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このブログでは、引用する著作物や碑文の文章について、漢字や文法的に疑問がある部分があっても、そのまま記載しています。また、大正以前の年号については、漢数字でカッコ内に西暦を記すことにしています。 なお、神社仏閣に関する記事中には、用語等の間違いがあると思います。研究者ではない素人故の間違いと笑って済ませていただきたいのですが、できればご指摘いただけると助かります。また、コメントも遠慮なくいただきたいと思います。

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成田は新しいものと旧いものが入り混じる魅力的な街。歴史を秘めた神社やお寺。遠い昔から刻まれてきた人々の暮らし。そして世界中の航空機が離着陸する国際空港。そんな成田とその近郊を、流れる風になって気の向くままに綴ります。

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西国・秩父・坂東の観音霊場をひとまとめ~「安食百観音」

「安食百観音」は、前回紹介した「大乗寺」への参道の入口にあります。

大乗寺-50

観音経では、観音菩薩は衆生救済のために人々の機根に応じた三十三の姿に変身すると
されています。(「機根=きこん」とは、仏の教えを理解したり、修行できる能力のことです。)
この三十三の変化に因んで、各地に三十三ヵ所の霊場を巡礼する風習が生まれました。
その代表的なものが、「西国三十三ヵ所」「秩父三十四ヵ所」「坂東三十三ヵ所」の霊場です。

秩父の三十四番「水潜寺」は西国・秩父・坂東各三十三ヵ所の「結願寺」となっていて、合計
百ヵ所となります。

「夫々の観音霊場を実際に歩いて廻ることは江戸時代の民衆にとっては容易なことでは
なかった。その簡便化として多くの地方に写し巡礼が生まれた。それすら出来ない人々の
ために、百観音すべてを一山一寺の一ヵ所に集め、誰でも簡単に參詣出来るミニチュア
版が考え出された。これが百観音霊場である。」
「安食村とその周辺の村々(現栄町)は古くから観音信仰が盛んな所で、正保四年(1647)
寛政七年(1795)までの間に六観音を初めとし七九体の観音像が方々に祀られていた。」
「寛政十年(1798)に安食村に百観音霊場が建立されたのは、江戸で流行った観音信仰
が地方にまで広がった証しと見られるが、ここには既にその土壌があったのである。」

(「古文書でたどる安食の歴史」(今井康之 著 平成23年 P69~70)


大乗寺-51

正面に立つ寛政十年(1798)の「阿弥陀三尊」。

「阿弥陀三尊(あみださんぞん)」は、阿弥陀如来を中尊として、その左右に左脇侍の観音菩薩
と右脇侍の勢至菩薩を配する仏像安置形式です。
観音菩薩は阿弥陀如来の「慈悲」を現す化身、勢至菩薩は「智慧」を現す化身とされています。


大乗寺-53
大乗寺-54
大乗寺-64

中央の阿弥陀三尊を囲むように、西国・秩父・坂東の百体の観音像が並んでいます。


百観音-40

境内の左手にある「弁財天堂」には「寬保元年酉八月」と記されています。
寛保元年は西暦1741年になります。


大乗寺-65

「奉納 明和四丁亥天 大乘妙典 日本回国 信濃善光寺三拾三度」と刻まれた石碑。
明和四年は西暦1767年です。


大乗寺-67

手水鉢は昭和63年のものです。


では、三体ずつ、全ての観音像を見てみましょう。
全て写真左からの解説です。
各観音像の側面には、像の寄進者の名前と、その親族でしょうか、一~三名の戒名と没年
が刻まれています。
風化でその多くが読めなくなっていますが、没年が読めるものは括弧内に示しました。


 西国三十三ヵ所 】

兵庫・大阪・奈良・和歌山・京都・滋賀・岐阜の二府五県に点在する観音霊場で、三十三ヵ所
の霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行です。

百観音-3

一番 「青岸渡寺」  本尊・如意輪観音  和歌山県那智勝浦町
二番 「金剛宝寺」  本尊・十一面観音  和歌山県和歌山市
三番 「粉河寺」    本尊・千手観音    和歌山県紀の川市


百観音-4

四番 「施福寺」   本尊・千手観音  大阪府和泉市
五番 「葛井寺」   本尊・千手観音  大阪府藤井寺市 (寛政四年・1792)
六番 「南法華寺」 本尊・千手観音  奈良県高取町


百観音-5

七番 「龍蓋寺」 本尊・如意輪観音    奈良県明日香村
八番 「長谷寺」 本尊・十一面観音    奈良県桜井市
九番 「興福寺」 本尊・不空羂索観音  奈良県奈良市 (宝暦十四年・1764)


百観音-6

  十番 「三室戸寺」 本尊・千手観音  京都府宇治市
十一番 「上醍醐寺」 本尊・准胝観音  京都府京都市 (天明八年・1788)
十二番 「岩間寺」   本尊・千手観音  滋賀県大津市 (明和三年・1766)


百観音-7

十三番 「石山寺」 本尊・如意輪観音  滋賀県大津市
十四番 「園城寺」 本尊・如意輪観音  滋賀県大津市
十五番 「観音寺」 本尊・十一面観音  京都府京都市 
                          (享保十六年・1731 延享四年・1747)


百観音-8

十六番 「清水寺」    本尊・千手観音   京都府京都市
                          (安永元年・1772 寛政九年・1797)
十七番 「六波羅蜜寺」 本尊・十一面観音 京都府京都市 (寛政三年・1791)
十八番 「頂法寺」    本尊・如意輪観音 京都府京都市
                          (天明七年・1787 寛政八年・1796)


百観音-9

  十九番 「行願寺」 本尊・千手観音  京都府京都市
  二十番 「善峯寺」 本尊・千手観音  京都府京都市
二十一番 「穴太寺」 本尊・聖観音    京都府亀岡市 (天明七年・1787)


百観音-10

二十二番 「総持寺」 本尊・千手観音   大阪府茨木市
              (宝暦十三年・1763 安永六年・1777 寛政二年・1790)
二十三番 「勝尾寺」 本尊・千手観音   大阪府箕面市
二十四番 「中山寺」 本尊・十一面観音 兵庫県宝塚市


百観音-11

二十五番 「清水寺」 本尊・千手観音   兵庫県加東市
二十六番 「一乗寺」 本尊・聖観音    兵庫県加西市
二十七番 「圓教寺」 本尊・如意輪観音 兵庫県姫路市  


百観音-12

二十八番 「成相寺」 本尊・聖観音   京都府宮津市 
                    (宝暦十一年・1761 安永六年・1777)
二十九番 「松尾寺」 本尊・馬頭観音 京都府舞鶴市 
                    (寛保二年・1742 宝暦二年・1752 明和六年・1769)
  三十番 「宝厳寺」 本尊・千手観音 滋賀県長浜市


百観音-13

三十一番 「長命寺」   本尊・千手観音・十一面観音・聖観音 滋賀県近江八幡市
三十二番 「観音正寺」 本尊・千手観音               滋賀県近江八幡市
三十三番 「華厳寺」   本尊・十一面観音             岐阜県揖斐川町


【 秩父三十四ヵ所 】

埼玉県秩父地方の秩父市・横瀬町・小鹿野町・皆野町の一市三町に点在する観音霊場です。
西国三十三ヵ所、坂東三十三ヵ所と併せて日本百観音と言い、秩父三十四番の「水潜寺」を
結願寺(けちがんじ)としています。
結願をした後には、長野の善光寺にお詣りするのが慣例です。

百観音-14

一番 「四萬部寺」 本尊・聖観音  秩父市
二番 「真福寺」   本尊・聖観音  秩父市
三番 「常泉寺」   本尊・聖観音  秩父市 (寛政六年・1794)


百観音-15

四番 「金昌寺」 本尊・十一面観音  秩父市
五番 「語歌堂」 本尊・准胝観音    横瀬町
六番 「卜雲寺」 本尊・聖観音     横瀬町 (安永四年・1775)


百観音-16

七番 「法長寺」 本尊・十一面観音  横瀬町
八番 「西善寺」 本尊・十一面観音  横瀬町
九番 「明智寺」 本尊・如意輪観音  横瀬町


百観音-17

  十番 「大慈寺」 本尊・聖観音     横瀬町
十一番 「常楽寺」 本尊・十一面観音  秩父市
十二番 「野坂寺」 本尊・聖観音     秩父市 (安永四年・1775 天明六年・1786)


百観音-18

十三番 「慈眼寺」 本尊・聖観音     秩父市
十四番 「今宮坊」 本尊・聖観音     秩父市
十五番 「少林寺」 本尊・十一面観音  秩父市


百観音-19

十六番 「西光寺」 本尊・千手観音    秩父市 (宝永四年・1707)
十七番 「定林寺」 本尊・十一面観音  秩父市 (寛政十二年・1800)
十八番 「神門寺」 本尊・聖観音     秩父市


百観音-20

  十九番 「龍石寺」   本尊・千手観音  秩父市
  二十番 「岩之上堂」 本尊・聖観音    秩父市 (安永四年・1707)
二十一番 「観音寺」   本尊・聖観音    秩父市 (天明八年・1788)


百観音-21

二十二番 「童子堂」 本尊・聖観音  秩父市
二十三番 「音楽寺」 本尊・聖観音  秩父市
二十四番 「法泉寺」 本尊・聖観音  秩父市 
                    (明和六年・1769 明和八年・1771 天明六年・1786)


百観音-22

二十五番 「久昌寺」 本尊・聖観音  秩父市
二十六番 「圓融寺」 本尊・聖観音  秩父市
二十七番 「大渕寺」 本尊・聖観音  秩父市


百観音-23

二十八番 「橋立堂」 本尊・馬頭観音   秩父市 (元文五年・1740)
二十九番 「長泉院」 本尊・聖観音     秩父市 (天明八年・1788)
  三十番 「法雲寺」 本尊・如意輪観音  秩父市


百観音-24

三十一番 「観音院」 本尊・聖観音  小鹿野町
三十二番 「法性寺」 本尊・聖観音  小鹿野町 (安永八年・1779 寛政元年・1789)
三十三番 「菊水寺」 本尊・聖観音  秩父市   (宝暦四年・1754 天明四年・1784)


百観音-25

三十四番 「水潜寺」 本尊・千手観音  皆野町  (百観音結願寺)


【 坂東三十三ヵ所 】

神奈川・埼玉・東京・千葉・茨城・群馬・栃木の一都六県に点在する観音霊場。
源頼朝が発願し、源実朝が西国の霊場を模して制定したと伝えられています。

(坂東三十三観音は、西国・秩父の並びとは逆になっているため、写真左の札所番号が
大きくなっています。)

百観音-26

三十三番 「那古寺」 本尊・千手観音    千葉県館山市      
三十二番 「清水寺」 本尊・千手観音    千葉県いすみ市  
三十一番 「笠森寺」 本尊・十一面観音  千葉県長南町
 

百観音-27

  三十番 「高蔵寺」 本尊・聖観音     千葉県木更津市 (元禄四年・1691)
二十九番 「千葉寺」 本尊・十一面観音  千葉県千葉市   (寛政四年・1792)
二十八番 「龍正院」 本尊・十一面観音  千葉県成田市  


百観音-28

二十七番 「圓福寺」 本尊・十一面観音  千葉県銚子市  
                           (宝暦十年・1760 安永七年・1778)
二十六番 「清瀧寺」 本尊・聖観音     茨城県土浦市
二十五番 「大御堂」 本尊・千手観音    茨城県つくば市


百観音-29

二十四番 「楽法寺」 本尊・延命観音      茨城県桜川市 (寛政元年・1789)
二十三番 「正福寺」 本尊・十一面千手観音 茨城県笠間市
二十二番 「佐竹寺」 本尊・十一面観音    茨城県太田市


百観音-30

二十一番 「日輪寺」 本尊・十一面観音  茨城県大子町
  二十番 「西明寺」 本尊・十一面観音  栃木県益子町
  十九番 「大谷寺」 本尊・千手観音    栃木県宇都宮市


百観音-31

十八番 「中禅寺」 本尊・千手観音  栃木県日光市
十七番 「満願寺」 本尊・千手観音  栃木県栃木市
十六番 「水澤寺」 本尊・千手観音  群馬県渋川市


百観音-32

十五番 「長谷寺」 本尊・十一面観音  群馬県高崎市   (寛政四年・1792)
十四番 「弘明寺」 本尊・十一面観音  神奈川県横浜市  (天明四年・1784)
十三番 「浅草寺」 本尊・聖観音     東京都台東区


百観音-33

十二番 「慈恩寺」 本尊・千手観音  埼玉県さいたま市
十一番 「安楽寺」 本尊・聖観音    埼玉県吉見町
  十番 「正法寺」 本尊・千手観音  埼玉県東松山市


百観音-34

九番 「慈光寺」 本尊・十一面千手千眼観音 埼玉県ときがわ町 (宝暦六年・1756)
八番 「星谷寺」 本尊・聖観音          神奈川県座間市
七番 「光明寺」 本尊・聖観音          神奈川県平塚市  
                             (寛政六年・1794 天明七年・1787)


百観音-35

六番 「長谷寺」 本尊・十一面観音  神奈川県厚木市   (天明八年・1788)
五番 「勝福寺」 本尊・十一面観音  神奈川県小田原市
四番 「長谷寺」 本尊・十一面観音  神奈川県鎌倉市


百観音-36

三番 「安養院」 本尊・千手観音    神奈川県鎌倉市
二番 「岩殿寺」 本尊・十一面観音  神奈川県逗子市
一番 「杉本寺」 本尊・十一面観音  神奈川県鎌倉市


百観音の中には、明らかに風化ではない傷跡が残されているものがあります。
各地の寺院の石仏と同様に、ここの観音像も「廃仏毀釈」の嵐に巻き込まれたようです。

百観音-62 西国 四番(施福寺・千手観音)
百観音-63 西国 七番(龍蓋寺・如意輪観音)
百観音-64 西国 十番(三室戸寺・千手観音)
百観音-65 西国十五番(観音寺・十一面観音)
百観音-66 秩父十二番(野坂寺・聖観音)
百観音-67 秩父十七番(定林寺・十一面観音)
百観音-68 秩父二十六番(圓融寺・聖観音)
百観音-69 秩父二十八番(橋立堂・馬頭観音)
百観音-70 坂東三十三番(那古寺・千手観音)
百観音-71 坂東十三番(浅草寺・聖観音)

また、西国三十二番、秩父五番・八番・九番・十一番・十三番、坂東五番・二十二番・二十五番・
二十八番の十体は新しく造られています。
補修が難しかったのかもしれません。
「古文書でたどる安食の歴史」(平成23年)には、観音像の寄進者名が記載されていますが
(P71~74)、秩父十三番を除いて上記九体は(欠)となっていますので、これらはここ数年の
間に新たに安置されたものであることが分かります。


百観音-72

そして、中央の阿弥陀三尊像もその例外ではなく、三体とも首が落とされて補修されています。
削られたり、割られたりした石仏は、その傷口からさらに風化が進んでしまいます。
「廃仏毀釈」という悲しい歴史の一コマは、風化させずにしっかりと検証しておくべきでしょう。


百観音-38

阿弥陀三尊の隣に「西国番外」として、左から花山院・藥師如来(兵庫県三田市)、元慶寺・
藥師如来(京都府京都市)、法起院・徳道上人(奈良県桜井市)が並んでいます。


百観音-41

これは何の碑か分かりません。
「觀■■■ 妙■■■」しか読めません。
紀年銘は文政とあるような気がしますが・・・。


百観音-43

前面の大乗寺参道側にもたくさんの観音像が並んでいます。


百観音-80
大乗寺-66
***********大乗寺-56
百観音-75

「安食百観音霊場」の場所は三方を池に囲まれていて、通称「弁天島」と呼ばれています。


百観音-44
百観音-2    亀ものんびり甲羅干し


百観音-37
百観音-79
百観音-73

約220年前の寛政十年に建立されてから、長い間に石仏は風化し、境内は荒廃していましたが、
昭和60年に整備されて今の姿になりました。
百ヶ所の霊場を一ヶ所にまとめてお詣りできる「安食百観音」。
お気に入りの札所や観音像を決めて、お詣りするのも良いかもしれませんね。


大乗寺-71

                           ※ 「安食百観音」 栄町安食3633(付近)



テーマ:千葉県 - ジャンル:地域情報

史跡・旧跡 | 07:55:24 | トラックバック(0) | コメント(2)
成田の「百庚申」~後、桜谷津、西和泉、竜台
前回の竜台の百庚申(ひゃくこうしん)に続いて、今回は市内の「百庚申」をご紹介しましょう。
「百庚申」とは、(「百」という数にはこだわらず)多くの庚申塔が集められた場所を指します。
市内には、西和泉、宝田・桜谷津、桜田・後、竜台の四ヶ所にあります。

百庚申ー38  庚申塔の文字塔
竜台稲荷ー17  青面金剛の文字塔
百庚申ー61   青面金剛像


「庚申塔」や「青面金剛」、そして「庚申信仰」については、これまで何回か触れていますが、
あらためてもう一度紹介しておきましょう。

「庚申信仰」は道教の説く「三尸説(さんしせつ)」を起源とする民間信仰です。
「三尸説」では、庚申の日の夜には、眠っている人の体内から「三尸(さんし)」と呼ばれる虫
が抜け出して、その人の悪行を天帝に告げ口をして寿命を縮めるとされています。
三尸虫は宿主が死ぬと自由になれるため、常にその短命を願っています。
そのため、庚申の日の夜は身を慎んで眠らないで過ごし、三尸虫が体内から出られないよう
にする、「守庚申」と言う信仰の形が生まれました。
貴族の間に始まったこの信仰が、やがて庶民の間にも広まり、念仏を唱えたり、酒を飲んで
歌い踊る宴会によって眠気を払う「講」の形になりました。
庚申塔は、この庚申講を三年間、十八回続けた記念に建立されることが多いとされています。

「庚申」とは「干支(えと)」の一つです。
昔の暦や方位に使われていた「干支」とは、十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)を組み合わ
せた60を周期とする数詞です。
十干とは[甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸]、十二支とは[子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・
酉・戌・亥]で、干支の組み合わせ周期は60回になります(10と12の最小公倍数は60)。
つまり、庚申の年は60年に1回、庚申の日は60日に1回周ってきます。

庚申塔には「庚申塔」と文字が刻まれたもの、「青面金剛(王)」の文字、または「青面金剛像」
が刻まれたものの三種類があります。
「青面金剛(しょうめんこんごう)」について、「仏像鑑賞入門」(瓜生 中 著 平成16年 幻冬舎)
には次のように解説しています。
『 一般には「庚申さま」の名で親しまれている。 もともとは悪性の伝染病をはやらせる疫病神
として恐れられていた。 疫病の神にふさわしく、青い肌に蛇を巻きつけ、髑髏の装身具を身に
つけるなど、恐ろしい姿をしている。経典には四臂像が説かれているが、実際に造られるのは
六臂像が多く、また二臂のものもある。 青面金剛が庚申さまと呼ばれるようになったのは、
中国の民間信仰である道教の影響を受けたためである。』
 (P224)

多く見かける像容は六臂で、法輪・弓・矢・剣・錫杖・ショケラ(人間)等を持つ忿怒相で、邪鬼
を踏みつけ、左右に童子や鶏を刻み、台座に三猿を置いています。
鶏は、鶏が鳴くまで起きていることを表しているとか、十二支の申(さる)の次の酉(とり)の日
になるまで起きていることを表しているとか言われています。
また、三猿は(諸説ありますが)庚申の申にかけて、三尸に“見ざる・言わざる・聞かざる”で
天帝に告げ口をさせないようにするためだと言われています。


四ヶ所のうち、最初に訪ねるのは宝田の後(うしろ)にある「百庚申」です。

百庚申ー46
百庚申ー55

ここは国道408号線に面していますが、庚申塔が道路に背を向けていることと、工場の敷地
に見えることから、見過ごされがちです。


百庚申ー65

正面奥にある「青面金剛像」は合掌する二臂像に見えますが、良く見ると法輪や鉾を持つ
手が線描されていました。
線描された部分はほとんど消えていますが、六臂の青面金剛です。
「安政七庚申六月吉日」と記されています。
安政七年は西暦1860年、大老井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」があった年です。

百庚申ー48

明治二十二年(1889)に建立の「庚申塔」。


百庚申ー49

風化で読みにくいのですが、「文久二壬戌」と記されたものが多いようです。


百庚申ー50

顔が削られたこの「青面金剛像」には、「安■七庚申六月吉日」と、先ほどの青面金剛像と
同じ紀年銘が記されています。


百庚申ー54
百庚申ー51

お堂の中にも「青面金剛像」があります。


百庚申ー52

右上に日を、左上に月を刻み、「明和四丁亥天十一月吉日」と記されています。
明和四年は、今から250年前の西暦1767になります。


百庚申ー63

像は六臂で、二手で合掌し、右上手に鉾、左上手に法輪を、右下手に矢、左下手に弓を持ち、
左右に鶏を置いて邪鬼を踏みつけ、台座に三猿を刻んでいます。


百庚申ー56

庚申塔は二列に並べられ、前列に13基(内、金剛像は1基)、後列に14基(3基)、後部に
像が1基と堂内に像が1基の、合計29基あります。

終日背中を車が行き交う環境では、もう「庚申講」もできませんね。


次は同じ宝田の桜谷津にある「百庚申」です。

百庚申ー41

桜谷津の百庚申は国道408号線から細い道をちょっと入った所にあります。
庚申塔群は道のさらに奥にあり、木々が視界を遮っているため見過ごしてしまいそうです。


百庚申ー42
百庚申ー25

道路際に小さな塚があり、杉の大木の根元にある祠が「百庚申」への目印になります。
祠の屋根は落ちていますが、天明八年(1788)と記されています。


百庚申ー30

小塚の陰にお堂と石仏があります。


百庚申ー26**百庚申ー27

長い間風雨に晒されていたのでしょうか、薄暗いお堂の中の石仏は判別ができません。
真ん中から折れたようで、補修痕が見えます。


百庚申ー28

この石仏は年代不詳ですが、「十五夜講」の文字が読めますので、「大日如来」のようです。
よく見る「大日如来」は装身具を付け、智剣印を結ぶ姿ですが、この像は装身具を付けず、
法界定印を結んでいる胎藏界の「大日如来」と思われます。
左側面には「南 なりた道」と記されています。


百庚申ー29

お堂の裏でヤツデに覆われている石碑は、「奉読誦普門品一千巻供養塔」と刻まれている
明治三十三年(1900)建立の「讀誦塔」です。


百庚申ー31

桜谷津の百庚申の全景ですが、正面の庚申塚は垂れ下がった木の枝で見えません。


百庚申ー32
百庚申ー33
********** 百庚申ー34

ここの庚申塔は見たことのない形をしています。
直方体の石を縦線で七分割し、それぞれに「庚申塔」と刻んでいます。
これが左右に5基ずつ、計10基が並んでいます。


百庚申ー35

正面にある「庚申塚」。
中央上部に明和元年(1764)の「青面金剛像」を置き、その周辺を「庚申塔」や「青面金剛王」
と刻んだ塔が囲んでいます。


百庚申ー36
********** 百庚申ー37
百庚申ー38
********** 百庚申ー39

ここにも七分割型の庚申塔があり、分割されたものを一つ一つ数えれば、塚に建つ庚申塔
を加えて、ほぼ「百庚申」になります。

訪れる人も無く、木々に陽を遮られて塔は苔蒸しています。


次は西和泉の「百庚申」です。

百庚申ー19
百庚申ー2

これらの庚申塔は、かつて野毛平との村境にありましたが、道路整備に伴ってここに移設
されたものです。


百庚申ー3
百庚申ー4

二列の庚申塔のほとんどは小型の文字塔ですが、良く見ると「庚申塔」ではなく、「孝心塔」と
刻まれたものが五基、「庚心塔」と刻まれたものが十基あります。


百庚申ー8

普通に「庚申塔」と刻まれたものは三基あり、後列には「青面金剛」と刻まれたものが二基、
そして「青面金剛像」が五基となっています。

ここの「百庚申」には、合計25基の庚申塔があります。


百庚申ー5
百庚申ー23
********** 百庚申ー6
百庚申ー22

「青面金剛像」はいずれも六臂で邪鬼を踏みつけていますが、三猿はありません。
移設した時に台座部分が失われてしまったのでしょうか?
五基の金剛像は、いずれも上部に日月を配し、剣・弓・矢・法輪・鉾・ショケラを持っています
が、表情は微妙に違っています。


百庚申ー10

不思議なことにここにある庚申塔には紀年銘がありません。
ただ、建立した人の名前はほとんどのものに記されていますのて、“その名前から推測すると
江戸時代後期のものだろう”と標柱には書かれています。


百庚申ー11
百庚申ー12

「奉讀誦普門品一万巻稱號四百万遍供養塔」と刻まれている「讀誦塔」。
脇に「正面ハ たこ 八日いちば」とあり、右側面には「此方 助崎 神崎道」、左側面には
「此方 芦田 滑川道」とあって、裏面には「享和三癸亥六月吉日 総州埴生郡西和泉村」と
記されています。(州は異体字)
享和三年は西暦1803年になります。
道標を兼ねた讀誦塔ですが、これも移設されたもののようで、方角が合っていません。


百庚申ー18
百庚申ー15
百庚申ー16

百庚申の後ろに鳥居があり、奥に「香取大神」と刻まれた石碑と、「古老傳曰往昔經津主神之
東征~」で始まる難しい旧漢字がビッシリの由緒らしき石碑が並んでいます。
香取大神の碑は明治二年(1869)、由緒の石碑には嘉永七年(1854)と記されています。


百庚申ー17 

明治17年(1884)の祠と、年代不詳の石碑。
石碑は風化で何も読めません。


百庚申ー24
百庚申ー20
********** 百庚申ー62

「百庚申」のすぐ後ろは「総成カントリークラブ」のティーグラウンドです。
庚申塔群の中を、ティーショットの音が響く・・・ちょっと変わった風景です。


そして最後は竜台の「百庚申」です。
ここは前回の『竜台の「おはつ稲荷」と「百庚申」』で紹介しました。

竜台稲荷ー22

ここは宝田の後や桜谷津、西和泉の「百庚申」とは違い、まさに百基の庚申塔が並んでいます。


竜台稲荷ー11
********** 竜台稲荷ー21

整然と並んだ庚申塔は大小の文字塔と像塔が混在し、文字塔85基、像塔15基の構成です。


竜台稲荷ー17

「青面金剛尊」の文字が深く刻まれたこの庚申塔は寛政十二年(1800)のもので、百基の
中で一番古いものです。


竜台稲荷ー31   天保九年(1838)
竜台稲荷ー34    年代不詳
竜台稲荷ー20   安政六年(1859)


竜台稲荷ー18
竜台稲荷ー25

真ん中の「青面金剛」と刻まれた庚申塔の台座には、御神楽を舞う三猿が彫られています。
信仰も何も笑い飛ばす、江戸時代の庶民の柔軟なユーモアを垣間見る気がします。

「おはつ稲荷」と御神楽を踊る猿がいる「百庚申」(竜台) ☜ ここをクリック


百庚申ー55    宝田・後
   百庚申ー57
百庚申ー42    宝田・桜谷津
   百庚申ー58
百庚申ー24    西和泉
   百庚申ー59
竜台稲荷ー41     竜台
   竜台稲荷ー27
                                  

後の百庚申は国道べりに背を向けて、桜谷津は細道の奥、西和泉はゴルフ場の脇、竜台は
路地の突き当たりと、どこもちょっと見つけにくいところにありますが、孝心や庚心、御神楽猿
や様々な像容の金剛など、じっくり見ると発見の多い「百庚申」です。



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