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sausalito

Author:sausalito
成田は新しいものと旧いものが混在する魅力的な街。歴史を秘めた神社やお寺。遠い昔から刻まれてきた人々の暮らし。そして世界中の航空機が離着陸する国際空港。そんな成田とその近郊の風物を、寺社を中心に紹介して行きます。

■ ■ ■

多くの、実に多くのお寺が、明治初期の神仏分離と廃仏毀釈によって消えて行きました。境内に辛うじて残った石仏は、首を落とされ、顔を削られて風雨に晒されています。神社もまた、過疎化による氏子の減少や、若者の神道への無関心から、祭事もままならなくなっています。お寺や神社の荒廃は、古より日本人の精神文化の土台となってきたものの荒廃に繋がっているような気がします。   石仏や石神の風化は止められないにしても、せめて記録に留めておきたい・・・、そんな気持ちから素人が無謀にも立ち上げたブログです。写真も解説も稚拙ですが、良い意味でも、悪い意味でも、かつての日本人の心を育んできた風景に想いを寄せていただくきっかけになれば幸いです。                             このブログでは、引用する著作物や碑文の文章について、漢字や文法的に疑問がある部分があってもそのまま記載しています。     また、大正以前の年号については漢数字でカッコ内に西暦を記すことにしています。         なお、神社仏閣に関する記事中には、用語等の間違いがあると思います。研究者ではない素人故の間違いと笑って済ませていただきたいのですが、できればご指摘いただけると助かります。また、コメントも遠慮なくいただきたいと思います。

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【訂】2014/05/05 の「三里塚街道を往く(その弐)」中の「お不動様」とした石仏は「青面金剛」の間違いでした。  【訂】06/03 鳥居に架かる額を「額束」と書きましたが、「神額」の間違い。額束とは、鳥居の上部の横材とその下の貫(ぬき)の中央に入れる束のことで、そこに掲げられた額は「神額」です。 →15/11/21「遥か印旛沼を望む、下方の「浅間神社」”額束には「麻賀多神社」とありました。”  【指】16/02/18 “1440年あまり”は“440年あまり”の間違い。(編集済み)→『喧騒と静寂の中で~二つの「土師(はじ)神社」』  【訂】08/19 “420年あまり前”は計算間違い。“340年あまり前”が正。 →『ちょっとしたスポット~北羽鳥の「大鷲神社」』  【追】08/05 「勧行院」は院号で寺号は「薬王寺」。 →「これも時の流れか…大竹の勧行院」  【追】07/09 「こま木山道」石柱前の墓地は、もともと行き倒れの旅人を葬った「六部塚」の場所 →「松崎街道・なりたみち」を歩く(2)  【訂】07/06 「ドウロクジン」(正)道陸神で道祖神と同義 (誤)合成語または訛り →「松崎街道・なりたみち」を歩く(1)  【指】07/04 成田山梵鐘の設置年 (正)昭和43年 (誤)昭和46年 →三重塔、一切経堂そして鐘楼  【指】5/31 掲載写真の重複 同じ祠の写真を異なる祠として掲載  →ご祭神は石長姫(?)~赤荻の稲荷神社 

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房総風土記の丘
今回は「房総風土記の丘」を散策します。
現在は「房総のむら」と合併してこの場所も「房総のむら」と呼ばれていますが、
昔、何度も来た風土記の丘の名前の方が私にはしっくりきますので、
今回はこちらを使おうと思います。

風土記の丘ー1

「房総風土記の丘」は、成田市の西に隣接する栄町にある
広大な敷地に広がる県立の自然博物館です。
以前に紹介した「房総のむら」とは地続きになっています。


風土記の丘ー27

100を超える古墳が点在する広大な公園で、
古民家や資料館もあり、散策にはもってこいです。


風土記の丘ー16

房総のむらの駐車場から「房総のむら」に入らず、まっすぐ進むと「風土記の丘」です。
この道の左側に「岩屋古墳」があります。
道から少し入ったところにありますので、案内板がなければただの丘にしか見えません。
奈良県の橿原市にある舛山古墳に次ぐ、全国で2番目に大きい方墳です。


風土記の丘ー17
風土記の丘ー18

古墳に向かう道端で野鳩がエサをついばんでいました。
恵まれた自然環境の中で、人を恐れることなく暮らしているのでしょう、
近づいても全く逃げる気配がありません。


風土記の丘ー19

古墳の入り口に着きました。
残念ながらしっかりと鉄扉で閉められていて中には入れません。


風土記の丘ー20

扉の隙間からシャッターを切ってみましたが、何も写っていません。
一体この奥にはどんな世界があるのでしょうか。


風土記の丘ー25

岩屋古墳を過ぎると、右側に白い大きな木造建築が見えてきます。
「旧学習院初等科正堂」です。


風土記の丘ー26
風土記の丘ー29
風土記の丘ー30

明治39年に建設された学習院の講堂で、
外見はモダンな感じですが、中は重厚な趣があります。
昭和に入って旧遠山村に下賜され、中学校の講堂として利用されてきましたが、
空港の騒音対策のため建て替えを余儀なくされ、この地に移設されたものです。
国の重要文化財ですが、出入り自由で周りに係員もいない状態は
良い状態での保存を続けて行くには不安が残ります。

風土記の丘ー8
風土記の丘ー9
                             風土記の丘ー6

正堂の裏をしばらく進むと、「旧平野家住宅」が見えてきます。
寛永四年(1751年)に建てられた富津市の名主の家を移設しました。


風土記の丘ー10

道の左右に番号の付けられた古墳が点在しています。


風土記の丘ー12
                        風土記の丘ー11
風土記の丘ー13

さらにしばらく歩くと「旧御子神住宅」が現れます。
安永九年(1780年)に丸山町(現南房総市)に建てられた農家を移設したものです。
梁の太さなどはさすがです。


風土記の丘ー21

垣根越しに房総のむらの屋並みを見ながら進むと、「風土記の丘資料館」があります。
残念ながら撮影禁止ですが、この近辺から出土した考古学的に貴重な出土品や
資料を中心に展示しています。


風土記の丘ー22

資料館の脇からは「白鳳道」と名付けられた道が龍角寺まで続いています。
(龍角寺については「小さな龍の伝説が結ぶ三つの寺(1)龍角寺」で紹介しました)


風土記の丘ー24

資料館の周りは古墳が集中している地域で、「古墳広場」と呼ばれています。


風土記の丘ー28
風土記の丘ー31

遺跡に囲まれた広場の一角に、面白い立て札を見つけました。
「ぎんなんを持ち帰らないで ぼくらのエサが無くなっちゃう  たぬきより」
ぎんなんはタヌキやリスの貴重な食物なのですね。

この一角にはとても多くの銀杏の木があります。
ぎんなんの季節にはまだまだ遠いですが、
ベンチに座っておにぎりを頬張っている100メートルほど先を、
タヌキが悠然と横切ってゆきました。
あわててカメラを構えましたが、ズームのピントが合いません。
モタモタしている内に藪の中に消えて行ってしまいました。
あれはネコにしては大きくまるまるとしていたので、確かにタヌキでした。
それとも・・・歩き疲れて胃袋も膨らんだ時だったので、
もしかして化かされたかな?



            ※「房総風土記の丘」だけなら入場無料です。(資料館は有料)
              房総のむらの入り口を入らず、「ドラムの里」というレストランと
              産直品売り場の左を進むと、約3分で岩屋古墳、正堂が見えてきます。





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公園・施設 | 08:10:50 | トラックバック(0) | コメント(0)
謎の多い側高神社
取香ー9

取香の「側高(そばたか)神社」を訪ねます。
空港のゲートの手前左側にあり、空港への通勤者以外は人通りのないところです。
ここは道路から一段高いところにありますので、車で通る人には社殿が見えません。


取香ー6
                             取香ー8

東関東道や国道51号線方向から車で空港に入るにはここを通過します。
空港ゲートの中で一番忙しいところです。


取香ー11
取香ー12

「三里塚街道を往く(その壱)」で紹介した「側鷹神社」とは同じ“読み”でも字が違います。

石塔には「側高神社」となっていますが、なぜか拝殿の掲額は「側鷹神社」となっています。
一説には“鷹”が正しいとも・・・。
ご祭神も分かりません。
一説には「側高大神」とも・・・。
佐原の「側高神社」をはじめ側高神社ではご祭神を教えてはいけないとされているようで・・・。
何か謎めいた神社です。


取香ー13

本殿の作りも立派です。


取香ー20

「取香の三番叟(さんばんそう)」の説明板がありました。
もとは歌舞伎の三番叟に起源するもので、白髭の翁、冠の千歳、黒面のデク(三番叟)の
三人で舞う五穀豊穣を願う郷土民俗芸能です。

三番筝3
            千葉県教育委員会ホームページより転載  
             http://www.pref.chiba.ig.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p321-054.html

現在は毎年4月の第1日曜日に行われる行事ですが、
お面の箱書きに天保十一年(1840年)とあるそうなので、
少なくともそれ以前から行われていたようです。


取香ー16

庚申塚には安政五年(1858年)と記されています。
側面には「さくら」「なめ川」の文字が見えます。
ここに移設される前は道標を兼ねていたのでしょうか、めずらしいものです。


取香ー17

石尊大権現には左右に「大天狗」「小天狗」と彫られています。
どんな意味があるのか興味津々ですが、これも宿題です。
側面には安政六年(1859年)と記されています。

※ 神奈川県伊勢原市にある「大山阿夫利神社」への参拝記念碑でした。(2015.7.28)


取香ー18
                       取香ー19


取香ー15
取香ー14

いろいろと分からないことの多い神社です。
じっくり時間をかけて調べてみたくなりました。

この神社は昭和48年に東関東自動車道の工事のため
この場所に遷座されました。

それにしても不便な場所です。
氏子と切り離された場所で寂しくたたずむ様は、小菅の側鷹神社と同じです。
現在と将来にとって必要なこととは言え、空港関連の工事は、
この地域の歴史と風俗に少なからぬ影響を与えています。

新しい場所での時間が、この神社のような歴史あるものに、
静かな落ち着きを取り戻させることを祈るばかりです。


             ※ 側高神社  成田市取香276
               空港第2ビル駅から徒歩約12分。京成成田駅からサークルバスで
               成田東武ホテルエアポート下車(約30分)、徒歩3分。



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遠山村の寺社 | 21:25:48 | トラックバック(0) | コメント(0)
六月の風
6月の風ー4

紫陽花が咲いています。


6月の風ー7
                                             多古町 栗山川べり

多古町の栗山川の土手にはたくさんの紫陽花が植えられています。
毎年6月にあじさい祭りが「道の駅多古」を中心に行われ、今年は22日(日)に開催されました。


6月の風ー9

田んぼの稲もちょっと背が高くなりました。


6月の風ー12
蛙や田螺もこの季節を待ちかねていました。 6月の風ー14


6月の風ー15
6月の風ー3
6月の風ー1
                                                 多古・栗山川

雨上がりの六月の風は
  しっとりとした空気の中に 
    近づく夏の熱気を込めた
      川面を流れる風



6月の風ー21

雲が垂れこめ、雨がぱらついてきました。
六月の空は気まぐれです。


6月の風ー27

空港の滑走路も雨で霞んでいます。


6月の風ー28
心なしか離陸も重たそうです。 6月の風ー29
                            6月の風ー30


6月の風ー32

足元の水たまりに何か映っています。


6月の風ー33
                                                さくらの山

今飛び立った飛行機です。
こんな角度で飛行機を見たのは初めてです。


6月の風ー16

雨に濡れて紫陽花の花も一段と鮮やかな色に見えます。


6月の風ー23

成田山の上空もどんよりとした雲が垂れ込めています。


6月の風ー25
6月の風ー26
                                               成田山三学院前
通る人も無い裏道に、精一杯紫陽花が咲いています。
誰も見ていなくとも、毎年繰り返される営みです。


6月の風ー22


雨の六月の風は
  雨垂れのなかに
    初夏の薫風が絡む
      伽藍の屋根を濡らす風


6月の風ー20

まだしばらく雨は降りつづきそうです。





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 風  | 10:19:11 | トラックバック(0) | コメント(0)
裏参道を歩く
成田山の「裏参道」を歩いてみます。
表参道があるのなら裏参道も・・・と考えましたが、どうも良く分かりません。
多分、この道だろうと歩いて、後に出てくる出雲屋のご主人と、
成田山の平和大塔の脇にある食堂のおかみさんに聞いて確認できました。


裏参道ー30

スタート地点は408号線の「成田山裏門入口」の交差点です。
51号線側からは「土屋」交差点の1つ手前、イオンモールのはずれがこの交差点です。


裏参道ー12

100メートルほど入ると右側に「大宮神社」があります。
秀吉の時代、殿台城主馬場伊勢守勝政により建立ですから、
約400年の歴史があります。


裏参道ー13

古い標識には「右 あじき龍○さ○(龍がさき)」
「左 なりたさん」と彫られています。


裏参道ー15
大宮神社ー2

この大宮神社は以前に詳しく取り上げましたので、先を急ぎましょう。
(左欄の「記事の分類とアップ数」の「神社・仏閣」をクリックすると出てきます)


裏参道ー29

特に目立つものも無い普通の道です。
「参道」をイメージできるものは見当たりません。


裏参道ー10

10分ほど歩いてようやく何か由緒ありげな屋号の食堂を見つけました。
出雲屋さん、聞けば創業100年近くになるそうです。
明治の終わりか大正の始めからこの地で商いをしていたわけです。        


裏参道ー9

いなりずしとのりまき、がメインで、蕎麦と丼物もやっています。
今はほとんどの参拝客が車でこの参道を登って行ってしまいますから、
お客さんは地元の人がほとんどでしょう。
でも、正月はこの参道も車の大渋滞と、行き交う人で混雑しますから、
唯一最大のかきいれ時になるのでしょう。


裏参道ー8

どこまでも平凡な道が続きます。
生活道路として、地元の方々には重要な道路なのでしょうが、
参道として歩きたい人間にとっては何か物足りないような・・・


裏参道ー7

「土屋中央通」の標識が立っていますが、個人的には「裏参道土屋中央通」と
して欲しかったと思います。
でも、ご近所の方にとっては“裏”という表現は好ましくないのでしょうね。


裏参道ー2

出雲屋さんから50メートルほど、カーブの先に異様な光景がありました。
この景色は前に2、3度見た記憶がありますが、場所も覚えていませんでした。
「土屋商店会マップ」という大きな看板が掛けられていますが、
看板を立てるための建造物にしては物々しすぎます。


裏参道ー1
裏参道ー3

後で調べたところ、これは昔ここを通っていた「軽便鉄道」の陸橋の「橋げた」でした。(※1)
後日あらためてここを訪ねて良く見てみましたが、言われてみればなるほど頑丈な橋桁です。
三里塚へ向かうのにずいぶんと回り道をしていたようです。

軽便鉄道に関しては、あちこちで話しは聞くのですが、
ほとんど痕跡が残っていません。
いずれ、行く先々で聞く軽便鉄道の話しをつなぎ合わせてみようと思っています。


裏参道ー6

家並みの切れ目から「平和大塔」が見え隠れしています。
「平和大塔」は昭和59年の建立ですから、
この道が裏参道と言われていた頃には見えなかった景色です。


裏参道ー32裏参道ー33

相変わらず興味をそそられる景色が現れません。
しばらく歩いてお寺の看板を見つけました。


裏参道ー34

横町を入ると古い旅館がありました。
様子からしてもう営業はしていないようですが、参道の名残のような気がします。


裏参道ー35

長い階段が現れました。
がんばって登ってみました。


裏参道ー36裏参道ー38

ひょっこり出た場所は、成田山の釈迦堂の裏にあるお土産物屋さんや
占い部屋、食堂が並ぶ広場の裏手でした。
釈迦堂の屋根も見えます。
薬王寺はどこにあるのでしょう?
どうやら道を間違えたようです。


裏参道ー67

あわてて来た道を引き返します。
階段の登り口にさっきは気がつかなかった石柱が立っています。
「従是西貮百六間 従是東五拾貮間四尺 新勝寺所有地」と書かれています。
裏面には「明治二十七年建立」とありました。
この階段から上は新勝寺の土地だったのですね。


裏参道ー68

参道に戻り一本前の路地を入ると、ありました、薬王寺。


裏参道ー69
裏参道ー42

立派な山門です。


裏参道ー43
裏参道ー44

薬王寺は天台宗のお寺で、ご本尊は木造の「阿弥陀如来」です。
天正十八年(1590年)までは殿台城主の馬場伊勢守勝政(大宮神社を建立)の
持仏だったものです。
このお寺にはたくさんの歴史が詰まっているようです。
いずれもう一度ゆっくり訪ねてみたい場所です。


裏参道ー46
裏参道ー47
裏参道ー48

境内の裏側に回ると、狭く急な石段がありました。
本堂の裏手から延びる階段ですが、あまり人が利用している様子がありません。
進んで良いものか、迷いましたが、好奇心には勝てません。

登りきったところに「福聚観世音」がありました。


裏参道ー50
裏参道ー51

この先を左に行けば成田山の平和大塔に続きます。
右には額堂の屋根が見えています。
曲がりくねった参道と路地、お寺の階段と歩いていると、方向感覚が無くなってしまいます。
何でここに出るのか良く分かりませんが、隠れた裏道を発見したような喜びがあります。


裏参道ー85
裏参道ー55

参道に戻ってきました。
さすがに成田山に近付くと、古い家や壊れかけた土蔵などが見えて、
参道らしい雰囲気が出てきます。


裏参道ー56

ずっと見え隠れしてきた「平和大塔」も大きく見えています。

成田山裏門は目の前です。

今回は脇道にそれてばかりでしたが、まだまだ気になる脇道がありました。
機会があれば探索してみたいと思います。


          ※1 「成田の史跡散歩」(小倉 博 著 崙書房)80ページ。

          ※ 薬王寺  成田市土屋8

  



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参 道 | 20:36:53 | トラックバック(0) | コメント(0)
忘れられた駅、「成田空港駅」
かつて「成田空港」という駅がありました。
現在成田空港の駅としては「空港第2ターミナル」と「成田空港」の2つですが、
この2つの駅ができる前には、今の「東成田」駅が「成田空港」駅だったのです。


東成田ー27

東成田ー6

この駅は成田空港の開港に合わせるべく、突貫工事で昭和47年に竣工しました。
ただ、空港反対運動やパイプラインの工事の遅れなどから、実際の運用は6年遅れで
昭和53年でした。
現在は京成電鉄と芝山鉄道の共同使用駅となっています。


東成田ー1

芝山千代田からの電車がホームに入ってきました。
次は終点の成田です。
東成田駅は京成東成田線の終点で、芝山鉄道の始発駅になります。


東成田ー2

ホームは地下にあります。


東成田ー3
東成田ー4

電車が行った後のホームには人影は全くありません。


東成田ー5

目を凝らすともう一本ホームがあります。
真っ暗で良く見えませんが、ここがかつての「成田空港」駅のホームです。
駅名板もそのままに、ただ打ち捨てられたように暗い空間に横たわっています。
ここだけは20数年前のまま、時間が止まっています。
平成3年に成田空港線が開通して、空港駅としての役割を終え、
駅名も「東成田」に変わりました。


東成田ー7

ここに焼きたてのパンとコーヒーやジュースが飲めるスタンドがありました。
まだ看板もそのまま残っています。
昔、通勤に利用していた頃には良く立ち寄りました。


東成田ー8

もともと日中はほとんど乗客のいない芝山千代田駅からの電車が、
成田に向って走り去って行っても、この駅の改札を出る人はいません。
一日の乗降客は約2000人、そのほとんどが空港勤務者で、
通勤時間帯に集中します。


東成田ー11

改札を出るとコンコースがあり、見事な陶板壁画が目に入ります。


東成田ー9
東成田ー10

「曲水の宴」と題された陶板画は、1980年に原画/森田嚝平、造形/ルイ・フランセン、
題字/川崎千春によるもので、壁面いっぱいに広がる見事な作品です。
この壁画も朝夕の忙しい通勤客だけが利用する今では、
ゆっくり愛でる人はいなくなってしまいました。


東成田ー12

貨物地区に出る通路です。
今はほとんどの人がこの通路から空港内の職場に向います。
出口には警備員がいて、空港の通行証の提示を求めます。


東成田ー13

こちらが正面出口に通じるエスカレーターですが、
ここから出る人がほとんどいない今は止まっていて、階段を上ることになります。


東成田ー14

成田空港駅だったころは、ここから空港へシャトルバスで向いました。
荷物検査があり、パスポートの提示が求められ、電車が着くといつも大混乱したものです。


東成田ー16
東成田ー17

正面口を出ると直ぐ後ろに管制塔が見えます。
この駅は空港の真ん中に作られた駅なのです。


東成田ー18
東成田ー19
東成田ー20

ピーク時には1日平均2万人を超える乗降客があっただけに、
当時を知る者としては、この景色には寂しさを感ぜずにはいられません。


東成田ー23
東成田ー24
東成田ー25

改札口の脇に不思議な地下道があります。
500メートル先の空港第二ターミナル駅に通じています。
途中で直角に曲がり、アップダウンのある地下道は、先が見通せないため、
実際以上に長く感じます。
誰もいない、見通しが悪い地下道は少し不気味な感じです。
以前は両側の壁に地元の小学生の絵や習字が年に数回張り出されていましたので、
なんとか気が紛れたものです。


東成田ー26
東成田ー28
東成田ー29

ようやく空港第2ターミナル駅に出ました。
右に行けば空港への検問ゲート、左に行けば改札口です。


京成東成田線の終着駅、芝山鉄道の始発駅、
そして、忘れられた成田空港駅・・・
静かで寂しい、レトロな雰囲気を味わいたいなら、日中の東成田駅はお勧めです。


            ※東成田駅  成田市古込字込前124




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鉄道・駅 | 11:12:12 | トラックバック(0) | コメント(0)
日本一短い私鉄、芝山鉄道
「芝山千代田」駅は芝山鉄道の終着駅です。


芝山鉄道ー15

駅は成田市と芝山町の境界にありますが、所在地は芝山町になっています。
芝山鉄道株式会社の本社も駅舎内にあります。
千葉県や成田市、芝山町、日本航空などが出資する第三セクターによる運営で、
成田空港株式会社の連結子会社です。


芝山鉄道ー1

芝山鉄道の始発駅は京成電鉄と共同利用の「東成田駅」。
東成田駅は地下ホームなので、しばらくはトンネルのような地下を走ります。


芝山鉄道ー2

地上の明かりが見えてきました。


芝山鉄道ー3

地上に出ると直ぐに高架になります。


芝山鉄道ー5

車窓の直ぐそばに旅客機が見えます。
空港の敷地に沿って走っているようです。


芝山鉄道ー6

終点の芝山千代田駅が見えてきました。
終点と言っても、始発の東成田を発車してから最初の駅です。
そう、芝山鉄道は東成田駅と芝山千代田駅間の一駅区間しかないのです。

自社で鉄道を保有する第一種鉄道事業者としては、
日本一短い路線なのです。
なにせ単線で2.2キロしかないのですから。


芝山鉄道ー8

ホームの直ぐ先は行き止まり、まさに終点です。


芝山鉄道ー9
芝山鉄道ー10

運転業務は京成電鉄に委託しています。
京成成田から芝山千代田までの所要時間は10分、東成田からは4分です。
空港反対派の用地を避けるため、カーブがきつい個所があり、
時速35キロで運行されています。


芝山鉄道ー11

ホームの待合室に埴輪人形が飾られていました。
芝山町は芝山古墳の埴輪に代表される「埴輪の町」です。
毎年11月には芝山不動尊を中心に盛大な「はにわ祭り」が行われます。


芝山鉄道ー12

改札口の脇で埴輪のレプリカを売っています。
大きいものでも4000円でした。


芝山鉄道ー16

駅前には大きな建物はありません。
少し離れたところにいくつかの航空貨物の会社や空港関連会社の建物が見えるだけです。


芝山鉄道ー17

駅に隣接して小さな食堂があります。
観光案内所も兼ねた内部は、7~8人で満席になるカウンターのみですが、
通りかかるトラックのドライバーや空港で働く人たちが立ち寄っているようです。


芝山鉄道ー18

観光地で良く見る定番の風景です。


芝山鉄道ー19

道路を渡って空港の敷地に入る地下道です。
覗いてみたら直ぐ下に警備員さんがいました。


芝山鉄道ー20

駅前のロータリーに大きな馬の埴輪が並んでいます。


芝山鉄道ー21

空港の駅だけにどの馬も翼を持っていました。


芝山鉄道ー22

芝山鉄道を太平洋岸の九十九里浜まで延長する運動が展開されています。
このあたりはJRや京成の成田方面から海岸に沿って走る総武本線を結ぶ
鉄道がありません。
延長は住民の悲願でしょうが、採算を考えるとなかなか具体的な動きが出ないようです。


芝山鉄道ー23

ここではPASMOが使えません。


芝山鉄道ー24
芝山鉄道ー25

30分に1本の電車が入線してきました。
さっき乗ってきた車両と同じです。
同じ車両がひたすら往復しているようですね。


芝山鉄道ー26

ホームからは遠くに管制塔が望めます。


芝山鉄道ー27
芝山鉄道ー29
芝山鉄道ー30

東成田側のホームの端まで行けば、誘導路を移動する旅客機や格納庫入りする旅客機、
飛立つ旅客機が見えています。


芝山鉄道ー28
芝山鉄道ー31

再び電車に乗って成田まで帰ります。
乗客は見えませんが、警察官が1名乗っています。
空港反対派や過激派に対する警戒のためですが、本当にご苦労様です。


芝山鉄道ー32

発車した電車の窓から優雅な旅客機を見ながら、東成田、成田へと向います。


                   
                   ※芝山千代田駅  山武郡芝山町香山新田字橋松
                     成田―東成田 260円、東成田―芝山千代田 200円




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鉄道・駅 | 22:44:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
小さな龍の伝説が結ぶ三つの寺(3)「龍尾寺」
龍伝説の寺の最後は「龍尾寺(りゅうびじ)」です。
印旛沼の龍の尾を葬ったお寺です。

伝説の寺ー85
伝説の寺ー69

あちこち探し回ってやっと見つけました。
真言宗智山派のお寺で、ご本尊は釈迦如来、
「天竺山尊蓮院龍尾寺」が正式名です。
梵字が彫られた山門前の石碑には元禄七年(1694年)と記されています。
朱塗りの山門には何の飾りもありませんが、なかなか歴史を感じさせます。


伝説の寺ー86
伝説の寺ー87

手水舎に「弘法大師手鑿の井戸」から引いた水で、「目を洗ったり飲んだりするので、
水を汚さないように」という注意書きがありました。
龍が巻き付き、口から水を吐き出しています。
龍の伝説の寺らしい演出で、うれしくなります。


伝説の寺ー88
伝説の寺ー89

「龍尾寺板碑」です。
説明板によると、阿弥陀如来の文字が梵字で彫られています。
応安六年(1373年)の建立で、匝瑳市の有形文化財です。


伝説の寺ー72

手水舎の後方に古いお堂があります。
掲額の文字は剥げ落ちて読みにくくなっていますが、「薬師堂」と読めます。


伝説の寺ー74

裏手に回ると井戸がありました。
「弘法大師手鑿の井戸」です。
大同二年(807年)に弘法大師がここを訪れ、
その時に自ら井戸を掘ったと伝えられています。
以来、枯れることなく清水が湧き出しています。


伝説の寺ー75伝説の寺ー76

弘法大師報恩塔がたっています。
台座には、寶作延長 国家安泰 五穀成就 萬民豊楽 と刻まれています。
昭和10年の建立です。


伝説の寺ー77
伝説の寺ー78

立派な構えの本堂です。
三つの龍伝説の寺の中では一番手入れが行き届いていて、
すがすがしい雰囲気です。

このお寺は和銅二年(807年)の建立と伝えられています。
その後火災で焼失し、平成8年に再建されたそうです。


伝説の寺ー81
伝説の寺ー79
伝説の寺ー80

本堂前の二つの灯篭に龍の彫り物がありました。
伝説の三つの寺を巡って来ましたが、やっと出会った伝説の主です。


伝説の寺ー82

本堂の右手に薬師堂より一回り小さいお堂があります。
掲額が無く、このお堂の名前は分かりませんが、長い年月を経てきたことが分かります。


伝説の寺ー92

格子の間から中を覗かせていただきました。
観音様でしょうか?
とても優しいお顔で、優美なお姿です。
ポツンとここに置かれているのはもったいないと思いました。


伝説の寺ー67伝説の寺ー68

裏門の外に朱塗りの小さな祠がありました。
細かい龍の彫刻が施されています。

この龍尾寺は伝説の三つの寺の内、唯一“龍”をモチーフにした建造物がある寺でした。


伝説の寺ー28
                                                     龍角寺

伝説の寺ー57
                                                     龍腹寺

伝説の寺ー83
                                                     龍尾寺

龍角寺から龍腹寺へ、そして龍尾寺へと、小さな龍の伝説を追ってきました。
印旛沼から安食、本埜、匝瑳へと広がるロマン溢れる龍の物語が、
もっと広く知られるようになってほしいと願っています。

印旛沼の龍
 (佐倉藩士、渡辺善右衛門守由が記した「古今佐倉真佐子」にある「印旛沼の龍の伝説」)
                   水土里ネット印旛沼 http://www.inbanuma-lid.jp/ より転載 
前々回の「小さな龍の伝説が結ぶ三つの寺(1)龍角寺」の最後にある印旛沼の地図と
見比べてみて下さい。 似ているでしょう?    


               ※ 龍尾寺  匝瑳市大寺1856
                 総武本線八日市場駅から循環バス(豊和・椿海循環)大寺下車 2分
                                                    



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匝瑳市の寺社 | 22:34:16 | トラックバック(0) | コメント(2)
小さな龍の伝説が結ぶ三つの寺(2)「龍腹寺」
伝説の寺「龍腹寺」を探して印西市(旧本埜村)にやってきました。


伝説の寺ー37

細い道路の脇に仁王門を見つけました。
道路から少し高いところにあり、木々に遮られて見落としそうです。


伝説の寺ー38
伝説の寺ー39
伝説の寺ー40

左右に仁王様がおられるのですが、前面のガラスが埃でくもり、中が見えません。
横に貼られていたポスターを写して我慢しました。
右(上)が丹慶の作、左(下)が慈覚大師の作と伝えられています。


伝説の寺ー41
伝説の寺ー42

仁王門には所狭しと五穀豊穣を願う草鞋や木槌が括り付けられています。
高い場所にあるので、書かれている文字は読めませんが、
さぞかし古いものだろうと思われます。

永正五年(1505年)、千葉・北条の戦で灰燼に帰し、
天文十九年(1550年)に千葉氏によって再興、
文政元年(1818年)失火により全焼、当時の領主の稲葉公が再建するも、
またも火災により焼失・・・という災禍の繰り返しだった仁王門は、
嘉永六年(1853年)に近郷からの浄財を集めて再興されました。
その後長い間荒廃していましたが、昭和59年に修復が行われ、現在に至っています。


伝説の寺ー43

仁王門の先に見えるのが本堂でしょうか?


伝説の寺ー56
伝説の寺ー54

近づいて見ると「延命地蔵尊」という掲額があります。
地蔵堂でした。
この地蔵堂に龍の胴体が祀られているわけです。


伝説の寺ー44
伝説の寺ー46

地蔵堂の手前に大きな梵鐘がありました。
南北朝の頃の鋳造だと説明板に書かれています。


伝説の寺ー47
伝説の寺ー52

梵鐘の右奥には日枝神社がありました。


伝説の寺ー48
伝説の寺ー49伝説の寺ー51

神社の裏手には小さな祠がたくさん並んでいます。
出雲大社、三峰山、浅間神社、諏訪神社、八阪神社などなど、所狭しといった状態です。


伝説の寺ー53

地蔵堂の裏手には墓地が広がっていました。
古い墓石に交じって比較的新しい墓石もあります。


伝説の寺ー55

大きな灯篭には天保七年(1836年)と刻まれています。

それにしても本堂が見当たりません。
龍腹寺の文字もどこにもありません。


伝説の寺ー62

諦めて帰りかけた時、仁王門と地蔵堂から100メートルほど離れたところに
狭い急坂があり、石柱がちらりと見えました。
民家の庭先に出てしまうかもしれませんが、思い切って登ってみます。

石柱には「龍腹寺」と刻まれています。


伝説の寺ー58

ここに本堂がありました。

「玄林山龍腹寺」は延喜十七年(917年)に創建された歴史あるお寺です。
(一説には大同二年(807年)とも)
ご本尊は「薬師如来」で、もともとは「勝光院延命寺」と称していましたが、
例の龍の胴体をここに葬った時に、「龍腹寺」に改めたと言われています。


伝説の寺ー60

ご本尊が安置されているとなりの部屋では、説法会が行われていました。


伝説の寺-59
伝説の寺ー61

仁王門や地蔵堂のある一角に比べると、素っ気ない境内です。

龍角寺と同じく、龍の伝説にまつわるものは見当たりません。
龍腹寺という少し変わった名前に興味をひかれる人は少なくないでしょう。
ちょっと伝説に触れる説明板でもあれば楽しいのに・・・と思ってしまいます。
(お寺は楽しむところではありません、と怒られてしまいますかね)

文久三年(1863年)に創建された龍腹寺の本堂は、
昭和20年の東京大空襲で焼失した「成田山東京別院深川不動尊」の
本堂再建のため、昭和25年に移築されました。
現在の本堂はその後に建てられたもので、詳しい事情は分かりませんが、
その時仁王門や地蔵堂から離れたこの場所に移ったのではないでしょうか。


伝説の寺ー63
伝説の寺ー64
伝説の寺ー65

見つけました!
これぞ、龍の伝説のモニュメント。
お寺の近くの北総線の跨線橋に、龍のオブジェです。
やっと伝説の地にいる実感が湧いてきました。

ここまで来たら、匝瑳(そうさ)にあるという「龍尾寺」を探さないではいられません。
次回は「龍尾寺」を訪ね、小さな龍の伝説を完結させたいと思います。


             ※ 龍腹寺  印西市竜腹寺626 (住所では“竜”になっています)
               北総線印西牧の原駅より循環バス 印旛支所ルートで約8分
               龍腹寺東または龍腹寺西下車




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印西市の寺社 | 07:34:11 | トラックバック(0) | コメント(0)
小さな龍の伝説が結ぶ三つの寺(1)「龍角寺」
栄町の「龍角寺」を訪ねます。

伝説の寺ー28

言い伝えによれば、和銅二年(709年)に竜女が現れて薬師如来像を祀ったことを
起源として、天平二年(730年)釈命上人により「龍閣寺」として開かれたという
関東屈指の歴史ある寺です。


伝説の寺ー25

天台宗のお寺で、天竺山寂光院龍角寺が正式名です。
ご本尊は薬師如来で、銅造薬師如来坐像は国の重要文化財に指定されています。


伝説の寺ー31

常夜塔には文化二年(1805年)と刻まれています。
(弘化二年とも読め、自信がありません。弘化なら40年後です)


伝説の寺ー23

これが本堂か?と一瞬意外な感じがしました。
由緒ある古刹の本堂とは見えなかったからです。


伝説の寺ー29

中を覗いてみましたが、ご本尊の写真と、
境内から出土した瓦などが飾られていています。
薬師如来像は頭部と胴体部が別作のものですが、
頭部は白鳳時代のもので、竜女伝説と一致します。

(竜女伝説と今回の表題の龍にまつわる伝説とは違うものです。
“龍の伝説”は最後にお話しします。)


伝説の寺ー24
伝説の寺ー30

ご本尊や大切なものは後ろに続く倉のような建物に保管されているようですが、
それにしても、大分傷んでいます。


伝説の寺ー1
伝説の寺ー2

奥にある三重塔跡も石柱が倒れたままで、荒れ果てた感じです。

塔の礎石は「不増不滅の石」と呼ばれ、中心にある主柱をはめた穴には、
日照り続きであっても、雨が降り続いても、常に一定の水が溜っていると伝えられています。


伝説の寺ー3

三重塔跡のとなりには、出土した古瓦を埋めた塚があります。


伝説の寺ー5

さらに右奥には小さなお社があり、消えかけた掲額には
「金毘羅大権現」の文字がかろうじて読めます。


伝説の寺ー8

校倉造りの資料庫で、明治初期の建物です。
三里塚御料牧場にあったものをここに移設しました。


伝説の寺ー10
伝説の寺ー11
伝説の寺ー12

一番奥まったところには古いお墓が並んでいます。
安永、宝暦、享和、文化などの年号が読めます。


伝説の寺ー14

資料庫の左奥にある「二荒神社」です。


伝説の寺ー17
伝説の寺ー19
伝説の寺ー20

資料庫脇の坂道を下ると代々の住職達のお墓が並んでいました。
天保、文政、享保。文久、安永などの年号が刻まれています。
さすがにどれも立派な石塔です。


伝説の寺ー22
伝説の寺ー21

本堂の左側には立派な石塔が八つ並んでいます。
どれも年代を感じさせるもので享和、延宝、文政等の年号が刻まれています。


伝説の寺ー32
伝説の寺ー33

境内のあちこちに古い石塔が立ち並んでいます。


伝説の寺ー35
伝説の寺ー36

金堂跡です。
本堂と資料庫の間にあります。

発掘調査によってこの場所には三重塔と並んで金堂がある
「法隆寺式伽藍配置」であったことが分かっています。
今はいくつかの石が転がる塚にしか見えませんが、往時は人々の信仰を集める
立派な金堂が建っていたのでしょう。


伝説の寺ー26

仁王門の建っていた跡にも、いくつかの礎石が並んでいるだけです。

繰り返される火災で古い建造物は一つも残っていません。
歴史のある名刹が、どこか荒れた感じがするのは寂しいことです。
分かりにくい場所ですが、案内板を立て整備を加えれば、
また多くの人々が訪れる賑わいを取り戻せると思うのですが・・・。

さて、この龍角寺には興味ある伝説が残っています。

大昔から印旛沼には龍が棲んでいると言い伝えられてきました。
そう言えば、印旛沼は龍の形に似ています。

印旛沼地図
(水土里ネット印旛沼 http://www.inbanuma-lid.jp/ より転載)      

ある年長く続く日照りに田畑は荒れ果て、この地の住民は困窮を極めていました。
龍閣寺の釈命上人が印旛沼に舟を漕ぎ出し、雨乞いの祈祷をしたところ、
沼に棲んでいた小さな龍が人々の苦しみを哀れに思い、龍王の教えに背いて
天に昇って地上に七日七晩雨を降らせ、乾いた田畑を蘇らせてくれました。
しかし、この小さな龍は龍王の怒りに触れ、雷鳴とともに体を三つに切り裂かれて
地上に落ちてきました。
その身を犠牲にして自分たちを救ってくれた小さな龍を哀れに思った住民たちは、
落ちた龍を探しまわり、頭を安食村で、胴体を本埜村で、尻尾を匝瑳の大寺で見つけ、
それぞれの地に手厚く葬ったそうです。
その時、頭を葬った龍閣寺を龍角寺とあらため、
胴体を葬った本埜村の地蔵堂に龍腹寺を建て、
尻尾を葬った大寺にあった寺を龍尾寺としたそうです。

伝説の頃の人々の距離感からすると、そうとうスケールの大きいファンタジーです。

龍角寺から龍腹寺までは車で約30分、龍尾寺までは1時間半程度かかります。
次回は龍腹寺を、そして龍尾寺を訪ねてみようと思います。


             ※龍角寺   印旛郡栄町龍角寺239
               JR成田線安食(あじき)駅から徒歩30分、バスは「竜角台車庫」行き、
               または「安食循環」で「酒直坂上」下車徒歩10分。



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栄町の寺社 | 11:09:49 | トラックバック(0) | コメント(0)
成田山の表参道を歩く(2)
前回に引き続き表参道を歩きます。



前回最後に紹介した薬師堂から坂を下ります。


表参道ー67

薬師堂と通りをはさんで成田出身の俳人、三橋鷹女(みはし たかじょ)の像が立っています。
成田高等女学校を出た鷹女は若山牧水や与謝野晶子に師事し、
夏痩せて 嫌ひなものは 嫌ひなり
鞦韆(しゅうせん)は 漕ぐべし 愛は 奪うべし
等の激しい句で知られています。


表参道ー66

ここは駅から続く表参道が、郷部(ごうぶ)方面から来る西参道と合流する地点です。
右に下れば成田山の総門、左を行けば以前紹介した三ノ宮埴生神社に至ります。
二股路に古い酒屋さんが建っています。
前回紹介した成田の地酒「長命泉」のノボリが見えます。


表参道ー65

参道は緩く右に曲がりながら下って行きます。
ここまで来ると両側に続く店はいずれも歴史を感じさせるものばかりです。


表参道ー63
表参道ー62

うなぎ屋、薬屋が目立つ一角ですが、オリジナルの竹製品を売る店も繁盛しています。


表参道ー61

道はこんどは緩く左へと曲がって行きます。


表参道ー60
表参道ー59

うなぎで有名な「川豊本店」です。
店先でうなぎをさばき、おいしそうな匂いの煙を参道に流しながら焼いています。
休日には行列が絶えない名店です。
かつては旅館だった建物は、大正6年に建てられたものです。


表参道ー51

川豊本店の向いには「成田観光館」があります。


表参道ー55
表参道ー54

中には7月の成田祇園祭に使われた山車を始め、
数々の成田にまつわる展示物を見ることができます。


表参道ー53
表参道ー52
表参道ー56
表参道ー58
表参道ー57

入場無料なので、歩き疲れた方の恰好の休憩所になっています。


表参道ー3

目立たない細い路地の奥にしゃれた甘味処がありました。
両側のお店のひさしの間を抜けて入って行くような感じで、
気をつけていないと見過ごしてしまいます。


表参道ー38
表参道ー2

この場所にこんな空間があるとは・・・
表通りの喧騒は聞こえてきません。
あまり知られていない店なので、ちょっとした隠れ家のような気がします。


表参道ー50

そろそろ総門が近づいてきました。


表参道ー49
表参道ー48

老舗の「梅屋旅館」です。
今は旅館業はお休みで、お食事処として営業しているようです。
交通が便利になると旅館業が苦しくなるという話しは、あちこちで聞きますね。


表参道ー47
表参道ー46

同じく老舗の「大野屋旅館」です。
こちらも旅館業は開店休業で、お食事処と漬物屋として営業しています。

平成17年に国の有形文化財に指定された建物は、
木造3階建てで望楼が付いているユニークな外見です。
創業は江戸中期ですが、この建物は昭和10年に建てられたものです。

大分前になりますが、大勢の修学旅行の生徒たちが、
二階から参道を眺めていたことを思い出します。


表参道ー43

大野屋の先にベンチのある小さな休憩スペースがあります。
「延命院旧跡」と彫られた石碑が建っています。

天保の改革で贅沢なものが狙い撃ちにされた中に、歌舞伎も入っていました。
失意の中にあった七代目市川団十郎に、縁の深い成田山新勝寺が
手を差し延べ、ここにあった延命院に住まわせたのです。


表参道ー45

朽ち果てたような木造の建物がうっそうとした庭木の合間から見えましたが、
これが延命院にゆかりあるものなのかは分かりません。


表参道ー41
表参道ー40
表参道ー39

門前町の風情が色濃く残る表参道。
この雰囲気を残し、維持して行くには大変な苦労があることでしょう。
店先をただ通り過ぎるだけではなく、中に入ってその苦労と、
古きものを守って行こうとする“心意気”みたいなものを感じてみたいものです。


山門ー46
山門ー21
山門ー18

大師堂、弁財天と続いて総門に辿り着きました。


表参道ー1

表参道から総門をくぐり、仁王門から急な階段を上って大本堂へ。

JR成田駅からは徒歩15分程度の距離ですが、
参拝の行き帰りには是非お店のいくつかを覗いてみて下さい。




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参 道 | 00:04:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
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