煙シートがありましたが、
愛煙家にとっては肩身の狭い世の中になりました。
次は国内線ターミナルに移動しましょう。

国内線ターミナルへ向かうコンコースは真ん中に動く歩道があり、
両側に広い通路があります。

搭乗ゲートへの通路です。
手荷物検査を済ませると、ここから先は小さな売店と軽食コーナーがあるだけです。
(こちらには2年以上入っていませんので、変わっているかもしれませんが・・・)

ターンテーブル前には誰もいません。
到着便が無い時間帯なのでしょう。
もう少し国内路線が増えると良いと思います。

それでも最近はLCCの乗り入れが増えてきました。
私が利用していた頃は、札幌、大阪、福岡、那覇へしか飛んでいませんでした。

LCCのチェックインカウンターは徹底的に省力化を図っています。
機械に弱い人は奥のカウンターで手続きをしていますが、
こちらの利用の方が圧倒的に多いのは皮肉ですね。

JALのカウンターは従来通りグランドサービス要員による手続きが主流です。
(カウンターは1階にあります)

搭乗機にはバスで向い、飛行機に横付けしてタラップを上ります。

1階に下りてきました。
到着ロビーです。
AゲートとBゲートの2か所のどちらからか到着した旅客が出てきます。
出迎えの人は到着便の旅客がどちらのゲートから出てくるか
チェックしておかないと大変です。

こちらがBゲート。

こちらがAゲートです。
到着便が少ない時間帯なので、閑散としています。

地元の野菜や花を売る小さなお店があります。
道の駅ならぬ「空の駅」です。


各地に直行するリムジンバスのターミナルです。
現在耐震工事のために、柱の全てがシートで覆われています。
バスを待つ人の表情は、“帰ってきた、やってきた”という安堵感や高揚感で、
3階の出発ロビーの人達とは違うように見えます。

国内線ターミナルの反対側のはずれにバニラエアのチェックインゲートがあります。
LCCの本格的な運航はまだ始まったばかりなので、いろいろな面で不便さが目立ちます。
LCC専用ターミナルの建設が進んでいますので、問題が解消されるのは近いと思います。

通関を終えた旅客がゲートがら出てきました。
周りには出迎えの家族、友人や小さなプラカードに名前を書いて待つ人達が
出迎えます。

続々と旅客が出てきます。
しばらくは混乱が続きます。
※明日は地階を中心に歩きます。
JRや京成で入ると、最初の駅が第2ターミナル、終点が第1ターミナルになります。
まずは手前の第2ターミナルをショートトリップしましょう。


空港には夢があります。
航空機の発着状況を知らせる電光掲示板には
世界の都市の名前が並んでいます。
行ったことのある都市の名前を見つけると、その景色がすぐに目に浮かびます。
まだ見ぬ景色を想像する、行ってみたい都市の名前もあります。

広い出発ロビーはターミナルビルの3階です。
旅行者のいろいろな想いが漂っています。

大きな荷物をカートに乗せた旅行者が行き交います。

チェックイン・カウンターの周辺にはいろいろなお店が並んでいます。
最近リニューアルした店舗が目立ちます。


出発ロビーの外側に高速バスの到着ターミナルがあります。
時間帯によっては荷物と人で大混雑する場所です。
天気が崩れてきて、辺りは暗くなってきました。
人やバスが少ないと、華やかな空港の雰囲気には似つかわしくない
寒々とした景色になってしまいます。

出発時間が近いカウンターは人がいっぱいです。
旅行への期待とちょっぴり不安が交錯する時間です。


団体の受付カウンターはまだ人がまばらです。
集合時間がまだなのでしょうか。
ロビーの中央では帰国する家族と見送る家族が写真を撮っています。
顔つきを見るとちょっとしたストーリーが見えますね。

4階はレストラン・ショップエリアです。
時間待ちする旅行者が、思い思いの時間を過ごしています。


外国人向けのおみやげを売る店が目立ちます。

強い雨が降ってきたので、残念ながら見学デッキには出られません。
コンコースの途中に、駐機中の飛行機が見られる場所がありますので、
今日はそこで我慢します。


第1ターミナルの見学デッキのように飛行機の離着陸を間近に
見ることはできませんが、天気の良い日には遠くまで見渡せる
気持ちの良いデッキです。

通路の端にフライトシュミレーターのゲームマシンがあります。
4階の通路から国内線ターミナル方向に向かう廊下の角にあるので、
直前まで行かないと見つからないため、ゲームをしている人は
あまり見かけません。(1回300円です)


軽食のコーナーやコンビニもあります。

出発ロビーには様々な安全上の配慮がなされていますが、
この大きな監視カメラには驚かされます。
見つけにくい場所に設置されていますから、威圧感はありません。

空が少し明るくなってきました。
長くなりますので、続きは明日にしましょう。
明日、明後日と3日連続でアップする予定です。
ところで、ここまで来て見学デッキからの飛行機を見ないのも残念です。
あらためて天気の良い時に出直してシャッターを押してきましたので
ちょっとご紹介しましょう。
見学デッキにでてみましょう。

滑走路が離れているため離着陸はあまり良く見えません。
その代りタクシーングする旅客機をじっくり見ることができます。
天気が良ければ遠く筑波山を見ることができます。



見えている長い通路は、搭乗ゲートへの通路です。
以前はここをケーブルカーのようなシャトルが走っていて、
“ああ、これから外国に行くんだ”という気分が味わえたものです。
明日は国内線のターミナルに向い、その後1階の到着ロビーをウロウロします。

三里塚交差点では、県道62号線と106号線が交差しています。
これでは何んとも味気がありませんね。
言い方を変えましょう。
多古街道と三里塚街道が交わるのが三里塚交差点です。

長い年月が表面を削った道標が交差点の傍に立っています。
道路に向かう南面には、「志バ山・九十九り」と何んとか読めました。

西側の面には、「○こ○(禰こ奈―案内板による)・さくら・江戸」、
北側には、「なりた・なめ川、」
東側には、「加茂・○○(多古)・てうし」
と彫られています。
今風の言い方ですと、「芝山・九十九里」「根木名(現富里)・佐倉・東京」
「成田・滑川」「加茂(現芝山)・多古・銚子」となります。
この交差点が昔からの交通の要衝だったことがわかります。
三里塚の“三里”とはどこからの三里でしょうか?
諸説ありますが、私は多古町の日本寺(にちほんじ)を起点として、
江戸までの道の三里目という説に一番説得力があると思います。
日本寺は中村檀林と呼ばれる日蓮宗の学問所があった由緒あるお寺で、
そこから一里目が染井(多古町)、二里目は加茂(芝山町)という説です。
そして、四里目は三里塚街道沿いの遠山(成田市)の法華塚になります。
江戸までに17カ所あったと言われています。

交差点の一角に浅間神社があります。
飾り気のない神社の前にある説明板はペンキがはげ落ちてよく読めません。
なんとか富士山信仰と浅間神社についての解説と、
明治19年に建之されたらしいことが読み取れました。
道標は、この浅間神社に隣接する駐車場の入り口近くにあります。

さて、三里塚と言う以上、どこかに“塚”があるはずです。
浅間神社の境内から四方を眺め渡してもそれらしいものは見当たりません。
ちょっと気になる景色がありました。
神社に隣接する公園の先に一段と高い2本の杉の木が見えます。
ちょっと離れていますが、とりあえず行ってみましょう。

杉の木を目指して裏道を2度ほど曲がると、
駐車場の角に「三里塚の地名のもとになったという塚0.1Km」と書かれた
小さな案内板がありました。

0.1Kmなんてありません。
目と鼻の先、ほんの20メートルほどのところに“塚”はありました。
でも、民家の庭先みたいなところです。
路地とも言えない狭いところを、恐る恐る進みます。

これが、“三里塚”です。
保存状態が悪く、残念ながら往時の面影はありません。
住宅に囲まれて、僅かに残る“塚”らしきものを
2本の杉が懸命に守っているように思えます。
“三里塚”という地名が、昔から旅人や荷物が行き交う、
歴史ある交通の要衝として記憶されるのではなく、
「空港反対闘争」の象徴的な地名として記憶されるのは、
こうした史跡の扱い方にも原因があると思えるのは私だけでしょうか?

交差点の角にはJRバスの停留所があります。
結構広い敷地に専用のスペースをとっています。
バスの先に見えるのはドライバーの待機所です。
多くのバスは三里塚が終点となりますが、一部は多古や八日市場まで走ります。

看板を見ると、「三里塚駅」と書いてあります。
ここは昔軽便鉄道が走っていた名残で、以前はまさに駅の待合室のような
停留所の“建物”が建っていました。
(軽便鉄道については別の機会に詳しく書く予定です)
まだ駅の名残の建物があった40年ほど前に、ここを通勤路にしていた私には、
この“駅”で時間待ちをするのんびりした時間が、とても好きでした。

交差点から62号線を芝山方向に進み、最初の信号を左折すると
正面に、天満天神社の鳥居が見えます。
遊具が見えるのは境内が保育園になっているからです。

遊具に旅客機があるのも、如何にも空港に近い三里塚の保育園ですね。

由緒のありそうな名前のお社ですが、説明板はどこにもありません。

破風板の先端が縦切りになっているので、ご祭神は男神様だと思うのですが・・・
(名前から推察すれば、多分菅原道真公だと思います)


来た道を戻る途中、62号線に出る手前の道を左に曲がると
面白い景色が広がります。
高い壁に囲まれた中は空港関係の施設ですが、
その壁に約100メートルにわたって壁画が描かれています。
三里塚の今と昔をテーマにした絵が並んでいます。
人通りの無い裏道ですが、ホッとする風景です。

壁画の反対側にあるガレージを見て驚きました。
柱に小さく「旧御料牧場厩舎」と書いた木札が掛っています。
“こんなところに残されていたのか”といううれしい思いと、
“ガレージになってしまったのか”という寂しい思いが交差します。

ガレージの隣は子安神社です。
案内板に「埴生郡駒井野村三里塚 明治15年建之」とあります。

お社の前に杉の大木が立っています。
人家に囲まれた一角ですが、木々の緑が
静かな空間を作っていました。
三里塚街道は時代の流れで大きく変わってしまいました。
昔から交通量の多い街道だったようですが、
近年の空港建設・開港により特に大きく変貌してきました。
でも、その中で道標や塚や寺や神社が、かろうじて息をひそめて生き残っています。
自然との調和、環境への配慮を十分にした開発を行い、
開発の波が“歴史”を消し去ることのないように願っています。
※三里塚交差点
JR成田駅東口からバスで約25分。
以前紹介した三里塚記念公園はバス停から徒歩3分。