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■プロフィール

sausalito(船山俊彦)

Author:sausalito(船山俊彦)
成田は新しいものと旧いものが混在する魅力的な街。歴史を秘めた神社やお寺。遠い昔から刻まれてきた人々の暮らし。そして世界中の航空機が離着陸する国際空港。そんな成田とその近郊の風物を、寺社を中心に紹介して行きます。

このブログでは、引用する著作物や碑文の文章について、漢字や文法的に疑問がある部分があってもそのまま記載しています。また、大正以前の年号については漢数字でカッコ内に西暦を記すことにしています。なお、神社仏閣に関する記事中には、用語等の間違いがあると思います。研究者ではない素人故の間違いと笑って済ませていただきたいのですが、できればご指摘いただけると助かります。また、コメントも遠慮なくいただきたいと思います。

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記事中での引用や、取材のために良く利用する書籍です。文中の注釈が長くなるのでここに掲載します。                     

■「千葉縣印旛郡誌」千葉県印旛郡役所 1913年         ■「千葉縣香取郡誌」千葉縣香取郡役所 1921年        ■「成田市史 中世・近世編」成田市史編さん委員会 1986年    ■「成田市史 近代編史料集一」成田市史編さん委員会 1972年   ■「成田の地名と歴史」大字地域の事典編集委員会 2011年    ■「成田の史跡散歩」小倉 博 崙書房 2004年 

■訂正一覧

掲載後判明した誤りやご指摘いただいた事項と、その訂正を掲示します。 【指】ご指摘をいただいての訂正 【訂】後に気付いての訂正 【追】追加情報等 → は訂正対象のブログタイトル     ------------ 

【指】2016/5/26の「成田にもあった!~二つの「明治神宮」中にある古老の発言中に「アザミヶ里」とあるのは、「アザミガサク」の間違いでした。(2023/10/25成田市教育委員会より指摘をいただきました。) 【指】2021/11/22の「此方少し行き・・・」中で菱田を現・成田市と書いていますが、正しくは現・芝山町です。                【指】2015/02/05の「常蓮寺」の記事で、山号を「北方山」としていますが、現在は「豊住山」となっています。[2021/02/06]      【追】2015/05/07の「1250年の歴史~飯岡の永福寺」の記事中、本堂横の祠に中にあった木造仏は、多分「おびんづるさま」だと気づきました。(2020/08/08記) 【訂】2014/05/05 の「三里塚街道を往く(その弐)」中の「お不動様」とした石仏は「青面金剛」の間違いでした。  【訂】06/03 鳥居に架かる額を「額束」と書きましたが、「神額」の間違い。額束とは、鳥居の上部の横材とその下の貫(ぬき)の中央に入れる束のことで、そこに掲げられた額は「神額」です。 →15/11/21「遥か印旛沼を望む、下方の「浅間神社」”額束には「麻賀多神社」とありました。”  【指】16/02/18 “1440年あまり”は“440年あまり”の間違い。(編集済み)→『喧騒と静寂の中で~二つの「土師(はじ)神社」』  【訂】08/19 “420年あまり前”は計算間違い。“340年あまり前”が正。 →『ちょっとしたスポット~北羽鳥の「大鷲神社」』  【追】08/05 「勧行院」は院号で寺号は「薬王寺」。 →「これも時の流れか…大竹の勧行院」  【追】07/09 「こま木山道」石柱前の墓地は、もともと行き倒れの旅人を葬った「六部塚」の場所 →「松崎街道・なりたみち」を歩く(2)  【訂】07/06 「ドウロクジン」(正)道陸神で道祖神と同義 (誤)合成語または訛り →「松崎街道・なりたみち」を歩く(1)  【指】07/04 成田山梵鐘の設置年 (正)昭和43年 (誤)昭和46年 →三重塔、一切経堂そして鐘楼  【指】5/31 掲載写真の重複 同じ祠の写真を異なる祠として掲載  →ご祭神は石長姫(?)~赤荻の稲荷神社 

■ ■ ■

多くの、実に多くのお寺が、明治初期の神仏分離と廃仏毀釈によって消えて行きました。境内に辛うじて残った石仏は、首を落とされ、顔を削られて風雨に晒されています。神社もまた、過疎化による氏子の減少や、若者の神道への無関心から、祭事もままならなくなっています。お寺や神社の荒廃は、古より日本人の精神文化の土台となってきたものの荒廃に繋がっているような気がします。石仏や石神の風化は止められないにしても、せめて記録に留めておきたい・・・、そんな気持ちから素人が無謀にも立ち上げたブログです。写真も解説も稚拙ですが、良い意味でも悪い意味でも、かつての日本人の心を育んできた風景に想いを寄せていただくきっかけになれば幸いです。

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駅舎も無い無人駅~JR成田線「大戸駅」
「大戸駅」はJR.成田線の無人駅です。

大戸駅-1

踏切の際から、跨線橋を上り、ホームに直接下ります。
駅舎も、改札口もありません。


大戸駅-2
大戸駅-3

踏切から佐原方面の景色です。


大戸駅-4

駅の看板(?)は跨線橋にあります。

「大戸駅」はJR東日本の成田線の駅で、大正十五年(1926)の開業です。
今年で開業90年になります。


大戸駅-5

跨線橋の上から成田方面を見ています。


大戸駅-6

こちらは佐原方面です。


大戸駅-7

跨線橋からホームに下りたところに改札口代わりのゲートがあります。

大戸駅-8
*****大戸駅-9

入場ゲートは跨線橋側に向いていて、出場ゲートはホーム側に向いています。
平成21年からSuicaが使えるようになりました。


大戸駅-10
大戸駅-30  大戸駅の乗車駅証明書
************** 大戸駅-01

Suicaを持っていない人は、この「乗車駅証明書発行機」のボタンを押して乗車駅証明書を
抜き出し、降車駅の窓口で精算します。

同じ無人駅の「久住駅」にも、この「乗車駅証明書発行機」がありました。

久住駅ー1
********** 久住駅ー4
久住駅ー34

「久住駅」 ☜ ここをクリック


大戸駅-22

「着札乗車券箱」が跨線橋の上に括り付けられています。
切符で乗車してきた人は、ここに切符を入れます。


大戸駅-11   1番線側の待合室
  2番線側の待合室   大戸駅-12

大戸駅-13

成田方面の隣駅は下総神崎(しもうさこうざき)、銚子方面の隣駅は佐原(さわら)です。

大戸駅-14
大戸駅-15

向かって左側(跨線橋から下りると右側)が1番線で、上下線共にこちら側を使いますが、
行き違いがあるときだけ2番線が使われます。


大戸駅-16

長いホームです。(成田側の端から佐原方向を見ています。)

大戸駅-17 9まではあるけど10はない
 8両が最長だと思います 大戸駅-18


大戸駅-23
大戸駅-19

駅の南側はこんな景色です。


大戸駅-21
大戸駅-24

踏切を挟んで北側はこんな景色です。
「駅前」が無い、って感じですね。


大戸駅-32
大戸駅-33

線路沿いの道を成田方向に150メートルほど行くと、大戸神社の「御休所之跡」があります。
祭礼の際、神輿が立ち寄る「御旅所」のような所でしょうか。
「跡」となっていますので、現在は利用されていないのでしょう。


大戸駅-34
大戸駅-35

石造りのお社と御神燈には平成15年と記されています。


大戸駅-36
大戸駅-37

すぐ前の線路を電車が通過して行きます。


大戸駅-45
大戸駅-38
********** 大戸駅-39

駅と「御休所跡」の間に「縣社大戸神社道の碑」と記された石碑が建っています。
側面に「大正拾五年建立」とあります。
昔はこの道が御休所の前を通って大戸神社へ向かう主要道であったわけですが、今ではその
面影はありません。
この石碑が建てられた大正十五年は、大戸駅が開業した年でもあることが、建立をめぐる複雑
な想いのようなものを感じます。

大戸駅から歩ける距離には、以前に紹介した「大戸神社」や「地福寺」、「禅昌寺」、そして次回
紹介予定の「浄土寺」などがあります。

**大戸神社-2 大戸神社
**地福寺-1 地福寺
**大戸駅-00 禅昌寺
**大戸駅-55 浄土寺


大戸駅-40
大戸駅-51
大戸駅-52

平成10年頃までの一日の平均乗車人数は400人を超えていましたが、その後減り続けて、
現在の一日の平均乗車人数は200人程度になっているようです。
平成18年の平均乗車人数は243人でしたが、「佐原市史」には昭和27年の年間乗車人数
が、185,795人(1日平均約509人)であったとありました。

電車が到着し、すぐに発車して行きました。

この電車に乗車した人は一人、降車した人は二人でした。
電車が去って、また誰もいないホームに戻ります。


大戸駅-41
大戸駅-42
********** 大戸駅-43

線路脇の茂みから猫が一匹悠然と現れました。
この駅が縄張りなのでしょうか?
時刻表が頭に入っているかのように、しばらくの間ホームを歩いたり線路に下りたり・・・。

次の電車までは1時間はあります。


大戸駅-56

                         ※ 「JR大戸駅」 香取市大戸川11


テーマ:千葉県 - ジャンル:地域情報

鉄道・駅 | 08:02:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
早朝と夜間は無人駅~印旛沼が見える「下総松崎駅」
松崎駅ー39

「下総松崎駅」はJR成田線我孫子支線の駅で、成田の隣の駅です。

明治三十四年(1901)に当時の成田鉄道の「松崎駅」として開業し、大正九年(1920)
に日本国有鉄道となって「下総松崎駅」に改称されました。


松崎駅ー27
松崎駅ー30
松崎駅ー32

ホームは2本、1番線は成田行き、2番線は我孫子方面行きで、跨線橋で連絡しています。
1番線の表示は、成田の他に乗り換えで行ける千葉と佐原とが書かれて、2番線の表示は、
隣駅の安食の他に、我孫子から一部直通で行ける上野やその先の品川、さらに反対方向
の水戸までが書かれています。


松崎駅ー31
松崎駅ー29
松崎駅ー28

「下総松崎」と書いて「しもうさまんざき」と読みます。
でも、ローマ字表示では「しもーさまんざき」ですね。

ところで、成田線の我孫子支線にはこの下総松崎の他に、我孫子(あびこ)、安食(あじき)
などの難読駅があります。
この他支線には10の駅がありますが、新木(あらき)、布佐(ふさ)、木下(きおろし)などは
難読駅ではないものの、よく間違えられて呼ばれます。


松崎駅ー35
松崎駅ー33

ホームは12両編成が停車できるだけの長さがありますが、実際は10両編成までしか
運用されていませんので、停車位置表示は10両用のみです。


松崎駅ー34

長いホームを安食方面の端まで行くと踏切が見えました。
駅舎を出て、付近を散策してみましょう。


松崎駅ー4
松崎駅ー3
松崎駅ー45

駅舎を出ると、構内にはたくさんの実を付けた柿の木や、今や街中では見かけなくなった
公衆電話ボックスが目に入ります。


松崎駅ー5

これが駅前のメインストリート(?)で、小さな商店が2軒あるだけです。


松崎駅ー6

駅前の山は紅葉が始まっています。


松崎駅ー9

ホームから見えた踏切に着きました。
「大竹踏切」と書かれています。


松崎駅ー7  踏切から見た成田方面
松崎駅ー8  踏切から見た安食方面  

我孫子支線は駅の構内だけが複線で、あとは単線です。


松崎駅ー10

踏切を渡るとすぐに墓地がありました。
柵も何も無く、細い道に沿って広がっています。


松崎駅ー11 二又の道端に建つ地蔵像
松崎駅ー12 板碑には南無阿弥陀佛と…
松崎駅ー14 不動明王が彫られた墓石


松崎駅ー15

墓地から見える駅の跨線橋。


松崎駅ー19
松崎駅ー18

墓地の反対側を行くと、知る人ぞ知る和菓子の名店「大竹堂」があります。
周りに何もない、分かりにくい細道の奥という立地条件の悪い場所ですが、地元の人達
の他にも多くのファンがいるお店です。


松崎駅ー20
松崎駅ー21

目線の先に見えているのは、「松崎街道」の項で紹介した「成田街道踏切」です。


松崎駅ー22
松崎駅ー23

駅に向かって帰る道は「松崎街道」です。
左に上って行く道は「坂田ヶ池総合公園」や「房総のむら」へ向かっています。


松崎駅ー25
松崎駅ー43
松崎駅ー46

木造平屋の駅舎は、こじんまりとして温かみが感じられ、最近めっきり数が減ってきた燕が
毎年巣を作るための場所をしっかり用意していたりします。


松崎駅ー47
松崎駅ー48

出札口には「営業時間 7:05~18:20」と書かれています。

この駅は、「JR千葉鉄道サービス株式会社」が駅の業務を受託している業務委託駅に
なっていますが、駅員は午前7時5分から午後6時20分の間のみ駐在し、それ以外の
時間は無人駅になります。
無人駅となる時間帯にこの駅から乗車する人は、「乗車証明書発行機」から乗車証明書
を取って入場する必要があります。
この「乗車証明書発行機」は、無人駅の「久住駅」にもありました。

久住駅ー3 久住駅の乗車駅証明書発行機

穏やかな時間が流れる無人駅~「久住駅」 ☜ ここをクリック


松崎駅ー26

遠くに北総線の高架が見えています。
成田線は北総線の成田湯川駅のホーム下をくぐって成田に向かいます。

成田で一番新しい駅、成田湯川駅 ☜ ここをクリック


松崎駅ー36
松崎駅ー1

我孫子行きの電車が2番線に入るとすぐに1番線に成田行きの電車が入ってきます。
我孫子支線には、日中は1時間に2本、通勤・通学時には3本の電車が走ります。


松崎駅ー37
松崎駅ー38

跨線橋の上からは、遠く印旛沼が望めます。


松崎駅ー40
松崎駅ー44

電車が行ってしまうと、ホームにも改札口にも人影が見えなくなります。
1990年から2003年までは900人以上あった一日平均の乗車人数(降車は含まず)は、
その後徐々に減少し、2014年の一日平均の乗車人数は722人となっています。


松崎駅ー41

秋の日差しが暖かい、のんびりした「下総松崎駅」です。


松崎駅ー50


                      ※ 「下総松崎駅」 成田市大竹340



テーマ:千葉県 - ジャンル:地域情報

鉄道・駅 | 07:24:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
関東の駅百選~周辺の開発が進む「公津の杜駅」
公津の杜ー8

「公津の杜駅」は平成6年の開業。
平成9年に「関東の駅百選」の第一次の選定駅となっています。
(選定理由=「ホームに透明な幕を使用した美術館を思わせるモダンなデザインの駅」)

この「関東の駅百選」には、「成田空港駅(JR・京成)」も選定されています。
近隣では印西市の北総鉄道の2駅(印西牧の原駅・印旛日本医大駅)が選定されています。

「このニュータウンの玄関駅、公津の杜駅は、ベージュ色の砂岩の外壁と、アーチ状の
ガラス製カーテンウォールを用いた、近代的デザインの鉄骨造3階建て駅舎を持って
います。2階はテナント、1階部分がコンコース、半地下部分が相対式ホームという、
電車通過音を抑えたつくりになっています。」

(「京成電鉄のひみつ」 2013年 PHP研究所 P68)


公津の杜ー10
公津の杜ー11

広々とした駅前広場。
車は手前のロータリーで回転させられますので、駅に横付けすることはできません。


駅前広場を囲むのは、ユアエルムとイトーヨーカ堂、しゃれた駅前交番、マンション群と建築中
の「国際医療福祉大学成田キャンパス」。

公津の杜ー7
***********公津の杜ー6
公津の杜ー9
***********公津の杜ー5


公津の杜ー12

駅のコンコースに置かれている「陽琴」と題されたモニュメント。


公津の杜ー13
公津の杜ー15

コンコースは吹き抜けになっていて、2階・3階はオフィスになっています。
LCCの春秋航空日本をはじめ数社の事務所が入居しています。


公津の杜ー38
公津の杜ー40

春秋航空のオフィスの内部がチラリと見えています。
大きな旅客機の模型が置かれています。


公津の杜ー17
公津の杜ー16

1番線は上野方面、2番線は成田空港方面です。
上野方向は都営地下鉄と京浜急行に乗り入れ、三崎口まで一気に行くこともできます。
空港方面は成田から空港第2ビル・成田空港へ向かう空港線と東成田を経て芝山千代田へ
向かう芝山鉄道線に分かれます。
最近は特急も止まるようになりました。

忘れられた駅、「成田空港駅」(東成田) ☜ ここをクリック
日本一短い私鉄、芝山鉄道(芝山千代田) ☜ ここをクリック


公津の杜ー18

2番線ホームから1番線ホームを見ています。


公津の杜ー22
公津の杜ー23

2番線に成田空港行きの特急電車が入ってきました。
平日の日中、空港方面に向かう人は少ないようです。


公津の杜ー24
公津の杜ー25

続いて1番線に上野行きの特急電車が入ってきました。
浅草や銀座、京浜急行方面へは、青砥で乗り換えです。


公津の杜ー27
公津の杜ー28
公津の杜ー26

ホームは半地下になっています。
駅を出るとしばらくはマンション群に見下ろされる形で走ります。


公津の杜ー31
公津の杜ー33
公津の杜ー1

成田駅方面は駅舎の下をくぐって行きます。
ちょっと走ると成田日赤病院のすぐ下を通過します。


公津の杜ー35

ホームを見下ろすマンション。


公津の杜ー36
公津の杜ー37

上下線が出た後は、ホームに人影がほとんど見えなくなります。
ホームと改札口・コンコースの間はエレベーターも使えます。


公津の杜ー39

駅の周りを逆時計回りで少し歩いてみましょう。


駅前にはまだ空き地が… 公津の杜ー41
公津の杜ー42

公津の杜ー44
公津の杜ー45

線路沿いの道からはホームがけっこう下に見えます。


公津の杜ー46

跨線橋の上から、「宗吾参道駅」方面を見ています。

トンネルと車両基地~宗吾参道駅 ☜ ここをクリック
 
公津の杜ー47
******公津の杜ー48
公津の杜ー49

公津公園は良く整備された公園で、市民の憩いの場となっています。
水辺の散策路やアスレチック、パークゴルフ、野球やサッカーができるグランドなどがあります。
私の記憶では、ここは昔、遊水池のような窪地だったと思います。


公津の杜ー50
公津の杜ー52
公津の杜ー51

大型マンションが何棟も続き、大作台街区公園を挟んだ反対側には戸建ての住宅が並びます。


公津の杜ー53

「公津の杜小学校」。
平成18年に急激な宅地化の進行で児童数が増加し、手狭になった平成小学校から分離
して開校されました。
平成26年4月時点で26学級、児童数769名となっています。


公津の杜ー54
公津の杜ー56

公津の杜小学校に向かいあって建つ「もりんぴあこうづ」。
平成25年7月の開所です。

公民館機能を持つコミュニティセンター、子育て支援センター、図書館分館等があります。
多目的ホールや市民ギャラリー、工芸スタジオ等では頻繁にイベントが開催されています。


公津の杜ー62

こちらは平成2年開校の「平成小学校」。
公津の杜駅からの距離は「公津の杜小学校」とほぼ同じで、現在の児童数は523名、
20学級となっています。


公津の杜ー64

「平成小学校」の校庭の先に見えるのは、「成田市場」です。
正式名称は「成田市公設地方卸売市場」。
昭和49年に青果市場として開場し、現在は水産、食肉、業務用食材も扱っていて、北総の
食料品流通の拠点としての役割を担っています。


公津の杜ー60

駅前に戻ってきました。
この通りは成田ニュータウンの中心部に向かっています。


公津の杜ー43
公津の杜ー4


駅前に建築中の「国際医療福祉大学成田キャンパス」は竣工に向けて急ピッチで工事が
進んでいます。
平成7年の設立で、栃木県大田原市に本部を置き、全国6ヶ所にキャンパスを展開する
日本初の医療福祉を専門とする総合大学です。
2016年4月の開校予定で、看護学部と保険医療学部が設けられます。


公津の杜ー58
公津の杜ー59
公津の杜ー61

1日平均の乗降人数は平成26年に1万人を超えました。
駅前からは宗吾霊堂行きのバスをはじめとする路線バス・コミュニティバスが発着します。
東京への深夜バスやディズニーランドへの路線も通り、今も続く宅地造成や大学の開校など、
駅の周辺はまだまだめまぐるしく変化して行きそうです。


公津の杜ー65


                   ※ 「公津の杜駅」 成田市公津の杜4-11-2




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鉄道・駅 | 07:44:24 | トラックバック(0) | コメント(2)
トンネルと車両基地~宗吾参道駅
宗吾参道ー1

この景色、どこだか分かりますか?


宗吾参道ー2

宗吾参道駅は酒々井町と成田市の境目近くにあります。(駅は酒々井町です)
昭和3年に「宗吾駅」として開業しましたが、当時の駅はトンネルの直前にありました。
昭和26年に「宗吾参道駅」に改称され、昭和57年に現在地に移転しました。
昔の駅は無人駅で、発車して直ぐにトンネルに入る景色は子供たちに人気でした。
地下に潜る上野駅を除けば、京成本線では唯一のトンネルです。


宗吾参道ー3

東口です。
とは言っても表示があるわけではなく、東西に2つある出入り口を私が勝手に呼んでいます。


宗吾参道ー4

東口にはまばらに人家があるだけです。


宗吾参道ー5

回送中のスカイライナーが停車しています。
こんな近くで、しかもこんな角度で見ることができるのは、多分ここだけでしょう。
鉄道ファンなら是非訪れてみたい場所のはずです。


宗吾参道ー6

階段を上って橋上のコンコースに出ました。
改札口は右側にあります。


宗吾参道ー7

2・3番線のホームです。
「日暮里・上野・日本橋・東銀座・京急線方面」と表示されています。
相互乗り入れで、都営地下鉄・京浜急行とつないで、三崎口まで直通で行くことができます。


宗吾参道ー8

昔の駅は踏切の向こう側、トンネルの入り口にくっつきそうな場所でした。


宗吾参道ー9
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宗吾参道ー10
宗吾参道ー15

トンネルの反対方向(上野方向)には、京成電鉄最大の車両基地が広がっています。
広さは103,947㎡で、240両の車両を留置することができます。
車両の検査、修理、塗装、洗浄などが行われ、運転手の養成を行う「京成電鉄研修所」も
この中にあります。


宗吾参道ー11

1番線に来ました。
2番線には上野行きの電車が入ってきます。
こちらのホームには「成田空港・東成田方面」と表示されています。


宗吾参道ー13
宗吾参道ー14

ホームから見える景色はのどかな田園風景です。


宗吾参道ー16

電車が発車した後の2つのホームには人影がありません。


宗吾参道ー17

駅から徒歩約5分で「酒々井ちびっこ天国」があります。
大きなプールがあり、開園期間は7月中旬から8月いっぱいです。
古い施設ですが複数のプールがあり、比較的すいていますから、電車で来ることができます
から子供連れには穴場だと思います。


宗吾参道ー19

日中の改札口は物音ひとつしない静かさです。
平成14年度の1日の乗降客数は平均2536人でした。
京成全駅69駅中の63位でしたが、それでも近年は宅地開発が進み、徐々に利用客が
増えているようです。


宗吾参道ー21

トンネルの脇を登って行く細い道がありますので、登ってみることにします。
このトンネルの上は成田市です。


宗吾参道ー22

すぐ脇をスカイライナーが走って行きます。
この時間帯はスカイライナーはスカイアクセス線を走っているはずですから、これは車両基地
から成田空港に向かう回送電車です。
成田空港駅からは乗客を乗せてスカイアクセス線を走って行くことになります。


宗吾参道ー24
宗吾参道ー23
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宗吾参道ー25
急な坂道を登ったところには京成電鉄の変電所がありました。


宗吾参道ー20
宗吾参道ー26
宗吾参道ー27宗吾参道ー28
東口を出ると大きな鳥居が見えます。
駅を出てすぐのところには石灯籠があり、いかにも参道のような景色なのですが・・・。


宗吾参道ー29

昔の参道の名残でしょうか、道端に桜の古木が数本立っています。
この桜の反対側は成田市です。


宗吾参道ー30

宗吾霊堂へはひたすら坂道を登って約20分です。
宗吾参道とはいうものの、成田山のような参道風景があるわけでもなく、参拝客の多くは
隣の公津の杜や成田からバスで宗吾霊堂に向かいます。

「宗吾参道駅」はのどかな田舎の駅の風情です。
     

            ※ 「宗吾参道駅」 印旛郡酒々井町下岩橋432-1



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鉄道・駅 | 18:32:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
成田で一番新しい駅、成田湯川駅
成田湯川駅は平成22年7月開業の、成田市内で一番新しい駅です。

湯川駅ー1


この駅の周辺路線の運営は非常に複雑で、成田湯川駅と両隣の印旛日本医大駅と
空港第2ビル駅との間は第3セクターの成田高速鉄道アクセス株式会社のもので、
運用は京成電鉄が行っています。
成田高速鉄道株式会社の大株主は成田空港株式会社で54.5%の株を保有しています。

京成高砂駅から成田空港に至る路線は、一般にスカイアクセス線とか北総線とか呼ばれ
ていますが、正式には次のようになっています。
京成高砂駅~小室駅間は、第1種鉄道事業者の北総鉄道株式会社が、小室駅~印旛
日本医大駅間は、第3種鉄道事業者の千葉ニュータウン鉄道株式会社が、そして、印旛
日本医大駅~成田空港高速鉄道線接続点(土屋のイオンモール付近)間は、第3種鉄道
事業者の成田高速鉄道アクセス株式会社が、さらに成田高速鉄道アクセス線接続点~
成田空港駅間は、第3種鉄道事業者の成田空港高速鉄道株式会社(アクセス(株)とは
別会社)が保有するという複雑さです。
成田高速鉄道の路線は京成成田駅から成田空港までですが、イオンモール付近で成田
高速アクセス線と合流しています。
この路線の運賃の高さは、この辺が影響しているのでしょう。


湯川駅ー4
湯川駅ー3

少し離れた山の上からこの駅を見ると、電車が3階部分に止まっているのが見えます。


湯川駅ー28
湯川駅ー26

改札口に人影はありません。


湯川駅ー25

1階のコンコースには淡い色彩の大きなステンドグラス。
駅舎としては珍しい演出です。


湯川駅ー27

2階へはエスカレータとエレベーターで。
階段で登るにはいささか・・・。


湯川駅ー5

2階もとても広いコンコースです。
ちょっとしたイベントが開けそうです。


湯川駅ー7
湯川駅ー8
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湯川駅ー6
湯川駅ー23
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湯川駅ー24
ホーム階へのエスカレーターもこの長さです。
ここはエレベーターで上りました。


湯川駅ー9

空港行きのホームです。
乗客は1人もいません。
この先は空港第2ターミナルと成田空港駅の2駅のみです。


   ホームの待合室   湯川駅ー11
湯川駅ー12   電光掲示板

湯川駅ー14
湯川駅ー15

ふと外を見ると100メートルほど先で何やら工事が行われています。
トンネルを掘っているように見えますが、良く見ると踏切がありました。
仮設の踏切のようで、下の細い道から木組みの階段が設けられています。
工事の上は線路のようです。
と、すると、この工事はトンネルではなく、線路をくぐるガード工事ですね。
線路はJR成田線でしょうか?


湯川駅ー19
湯川駅ー20

いったん2階のコンコースに降りて、高砂、上野方面のホームに出ました。
ちょうど電車が入ってきました。
乗車した人が10名程度、降車した人はいません。
この駅の2013年度の1日あたりの乗降者数は1284人でした。

この電車は羽田空港行きでした。
成田空港高速鉄道線~成田空港高速アクセス線~千葉ニュータウン鉄道線~北総鉄道線
~京成電鉄本線~京成押上線~都営地下鉄浅草線~京浜急行本線~京浜急行羽田線と
串刺しにして走って行くわけです。


湯川駅ー16
湯川駅ー17

ホームから見える景色は成田ニュータウンの北の外れで、まだ開発は進んでいません。
遠くにニュータウンのランドマーク、NTTの鉄塔が見えます。


湯川駅ー21

いきなり背中をスカイライナーが通過して行きました。
この駅は線路が4本あって、高速で通過するスカイライナーのためにホームの間に上下2本
の通過線が設置されています。
高砂方向からは複線ですが、この駅から空港へ向かっては単線になります。
複線から単線へ、しかも高速の電車が通過するポイントは、大変な負荷がかかります。
ここに使われている分岐器は、日本最大級の38番分岐器です。
(本線と分岐線が1メートル離れるまでに必要なレールの長さを番数で表します。 例えば、
20メートル進んで1メートル離れるのなら、20番となります。 つまり、この駅の先では
38メートル進んで1メートル離れるわけです。)
この駅を通過するスカイライナーは時速160キロ程度ですから、相当長い距離を使う必要
があるのですね。


湯川駅ー22

ホームから下を覗くと線路が見えます。
この駅の下を潜っています。
間違いなくJR成田線で、先ほどのガード工事の場所に続いているのです。


湯川駅ー30
湯川駅ー31

改札を出て駅前のロータリーに出ました。
駐輪場の上を成田線の電車が通過して行きます。
こんな近くで交差しているのなら、JRもここに駅を作れば便利になるのに・・・と、誰もが
思うのですが、JRにしてみれば、我孫子方面から空港に向かう乗客を取られる心配が
あり、また現在のような利用客数では魅力がないのでしょう。


湯川駅ー32
湯川駅ー33
湯川駅ー34

駅前のロータリーを出たところに「千波が池(千把ヶ池)跡」の碑があります。
このお地蔵様の前にはかつて千把ヶ池という幅90メートル深さが1メートルの池があり、
辺り一面萱原だったそうです。
ここには、「地主が子守に娘を背負わせたまま、萱を千把刈り取るように命じたところ、
千把目を刈り取った時に背負った娘の首が落ちてしまった」という、何ともやるせない
物語が残っています。
中央のお地蔵さまはその供養のため建てられたのでしょうか。
文化十一年(1814年)と記されています。
左の「廿三夜供養塔」には明和七年(1770年)、右の「奉讀普門品一萬巻供養塔」には
文政十三年(1830年)と記されています。


湯川駅ー2

開業前の仮駅名は「成田ニュータウン北」でした。
ここから出るバスはニュータウンを横断してJR成田駅へ向かいます。
ニュータウンの拡大とともに、ホームに乗客が溢れる日は来るのでしょうか?


                ※ 「成田湯川駅」 成田市松崎1620-1
                   隣の駅は空港第2ビルと印旛日本医大駅





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鉄道・駅 | 07:32:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
穏やかな時間が流れる無人駅~久住駅
久住駅の開業は明治35年、成田鉄道株式会社により明治30年に成田滑河間が開通
した5年後のことです。

久住駅ー1

久住駅は成田市内で唯一の無人駅です。

以前は現在地より200メートルほど成田駅寄りにありましたが、昭和52年に移転しました。
最近のデータはありませんが、2006年の乗車数は238人でした。
周辺の状況から、現在もそれほど変化はないように思えます。


久住駅ー2

改札口前の待合室。
ベンチがあるだけの殺風景な景色です。


久住駅ー4

2009年にSuicaが設置されました。

久住駅ー3
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久住駅ー34
Suicaのとなりにあった「乗車駅証明発行機」です。
Suicaを持っていない人は、この発行機から切符の形をした「乗車駅証明書」を取り出し、
降車駅で精算するわけです。
裏面は磁気化されていませんから、下車駅の窓口で直接精算することになります。


久住駅ー5

2つあるホームは跨線橋で結ばれていますが、番線の表示はありません。


久住駅ー6
久住駅ー7

銚子行きの電車が入ってきます。
ホームに人影は無く、この電車に乗る人はいません。
降りた人が一人、迎えに来た車に乗って走去ると、また駅前には人影が無くなりました。


久住駅ー8

次の駅は滑河駅です。
左に分かれて行くように見えるポイントがありますが、昔の引き込み線だったのでしょう、
今はすぐにレールは消えてしまいます。
 滑河駅 ⇒


久住駅ー10

向かいのホームは上りのホームです。
小さな待合室がありますが、成田行きの電車が来るまでは20分近くありますので、
ホームにはまだ誰も見えません。


久住駅ー11

見えている踏切は「飯岡踏切」。
成田方向は線路が単線になるまでの距離が長くとられています。
貨物列車がすれ違うために必要な長さだそうです。


久住駅ー13

この駅から成田空港に向かう外人観光客がいるとは思えませんが、ご親切にも英語での
乗換案内が貼られていました。
成田駅で乗り間違えて、この駅に来てしまう外人観光客がいるのかもしれません(?)ね。


久住駅ー15
久住駅ー16

跨線橋の上から下り方面を見ると、遠くにちらりと人影が見えました。
カメラの望遠で見ると、ゴルフ場の一角が見えていました。
紅葉のコースを、ここでものんびりとゴルファーがプレイしています、


駅前は宅地造成地が広がっていますが、住宅はほとんど建っていません。
ちょっと歩いてみました。

久住駅ー25

10分ほど歩き回って、「永福寺」に辿りつきました。
真言宗智山派のお寺で、山号は「飯岡山」、ご本尊は「薬師如来」です。


久住駅ー26

らしくない本堂ですが、脇にある木彫りの仏様が素晴らしい迫力でした。

久住駅ー27
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久住駅ー28
風化が進み、虫に食われた無数の小穴、ひび割れた額・・・
でも、お顔は穏やかに笑っておられるように見えます。

久住駅ー31

小振りな板碑は相当な年月を経ているような趣があり、中央の板碑には
種字らしきものが刻まれています。

 延宝、天和、宝永、寛政等の文字が・・・久住駅ー29
久住駅ー30
久住駅ー33

帰宅後に調べたところ、寺伝ではこの「永福寺」は天平宝字七年(763年)に鑑真和上に
よって創建されたとされているようです。(成田の歴史散歩 倫書房 小倉博著 P260)
以前紹介した吉岡の大慈恩寺も鑑真和上が天平宝字五年(761年)に創建したという
説があり、その真偽はともかく、時間的にも地理的にも話はつながってきます。
もっとも、鑑真和上が亡くなったのは763年と伝えられていますので、ちょっと無理が
あるかも知れませんね。
 大慈恩寺 ⇒

そろそろ上りの成田行き電車が来るころです。
急いで久住駅に戻ります。

久住駅ー12
久住駅ー14

ホームには乗客が3人、のんびりと電車を待っていました。


久住駅ー17
久住駅ー18

乗車したのは3人、下車した人が1人。
通勤・通学時以外はいつもこんな感じなのでしょう。


久住駅ー23

近所の人が世話をしているのでしょう、駅舎の入り口に寄せ植えの鉢がひとつ・・・


久住駅ー19
久住駅ー20
久住駅ー22
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久住駅ー21

ホームにベンチでもあれば、ちょっと日向ぼっこでもしたい気分です。

柔らかな日差しが注ぐ久住駅には、穏やかな時間が流れています。


久住駅ー35


                   ※ 久住駅  成田市飯岡19-1
                      上りの隣駅は成田、下りの隣駅は滑河



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鉄道・駅 | 07:45:47 | トラックバック(0) | コメント(0)
開業100年を越える滑河駅
滑河駅ー1

滑河(なめがわ)駅はJR成田線の駅で成田から佐原、銚子、香取神宮に
向う途中の駅で、明治30年に成田鉄道の貨物・旅客駅として開業した、
歴史ある駅です。
大正9年に建てられた木造の駅舎は平成17年に改築されました。


滑河駅ー5
滑河駅-20

日中は1時間に1~2本、通勤・通学時間でも2~3本の電車しか通りません。
1日の平均乗降者数は約1000人です。


滑河駅ー4

駅舎のある右側が2番線、跨線橋を渡った左が1番線です。
上下線とも行き違いがある場合を除いて2番線を使います。


滑河駅ー3
滑河駅ー6

編成の短い電車ばかりですから、ホームの端は雑草でいっぱいです。


滑河駅ー7
滑河駅ー8

銚子行きの電車が入ってきました。


滑河駅ー9
滑河駅ー10

降りた人は10人あまり、佐原・銚子方面に乗って行った人は2人でした。


滑河駅ー11

跨線橋の上から見た成田方面の景色です。

平成23年3月10日の午前11時ごろ、貨物列車の脱線転覆事故が起きました。
幸いけが人はありませんでしたが、静かな駅周辺は大変な騒ぎだったことでしょう。
ようやく復旧した翌日の午後2時過ぎに三陸沖の大地震、東日本大震災が起こり、
再び運行が中止されました。
長い歴史の中でも、この駅にとっては記憶に残る2日間でした。


滑河駅ー15

1番線ホームです。
待合室は大正9年のものがそのまま残されています。


滑河駅ー14

2番線の銚子方面に、猿山踏切があります。


滑河駅ー2
滑河駅ー12

1番線のホームにくっつくように鳥居が建っています。
ホームとの間には細い道が一本あるのみで、手が届きそうな近さです。
「天満宮」との掲額がありますが、資料によればここは「宰府天満宮」で、
以前の参道を鉄道と駅が横切ってしまったため、このような形になってしまった
ということです。


滑河駅ー17

跨線橋から見た佐原方面です。
単線区間ですが、銚子までの間の駅としては比較的大きい駅です。
線路は佐原の先の香取駅から銚子方面と鹿島神宮方面に分かれて行きます。


滑河駅ー16

電車が発車した後は、駅舎に人影はありません。


滑河駅ー21
滑河駅ー22

Suicaが使えるようになったのはつい最近、平成21年からです。
改札の向こうに天満宮の鳥居が見えます。


滑河駅ー24

改札横の待合室はガラス張りの明るい雰囲気です。


滑河駅ー19

コミュニティ・バスが乗客を待っています。
結局乗客のいないまま出発して行きました。


滑河駅ー18

成田方面行きの電車の時間が近づいてきました。
ちらほらと乗客が集まってきます。
開業以来こうしたのんびりした日常が、この駅で繰り返されてきました。


            ※ JR滑河駅 成田市猿山265
               徒歩15分の距離に「滑河観音龍正院」があります
               龍正院 ⇒ 
              

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鉄道・駅 | 08:05:24 | トラックバック(0) | コメント(0)
忘れられた駅、「成田空港駅」
かつて「成田空港」という駅がありました。
現在成田空港の駅としては「空港第2ターミナル」と「成田空港」の2つですが、
この2つの駅ができる前には、今の「東成田」駅が「成田空港」駅だったのです。


東成田ー27

東成田ー6

この駅は成田空港の開港に合わせるべく、突貫工事で昭和47年に竣工しました。
ただ、空港反対運動やパイプラインの工事の遅れなどから、実際の運用は6年遅れで
昭和53年でした。
現在は京成電鉄と芝山鉄道の共同使用駅となっています。


東成田ー1

芝山千代田からの電車がホームに入ってきました。
次は終点の成田です。
東成田駅は京成東成田線の終点で、芝山鉄道の始発駅になります。


東成田ー2

ホームは地下にあります。


東成田ー3
東成田ー4

電車が行った後のホームには人影は全くありません。


東成田ー5

目を凝らすともう一本ホームがあります。
真っ暗で良く見えませんが、ここがかつての「成田空港」駅のホームです。
駅名板もそのままに、ただ打ち捨てられたように暗い空間に横たわっています。
ここだけは20数年前のまま、時間が止まっています。
平成3年に成田空港線が開通して、空港駅としての役割を終え、
駅名も「東成田」に変わりました。


東成田ー7

ここに焼きたてのパンとコーヒーやジュースが飲めるスタンドがありました。
まだ看板もそのまま残っています。
昔、通勤に利用していた頃には良く立ち寄りました。


東成田ー8

もともと日中はほとんど乗客のいない芝山千代田駅からの電車が、
成田に向って走り去って行っても、この駅の改札を出る人はいません。
一日の乗降客は約2000人、そのほとんどが空港勤務者で、
通勤時間帯に集中します。


東成田ー11

改札を出るとコンコースがあり、見事な陶板壁画が目に入ります。


東成田ー9
東成田ー10

「曲水の宴」と題された陶板画は、1980年に原画/森田嚝平、造形/ルイ・フランセン、
題字/川崎千春によるもので、壁面いっぱいに広がる見事な作品です。
この壁画も朝夕の忙しい通勤客だけが利用する今では、
ゆっくり愛でる人はいなくなってしまいました。


東成田ー12

貨物地区に出る通路です。
今はほとんどの人がこの通路から空港内の職場に向います。
出口には警備員がいて、空港の通行証の提示を求めます。


東成田ー13

こちらが正面出口に通じるエスカレーターですが、
ここから出る人がほとんどいない今は止まっていて、階段を上ることになります。


東成田ー14

成田空港駅だったころは、ここから空港へシャトルバスで向いました。
荷物検査があり、パスポートの提示が求められ、電車が着くといつも大混乱したものです。


東成田ー16
東成田ー17

正面口を出ると直ぐ後ろに管制塔が見えます。
この駅は空港の真ん中に作られた駅なのです。


東成田ー18
東成田ー19
東成田ー20

ピーク時には1日平均2万人を超える乗降客があっただけに、
当時を知る者としては、この景色には寂しさを感ぜずにはいられません。


東成田ー23
東成田ー24
東成田ー25

改札口の脇に不思議な地下道があります。
500メートル先の空港第二ターミナル駅に通じています。
途中で直角に曲がり、アップダウンのある地下道は、先が見通せないため、
実際以上に長く感じます。
誰もいない、見通しが悪い地下道は少し不気味な感じです。
以前は両側の壁に地元の小学生の絵や習字が年に数回張り出されていましたので、
なんとか気が紛れたものです。


東成田ー26
東成田ー28
東成田ー29

ようやく空港第2ターミナル駅に出ました。
右に行けば空港への検問ゲート、左に行けば改札口です。


京成東成田線の終着駅、芝山鉄道の始発駅、
そして、忘れられた成田空港駅・・・
静かで寂しい、レトロな雰囲気を味わいたいなら、日中の東成田駅はお勧めです。


            ※東成田駅  成田市古込字込前124




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鉄道・駅 | 11:12:12 | トラックバック(0) | コメント(0)
日本一短い私鉄、芝山鉄道
「芝山千代田」駅は芝山鉄道の終着駅です。


芝山鉄道ー15

駅は成田市と芝山町の境界にありますが、所在地は芝山町になっています。
芝山鉄道株式会社の本社も駅舎内にあります。
千葉県や成田市、芝山町、日本航空などが出資する第三セクターによる運営で、
成田空港株式会社の連結子会社です。


芝山鉄道ー1

芝山鉄道の始発駅は京成電鉄と共同利用の「東成田駅」。
東成田駅は地下ホームなので、しばらくはトンネルのような地下を走ります。


芝山鉄道ー2

地上の明かりが見えてきました。


芝山鉄道ー3

地上に出ると直ぐに高架になります。


芝山鉄道ー5

車窓の直ぐそばに旅客機が見えます。
空港の敷地に沿って走っているようです。


芝山鉄道ー6

終点の芝山千代田駅が見えてきました。
終点と言っても、始発の東成田を発車してから最初の駅です。
そう、芝山鉄道は東成田駅と芝山千代田駅間の一駅区間しかないのです。

自社で鉄道を保有する第一種鉄道事業者としては、
日本一短い路線なのです。
なにせ単線で2.2キロしかないのですから。


芝山鉄道ー8

ホームの直ぐ先は行き止まり、まさに終点です。


芝山鉄道ー9
芝山鉄道ー10

運転業務は京成電鉄に委託しています。
京成成田から芝山千代田までの所要時間は10分、東成田からは4分です。
空港反対派の用地を避けるため、カーブがきつい個所があり、
時速35キロで運行されています。


芝山鉄道ー11

ホームの待合室に埴輪人形が飾られていました。
芝山町は芝山古墳の埴輪に代表される「埴輪の町」です。
毎年11月には芝山不動尊を中心に盛大な「はにわ祭り」が行われます。


芝山鉄道ー12

改札口の脇で埴輪のレプリカを売っています。
大きいものでも4000円でした。


芝山鉄道ー16

駅前には大きな建物はありません。
少し離れたところにいくつかの航空貨物の会社や空港関連会社の建物が見えるだけです。


芝山鉄道ー17

駅に隣接して小さな食堂があります。
観光案内所も兼ねた内部は、7~8人で満席になるカウンターのみですが、
通りかかるトラックのドライバーや空港で働く人たちが立ち寄っているようです。


芝山鉄道ー18

観光地で良く見る定番の風景です。


芝山鉄道ー19

道路を渡って空港の敷地に入る地下道です。
覗いてみたら直ぐ下に警備員さんがいました。


芝山鉄道ー20

駅前のロータリーに大きな馬の埴輪が並んでいます。


芝山鉄道ー21

空港の駅だけにどの馬も翼を持っていました。


芝山鉄道ー22

芝山鉄道を太平洋岸の九十九里浜まで延長する運動が展開されています。
このあたりはJRや京成の成田方面から海岸に沿って走る総武本線を結ぶ
鉄道がありません。
延長は住民の悲願でしょうが、採算を考えるとなかなか具体的な動きが出ないようです。


芝山鉄道ー23

ここではPASMOが使えません。


芝山鉄道ー24
芝山鉄道ー25

30分に1本の電車が入線してきました。
さっき乗ってきた車両と同じです。
同じ車両がひたすら往復しているようですね。


芝山鉄道ー26

ホームからは遠くに管制塔が望めます。


芝山鉄道ー27
芝山鉄道ー29
芝山鉄道ー30

東成田側のホームの端まで行けば、誘導路を移動する旅客機や格納庫入りする旅客機、
飛立つ旅客機が見えています。


芝山鉄道ー28
芝山鉄道ー31

再び電車に乗って成田まで帰ります。
乗客は見えませんが、警察官が1名乗っています。
空港反対派や過激派に対する警戒のためですが、本当にご苦労様です。


芝山鉄道ー32

発車した電車の窓から優雅な旅客機を見ながら、東成田、成田へと向います。


                   
                   ※芝山千代田駅  山武郡芝山町香山新田字橋松
                     成田―東成田 260円、東成田―芝山千代田 200円




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鉄道・駅 | 22:44:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
整備された成田駅西口
JR成田駅の西口は、成田ニュータウンに向かって開いています。





東口側からは高いフェンスに阻まれて見えなかった工事の全貌が、
西口側からは良く見えます。

ロータリーには樹木が植えられ、芽生えた新緑がまぶしく光っています。





手前の駐輪場は屋外ですが、左隅に見える駅舎の1階と2階部分も駐輪場です。
ニュータウンの多くの住人が自転車で駅まで来ますので、
周辺の駐輪場を含めて常に満杯の状態です。





西口の利用客は歩道橋を上って3階の改札口に向かいますが、
歩道橋はいつも季節の花で飾られています。
お昼時にはベンチでお弁当を開く人達も見られます。

今日はまだ昼前の人通りが少ない時間帯でしたので、
数羽の鳩がのんびりと遊んでいました。





東口が昔からの成田を表しているとすれば、
西口は発展する今の成田を表しているような気がします。
連絡路の西口側から見る東口は活気があるぶん雑然としていますが、
西口は整然とした雰囲気で、それだけに物足りない感じがします。





歩道橋の花とロータリーの樹木が、その気持ちを
少し埋めてくれるようです。





残念なのは、バリアフリーについての配慮が少し足りないことです。
2階までの階段と、3階までのエスカレーターの他、
エレベーターが設置されているのですが、見つかり難いのです。
西口に向かって左側を商店の軒先を迂回して、自転車置き場の数段の階段を
登らないと見つかりません。





ニュータウンの中心部に向かって広い道路が延びています。
車で東口に抜けるには、地元の人でもあまり知らない
細い抜け道が1本しかありません。
普通は相当大回りしなければ抜けられませんから、
駅に用事がある車しか通らないので、道路の広さの割には空いています。





たまたま停車中の成田エクスプレスを見つけました。
停まっている場所からすると空港へ向かうようです。





ニュータウンが造られてからずいぶん時間が経っていますが、
まだまだ開発が進んでいます。

東口で感じた“開発”の違和感は西口にはありません。

しかし、工事が終わった時、東口とともに西口でも、
自然との調和を感じたいものです。





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鉄道・駅 | 22:14:50 | トラックバック(0) | コメント(0)
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