
前々回の「ちょっと寄り道~成田山外周路の隠れた石仏」を取材している時、とても気になる石像
が近くにありました。
取材終了以降も何度か立寄ったのですが、この石仏が「愛染明王」なのか、「馬頭観音」なのか
の判断ができずにいました。

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初めてこの石像を見たときは、「馬頭観音」だと直感しました。
三面八臂の坐像で、所々に朱色の塗料がわずかに残っています。
頭上には馬頭冠を戴き、根本馬口印を結んでいるように見えます。
馬頭観音は立像が多く、坐像は珍しいのですが、いくつかの特徴がこの石像は「馬頭観音」
であると示しているように思えました。
数枚の写真を撮り、十メートルほど離れた場所にある「亀乗り薬師如来」や「十一面観音」、
「勢至菩薩」や「青面金剛」と共に紹介しようとしましたが、「成田山新勝寺史料集 別巻」
にこの石像が「愛染明王」であるとの記述を見つけ、前々回の紹介記事からはこの石像を
外すことにしました。
【文政元年(一八一八)十一月に成田村の藤藏らが建てた愛染明王像で、石工は庄吉である。
彫られた像は三面三目八臂の姿で円相を光背にして結跏趺坐し、頭部には獅子冠をいただく
姿となっている。像の前に建つ光明堂は大日如来を本尊としているが、本尊の脇に愛染明王
もお祭りしているので、この場所が適しているのである。】 (P54)
こうはっきり記されている以上、馬頭観音とは書けませんが、愛染明王にもいまひとつ納得が
できませんでした。

(外周路を隔てた境内にある光明堂)

光明堂が現在の場所に移設されたのは安政二年(1856)のことですから、その四十年も前
の文政元年に、すでにこの場所に愛染明王像を置くとは少々出来過ぎな話に思えます。
もっとも、移設された光明堂に愛染明王が安置されていることから、他所にあった愛染明王像
をこの場所に持ってきた、とも考えられます。

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何回も通ってあれこれ眺めましたが、自信が持てないままに記事を見送っていました。
周りに建つ石碑は、いずれも明治時代の護摩木山の碑や永代御膳料の碑ばかりで、この
石像が移設されたものであることを強く示しているように思えます。

(奈土・昌福寺境内の愛染明王像)

(印西・松虫姫神社境内の愛染金剛像)
【 髪を逆立て、獅子冠を戴き、三目六臂(三つの目と六つの宛を備えた形)で、冠上に五鈷
(インドから伝った仏具)を飾り、三眼で牙をむき出し、蓮華、弓矢、宝鈴、五鈷杵をそれぞれ
の手に握って、赤い火焔の円相を背にして、宝瓶に活けられた赤蓮華台に結跏趺坐している】
(「日本仏像大全書 四季社 2006年」 P29~30 愛染明王)

細かいところはともかく、この石像の特徴は、愛染明王像にほぼ一致しているように見えます。

しかし、何度見ても頭上にあるのは獅子冠ではなく、馬頭に見えてしまいます。
これまでに多くの馬頭観音像を紹介してきましたが、そのいくつかを並べてみても、いずれも
頭上には面長の馬頭を戴いています。

(南羽鳥・観音寺)

(富里・昌福寺)

(富里・新橋観音堂)

(小泉・自性院)

(一坪田・宝蔵院)
さて、三ヶ月もの間悩んできたことが、実に簡単なことから一気に解消することになりました。

先日、思い立って早朝の成田山を訪ねた時、いつも見ていた日中とは違う角度の日当りが、
石像の凹凸を浮き上がらせてくれたのです。
斜めから、上から、下から、と何度も目を凝らして眺めていた石像が、これまでとは全く違う
表情を見せてくれたのです。

頭上にあるのは紛れもなく「馬頭」でした。


今までどうしてこのようにはっきりと見えなかったのか?
ピンと張った耳、ふさふさとしたたてがみ、見開いた両目、大きく開いた鼻・・・、立派な馬頭です。
この石像は「愛染明王」ではなく、「馬頭観音」でした。


体の正面で結んでいる印は、愛染明王の「根本愛染印」ではなく、「根本馬口印」です。

「馬頭観音」は、他の観音像が女性的で穏やかな表情であるのに対して、一般に憤怒相で
あることが特徴です。
このため、密教では「馬頭明王」と呼ばれて明王部に分類されることもあります。
近世以降は国内の流通の活発化に伴い、荷運びの手段として馬が頻繁に使われるように
なり、事故や病気などで死んだ馬の供養のために建てられることが多くなりました。
「馬頭観音」または「馬頭観世音菩薩」などと文字のみを刻むことがほとんどで、石像が刻まれ
ているものは少ないようです。

この馬頭観音像は、前々回の「ちょっと寄り道~成田山外周路の隠れた石仏」で紹介した
四体の石仏群から、新しくできた醫王堂へ向かって十メートルほど進んだところにあります。
(薬王寺に下る坂の降り口、左側になります。)

「亀乗り薬師如来」などの石仏群からは、石像の上部がわずかに見えます。(矢印)
裏門からの外周路は、実は「平和大塔」への近道で、注意しながらゆっくり歩くと、いろいろと
おもしろいものが見つかります。

(のぞき小僧)

(包丁塚)

(珍しい石仏群)

(新しくできた醫王殿)


表参道から総門をくぐり、仁王門から石段を大本堂へと上る王道コースを外れて、裏門から
外周路をのんびり散策すると、思わぬ発見があるかもしれません。
額堂と光明堂の裏側を見ながら、「醫王堂」と「平和大塔」にお参りするのはいかがでしょう。
きっと奥様はたくさんの仏様に守られ、今も幸せでいらっしゃるのかなぁと感じました。
やはり仏様も、自分に興味を持ち調べてくれている人間を守りたいものだと思うのです。
世の中は色々なことがありますが、喜んだり怒ったりしながら、最後は前を向いて、ていねいにに生きていきたいと思います(*^^*)
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> このブログの最大の応援団であった妻のためにも、もう少し頑張ってみようと思います。
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