参道を道路に切断された神社があります。



鳥居の前に立つと、20メートルほど先に見えるお社との間を道路が横切っています。
この神社は「富宮神社(とのみやじんじゃ)」で、創建年代、ご祭神、由緒沿革ともに不詳です。
「成田市史」に収録の「松崎村誌」、「千葉縣印旛郡誌」に収録の「八生村誌」にも名前は無く、
「千葉県神社名鑑」(昭和62年 千葉県神社庁)や「全国神社名鑒」(昭和52年 全国神社名鑑
刊行会)等にも記載が無く、もちろん「成田市宗教法人名簿」にも見当たりません。


鳥居の手前には大師堂があり、大師像の台座には「富宮講中」と刻まれています。
昔、この一帯は「富宮」という小字(こあざ)だったので、この小字名を神社名にしたようです。

鳥居をくぐって道路を渡り、数段の石段を上ると狭い境内に入ります。


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お社は大分傷んでいます。
それでも本坪鈴は比較的新しいものに見えますし、鈴紐は最近付け替えたようで(昨年6月に
訪れた時のものより新しくなっています)、お世話をしている方がおられるようです。


お社の下の土留めのように使われている、欠けた手水盤。
半分土に埋まっていますが、かろうじて「文政十■亥二月吉日」と記されているのが見えます。
文政十年は西暦1827年になります。

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傍らのお堂は「子安観音堂」です。
お堂の中には「如意輪観音像」系の「子安観音」の石像が安置されています。
石像の側面に「宝暦十二壬午二月吉日」と記されています。
宝暦十二年は西暦1762年、約250年前のことです。


「富宮神社」と「子安観音堂」。
今年3月と昨年6月の景色です。

境内から道路を挟んで見る鳥居と大師堂。

鳥居から道路を挟んで見るお社。
さて、何でこの神社の参道は道路に切断されてしまったのでしょうか?


近所の方にお話を伺うことができました。
昔はここに道路は無く、当然一帯は神社の境内で、鳥居からお社まで参道が続いていました。
近年になって(三代前と仰っていました)二宮神社や来迎寺方面から土屋方面に抜ける道の
必要性が高まり(八生小学校にはバスが行けない状態だったようです)、氏子たちが相談して
道路を通すことを了承しました。
実際に道路が参道を横切る景色を目にすると、やはり納得できない人たちが多く出てきました。
何とか昔の姿を取り戻す手立てはないものかと思案するものの、時間が経つうちに氏子が減り、
相談に集まる氏子は数軒になってしまったそうです。


お社の後方には小高い丘があり、この場所を利用して鳥居等を移したいと、残った氏子の方達
は考えているようですが、権利関係や諸々の問題からなかなか話が進まないようです。

参道を横切る道路は国道409号線や51号線への便が良く、結構交通量があります。
走り抜ける車を見ていると、地域の発展や住民の利便性と、昔から地域に根差した信仰の
場との共存の難しさを見るような気がします。

※ 「富宮神社」 成田市松崎825付近