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sausalito

Author:sausalito
成田は新しいものと旧いものが混在する魅力的な街。歴史を秘めた神社やお寺。遠い昔から刻まれてきた人々の暮らし。そして世界中の航空機が離着陸する国際空港。そんな成田とその近郊の風物を、寺社を中心に紹介して行きます。

■ ■ ■

多くの、実に多くのお寺が、明治初期の神仏分離と廃仏毀釈によって消えて行きました。境内に辛うじて残った石仏は、首を落とされ、顔を削られて風雨に晒されています。神社もまた、過疎化による氏子の減少や、若者の神道への無関心から、祭事もままならなくなっています。お寺や神社の荒廃は、古より日本人の精神文化の土台となってきたものの荒廃に繋がっているような気がします。   石仏や石神の風化は止められないにしても、せめて記録に留めておきたい・・・、そんな気持ちから素人が無謀にも立ち上げたブログです。写真も解説も稚拙ですが、良い意味でも、悪い意味でも、かつての日本人の心を育んできた風景に想いを寄せていただくきっかけになれば幸いです。                             このブログでは、引用する著作物や碑文の文章について、漢字や文法的に疑問がある部分があってもそのまま記載しています。     また、大正以前の年号については漢数字でカッコ内に西暦を記すことにしています。         なお、神社仏閣に関する記事中には、用語等の間違いがあると思います。研究者ではない素人故の間違いと笑って済ませていただきたいのですが、できればご指摘いただけると助かります。また、コメントも遠慮なくいただきたいと思います。

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伝承によれば2100年の歴史~式内社の「老尾神社」
今回は匝瑳市にある式内社の「老尾神社」です。

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老尾神社-1

「式内社(しきないしゃ)」とは、延長五年(927)にまとめられた「延喜式(えんぎしき)」の巻九と
巻十の「延喜式神明帳」に記載されている全国2861社の神社のことで、平安時代からの由緒
ある神社です。
「延喜式」は、延喜五年(905)に醍醐天皇によって当時の律、令、格についての施行細則を
記したもので、その完成には22年を要しました。

旧下総国内では、「香取神宮」、「麻賀多神社」、「蘇賀比咩神社」、「寒川神社」と、今回訪問の
「老尾神社」の五座しかありません。
「麻賀多神社」は論社として成田市台方と船形の二社に分かれ、「寒川神社」は千葉市中央区
の「寒川神社」と船橋市の「二宮神社」の二社に分かれます。
(「論社」とは、「比定社」とも呼ばれ、延喜式に記載されている神社と同一か、あるいはその
後裔と推定される神社のことです。)

なお、匝瑳市に隣接する多古町の「六所大神(ろくしょおおかみ)」は、「延喜式」には記載が
ありませんが、「式内社」であると主張しています。
1180年の歴史~六所大神 ☜ ここをクリック


老尾神社-2

参道の入口は県道16号線沿いの、県立匝瑳高校の向い側にあります。
入口の説明板には、江戸時代の「下総名勝図絵」にある、当時の「老尾神社」の様子が紹介
されています。


老尾神社-3

社号標は昭和60年に建立されたものです。


老尾神社-4

県道から細い山道を登ると、昭和55年に建立された鳥居が見えてきます。


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鳥居をくぐった100メートルほど先に拝殿が見えます。
式内社にしては、拍子抜けするほど質素な感じです。


老尾神社-52

参道の左右には、いくつかの祠が間隔を置いて並んでいます。
それぞれの祠は、参道が枝分かれするように数メートルの小道を持っています。


老尾神社-6

参道に入って15メートルほど進んだ右手への小道にある二基の祠。
向かって左は年代不詳の「道祖神」、右は社名は不詳ですが、「安永■子九月」と読めます。
安永年間で干支に子があるのは、安永九年(1780)ですから、230年以上前のものです。
「八日市場市史 下巻」(昭和62年)には、「老尾神社」の石造物の一つとして安永九子九月の
「阿夫利神」との記述があります。
他に安永年間の石造物はありませんので、この祠は「阿夫利神」ということになります。


老尾神社-8

さらに参道を15メートルほど進んだ右側の小道の先には、「石尊宮」があります。
「大天狗 小天狗」「嘉永元戊申」と読めます。
嘉永元年は西暦1848年になります。


老尾神社-9

「石尊宮」の向いの小道に先には「疱瘡神」があります。
「八日市場市史」には、文政十三年(1830)のものと記されています。


老尾神社-10

「疱瘡神」の少し先の左へ伸びる小道にある、「■永■子」と読める祠。
「八日市場市史」の記述から、該当するのは嘉永五年(1852)の「道祖神」のようです。


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「享和三癸亥」と読める祠。
享和三年は西暦1803年で、「八日市場市史」によれば「浅間社」のようです。


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「浅間社」の向いの小道にある「天神宮」。
「弘化四未」(1847)と読めます。


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式内社「老尾神社」は、香取神宮の御祭神である「経津主命(ふつぬしのみこと)」の御子神・
「阿佐比古命(あさひこのみこと)」を主祭神として、「磐筒男命(いわづつおのみこと)」・「磐筒
女命(いわづつめのみこと)」・「国常立命(くにのとこたちのみこと)」を配祀しています。

「老尾神社は初め匝瑳之大神と称したが、延喜式には里名をもって老尾神社と記載されている。
崇神天皇の七年、神田を授かり祭祀の則これより定まるという。 正平二四年五月回禄之災に
あい、千葉介平朝臣満胤が再建し現在に至る。 明治六年郷社に列した。」 

(「全国神社名鍳 昭和52年)
崇神天皇の七年とは紀元前91年と推定されますので、実に2100年もの昔になります。
正平二四年は西暦1369年になります。
(「回禄之災」とは、火事にあうこと。 回禄は中国の火の神のこと。)

「祭神は、阿佐比古命・磐筒男命・磐筒女命・國常立命を祀っています。敷地1,200坪の境内には、
本殿(亜鉛板葺)、拝殿(亜鉛板葺)が建ち並んでいます。物部匝瑳連熊猪が、祖先の物部小事
を祖神として祭ったとの、いわれがあります。平安時代の書物「延喜式」に登載された、由緒ある
神社の式内社です。延喜帝のときに香取神宮とともに式内に列せられました。古くから匝瑳市
(旧匝瑳郡)の一座で旧海上郡・旧匝瑳郡の総社であるとの御状を拝したと伝えられています。」
 (千葉県公式觀光物産ガイド「まるごとeちば」より)


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小さな手水舎があります。
手水盤は大正九年(1920)に寄進されたものです。


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神額の文字はほとんど消えて読めませんが、拝殿内部に掲げられている額にははっきりと
「延喜式内 老尾神社」と書かれています。


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拝殿の内部には神輿のような小さなお社と、匝瑳市からの文化財指定書が見えます。


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本殿の鰹木は三本、千木はありません。


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長い年月の風雪に削られて、彫りが浅くなっていますが、細かい彫刻が施されています。


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本殿の左奥に、木造の鳥居(平成21年建立)と「子安宮」があります。
右が昔からある祠で、「子安大明神」と刻まれ、「享和元酉年」と記されています。
享和元年は西暦1801年ですから、約220年前のものです。


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「子安宮」の後方、少し離れた場所に、巨大な木の幹が見えました。
近づいてみると、ご神木の大杉で、匝瑳市の天然記念物に指定されています。


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**********老尾神社-29

「御神木大杉は周囲二丈余亭々天を摩し、漁船出入の際目標となり、記念物として指定
されている。」
 (「全国神社名鍳 昭和52年)

地図で見ると、神社から海岸線までは直線距離で約8キロほどあります。
「全国神社名鍳」の刊行は昭和52年(1977)ですから、わずか40年ほど前まで、この大杉が
九十九里の海から見えていたわけです。
昔の漁師達にとっては、この大杉の存在感は絶大なものであったことでしょう。


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大杉から道を挟んだ路地の先に大きな石碑のようなものが見えています。


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近づいて見ると、それは板碑でした。


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匝瑳市の有形文化財に指定されていて、「胎蔵界大日如来」の種子が刻まれています。
資料によれば、文和二年(1353)のものだそうです。

周りは小さな墓地ですが、お寺は見当たりません。
「八日市場市史」には、「老尾神社の造営」の項に、
「同神社の別当は八日市場・見徳寺と生尾・光福寺の二か寺で、「見徳寺文書」に造営の記録
がある。」
 (P361)
と書かれています。
同書の362ページにある「生尾の耕地と集落」と題する地図には、「老尾神社」と道を挟んだ場所
に「光福寺」が記されています。
と、すると、ここは「老尾神社」の別当であった「光福寺」跡なのでしょうか?
ただ、WEBで検索すると「光福寺」は匝瑳市内の別の場所にあります。
その「光福寺」は、市内の飯塚にある歴史あるお寺で、生尾にあったという記録はありません。
現存の「光福寺」とは別の「光福寺」が「老尾神社」の側にあって、この板碑のある場所は、その
「生尾・光福寺」だったのではないでしょうか。


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正平二四年(1369)に社殿が焼失し、その後千葉氏によって再建されたものの、千葉氏の
衰退とともにこの「老尾神社」も衰退していったようです。
式内社としては何とも寂しい社殿と境内の風景ですが、掃き清められた参道と境内を見ると、
地元の人々の崇敬の念に護られて、長い、長い歴史を紡いできたことが感じられます。


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                          式内社・「老尾神社」  匝瑳市生尾75


テーマ:千葉県 - ジャンル:地域情報

匝瑳市の寺社 | 08:13:02 | トラックバック(0) | コメント(2)