■はじめに

このブログでは、引用する著作物や碑文の文章について、漢字や文法的に疑問がある部分があっても、そのまま記載しています。また、大正以前の年号については、漢数字でカッコ内に西暦を記すことにしています。 なお、神社仏閣に関する記事中には、用語等の間違いがあると思います。研究者ではない素人故の間違いと笑って済ませていただきたいのですが、できればご指摘いただけると助かります。また、コメントも遠慮なくいただきたいと思います。

■プロフィール

sausalito

Author:sausalito
成田は新しいものと旧いものが入り混じる魅力的な街。歴史を秘めた神社やお寺。遠い昔から刻まれてきた人々の暮らし。そして世界中の航空機が離着陸する国際空港。そんな成田とその近郊を、流れる風になって気の向くままに綴ります。

■訪問していただいた数

■参加ランキング

クリックしていただくと励みになります               ↓           ↓

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 成田情報へ
にほんブログ村 にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 千葉県情報へ

■ジャンル別 ・ アクセスランキング

[ジャンルランキング]
地域情報
48位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
関東地方
9位
アクセスランキングを見る>>

■最新記事

■記事の分類とアップ数
■良く参考にする書籍リスト

記事中で引用したり、取材のヒントを得るために良く利用する書籍です。  文中の注釈が長くなりますので、ここに掲載します。               ■「成田の史跡散歩」小倉 博 著 崙書房 2004年               ■「成田の地名と歴史」大字別地域の事典編集委員会 2011年      ■「成田市史 中世・近世編」成田市史編さん委員会編 1986年       ■「成田市史 近代編史料集一」成田市史編さん委員会編 1972年

■訂正一覧

掲載後判明した誤りやご指摘いただいた事項と、その訂正を掲示します。 【指】ご指摘をいただいての訂正   【訂】後に気付いての訂正       【追】追加情報等            → は訂正対象のブログタイトル   --------------- 

【訂】2014/05/05 の「三里塚街道を往く(その弐)」中の「お不動様」とした石仏は「青面金剛」の間違いでした。   【訂】06/03 鳥居に架かる額を「額束」と書きましたが、「神額」の間違い。額束とは、鳥居の上部の横材とその下の貫(ぬき)の中央に入れる束のことで、そこに掲げられた額は「神額」です。→15/11/21「遥か印旛沼を望む、下方の「浅間神社」”額束には「麻賀多神社」とありました。”       【指】16/02/18 “1440年あまり”は“440年あまり”の間違い。(編集済み)→『喧騒と静寂の中で~二つの「土師(はじ)神社」』             【訂】08/19 “420年あまり前”は計算間違い。“340年あまり前”が正。  →『ちょっとしたスポット~北羽鳥の「大鷲神社」』               【追】08/05 「勧行院」は院号で寺号は「薬王寺」。  →「これも時の流れか…大竹の勧行院」         【追】07/09 「こま木山道」石柱前の墓地は、もともと行き倒れの旅人を葬った「六部塚」の場所  →「松崎街道・なりたみち」を歩く(2)          【訂】07/06 「ドウロクジン」      (正)道陸神で道祖神と同義    (誤)合成語または訛り  →「松崎街道・なりたみち」を歩く(1)      【指】07/04 成田山梵鐘の設置年 (正)昭和43年 (誤)昭和46年   →三重塔、一切経堂そして鐘楼  【指】5/31 掲載写真の重複       同じ祠の写真を異なる祠として掲載  →ご祭神は石長姫(?)~赤荻の稲荷神社 

■月別アーカイブ
■リンク
■検索フォーム

■最新コメント
■最新トラックバック
■メールフォーム

メールをいただける場合はこちらから

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

最下行の「コメント」をクリックしていただいてもご連絡いただけます

■RSSリンクの表示
■QRコード

QR

「若王神社(じゃくおうじんじゃ)」と「三王神社(さんのうじんじゃ)」

下金山の「若王神社」(じゃくおうじんじゃ)を訪ねます。

若王神社-84

前回に訪問した「七星神社」と同じく珍しい社号のようで、ネットでやっと二社を見つけました。
岐阜県中津川市と、岡山県津山市の「若王神社」は、「にゃくおうじんじゃ」と呼ばれています。
有名な京都市左京区の「熊野若王子神社」も「にゃくおうじ」と呼ばれますが、ここ成田市の
「若王神社」は「じゃくおうじんじゃ」と呼ぶようです。


若王神社-14

平成八年に建立の明神鳥居は、通りから路地をちょっと入ってさらに右へ曲がったところに
あるため、注意して歩かないと見逃してしまいそうです。


若王神社-15

鳥居の脇には十数基の墓石が並んでいますが、古いものは倒れています。


若王神社-16
********** 若王神社-17

なだらかな石段が続いています。


若王神社-18
若王神社ー20

「千葉県神社名鑑」には次のように紹介されています。
祭神 事解男命(ことさかのおのみこと) 本殿・流造一坪、弊殿・二坪、拝殿・四坪 境内
坪数三〇坪 氏子四〇戸」


亡き伊弉冉尊(イザナミニミコト)を黄泉国にまで追った伊弉諾尊(イザナギノミコト)は、醜悪
な姿となった伊弉冉を見て驚き、現世に逃げ帰ります。
途中で追いついた伊弉冉と離縁することを決め、吐いた唾から速玉男命(ハヤタマオノミコト)
とともに生まれたのが事解男命です。
唾を吐くことは約束を確認するために行われる行為のようです。
「コトサカ」は「コト」を「サク」の意味で、縁切りと浄化を表していると言われています。

「事解男命」は全国の熊野神社に多く祀られていることから、この「若王神社」も熊野神社の
流れをくむ神社でしょう。
桜田の「熊野大神」や南羽鳥の「熊野神社」のご祭神も「事解男命」でした。

熊野権現ー11   桜田・熊野大神
   南羽鳥・熊野神社  熊野神社ー1

「成田市史 近代編史料集一」に収録の「下總國下埴生郡下金山村誌」には、
若王神社 本村字北之内台ニアリ。地坪壱畝歩。祭神ハ伊弉諾尊。創建詳カナラス。」
と記述されています。
一畝は30坪になりますから、「千葉県神社名鑑」の記述と整合がとれていますが、ご祭神は
事解男命の親神の伊弉諾尊とされています。
神社のご祭神に関してはよくあることで、伊弉諾尊と御子神の事解男命の二柱が祀られて
いるということで良いのではないでしょうか。


若王神社-19

手水盤には安政四年(1857)と記されています。 
(政の字は異体字で、偏(へん)を上に、旁(つくり)を下にしています)


若王神社-21
若王神社-63

拝殿の小窓から覗くと、薄暗い中に本殿が見えています。
蟇股の彫刻は鳳凰でしょうか。


若王神社-64
若王神社-81

本殿は大きな鞘堂の中にあるため、その全容を見ることができません。


若王神社-82
若王神社-26   本殿の神額

本殿と鞘堂との間に1メートルほどの隙間があり、そこから本殿の周りを見ることができます。


若王神社-66

若王神社-67

鞘堂の内壁に、いくつかの掲額が掛かっています。
「昭和拾四年 富士浅間神社 霊峰参拜記念」(上)、「大正七年 伊勢神宮参拜紀念」(下)。


若王神社-69

鞘堂ができるまで長い間風雨に晒されていたのでしょうか、大分傷みが目立ちます。


本殿の裏には小さな流造のお社が点在しています。

若王神社-29
********** 若王神社-30
若王神社-31
********** 若王神社-32

何のお社かは分かりませんが、いずれも土台を多くの丸石で固めたしっかりした造りです。


若王神社-33

明治三十年(1897)建立の「出羽三山参拝記念碑」。


若王神社-34

傾いた祠の前には力石のような二つの石が置かれています。


若王神社-71

大木の根元に寄りかかっている石碑があります。
風化と、表面が削られたような痕があり、刻まれた文字はほとんど判別できません。
中央上部に「天」の文字が見え、右端に「植」、左端に「少」の文字が読めます。
「天」は「天照大神(アマテラスオオミカミ)」、「植」は「植安媛命(ハニヤスヒメノミコト)」、
「少」は「少彦名命(スクナヒコノミコト)」と刻まれていたと推測すれば、他には「大己貴命
(オオムナチノミコト)」と「倉稲神命(ウカノミタマノミコト)」の名前が刻まれていたはずです。
これは、五穀豊穣を祈願する「地神塔」で間違いないと思います。
側面に「文政」の元号が読み取れますので、200年近い昔のものです。

「地神塔」は五角の石柱に五柱の神名を刻むものが多く、このブログでもこれまでに江弁須
の「皇産霊神社」、米野の「麻賀多神社」、八代の「稲荷神社」の三基を紹介しています。

円應寺ー48   米野・麻賀多神社
    八代・稲荷神社   善勝院ー28 

ちょっとしたスポット~米野の麻賀多神社 ☜ ここをクリック
寺社が並立する信仰の場~八代の「善勝院」と「稲荷神社」 ☜ ここをクリック


若王神社-72
若王神社-73

境内の裏の竹林に道のようなものが見えています。
尾根のような地形で緩やかに上っています。


若王神社-36
若王神社-02
若王神社-74

100メートルほど登ると突然社殿が現れました。
神額も社号標もありません。
社殿の後ろに鳥居があり、その先にお社が見えています。

社殿の形状と鳥居の位置などから考えると、これは神楽殿かもしれません。


若王神社-38
若王神社-39
若王神社-40

神額の文字はすっかり消えてしまっています。

後で調べたところ、ここは「三王神社」のようです。
「千葉県神社名鑑」その他の資料にもこの神社の名前は出てきません。

若王神社-78
若王神社-75
**********若王神社-76

屋根には徳川家の紋章である三葉葵が見えます。
「下金山村誌」に「山王神社」として次のような記述がありました。

「字北之内ニアリ。泉城ノ出城ニテ寺台海保守ノ城、押畑千葉家ノ出城ヲ目前ニ望ムコト
ヲ得。祭神ハ大山咋命ヲ祀ル。其後素盞嗚尊ヲ合祀シ三王神社ト改ム。」


「大山咋神」の別名は「山王」で、山の地主神です。
「山王神社」は山王信仰に基づいて滋賀県大津市の「日吉大社」より勧請を受けた神社で、
広く全国に分布し、大山咋神(オオヤマクイノカミ)と大物主神(オオモノヌシノカミ)を祭神
としています。
この二柱に素戔嗚尊が加わって「三王神社」となったわけです。


若王神社-41
********** 若王神社-42

昭和57年に寄進された御神燈。
片方は宝珠・傘・火袋の部分が崩れ落ちています。

若王神社-46

手水盤には安政四年(1857)と刻まれています。
側には割れた手水盤と同じ安政四年と記された板碑が置かれています。


若王神社-37

境内の片隅には、壊れた板碑や石碑が積み上げられています。


若王神社-44
  昭和61年建立の鳥居を挟んで見た  神楽殿(?) ↑  と三王神社  ↓
若王神社-45


若王神社-48
********** 若王神社-49

木々の合間からはのどかな田園風景と、空港へ向かう鉄道の高架線が見えています。
その向こうに見えるのは吉倉にある「インターナショナルガーデンホテル」です。


若王神社-50
若王神社-51
若王神社-52

狭い境内の全景を撮ろうと苦戦中に、視線をを感じました。
いつの間にか社殿の横に猫が一匹、じっとこちらを見つめています。
こんな人気のない山中で何をしているのでしょう?
(向こうも同じことを思っているか・・・)


北之内北方ノ台ニ隆起ス。地形馬ノ背ノ如シ。高サ五丈ニ余レリ。南方耕地ヲ隔テ成田山
アリ。北方ニ新妻、押畑其他数村ノ耕地及長沼及利根川ノ風帆漁船ヲ見ル。又晴天ノ日ニ
極目遠望スレハ常陸ノ筑波、足尾ノ諸山風景ヲ見ルコトヲ得。」


「下金山村誌」には「山岳」と題した、こんな記述も見られます。
これは「若王神社」と「三王神社」のある高台のことを指していると思われます。

若王神社-62
若王神社-77

南方には鉄道の高架線が横切り、大型のショッピングモールができて、往時の景色とは
一変していますが、かろうじて成田山の一角は見えています。
北方は竹と雑木に覆われて、何も見えません。


若王神社-54
若王神社-57

深い森の中の「若王神社」と「三王神社」。
かつての見晴らしの良さは半減してしまいましたが、秋の紅葉の時期はきっと鮮やかな
色彩に彩られることでしょう。


若王神社-85  
     
                            ※ 「若王神社」  成田市下金山589

テーマ:千葉県 - ジャンル:地域情報

中郷村の寺社 | 08:05:47 | トラックバック(0) | コメント(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する