
この公園は、成田空港の建設により、それまでこの地にあった
「宮内庁下総御料牧場」が栃木県に移転したため、
我が国の畜産振興に多くの実績を残した御料牧場を記念して造られました。

門を入りしばらく行くと右手に茅葺きの平屋が見えてきます。
これは「貴賓館」で、各国の大公使を招待しての園遊会や、
皇族の宿舎として使われたものです。

玄関から覗くと、内部も外見と同じく和風です。

欄間、襖、畳、障子・・・日本家屋そのものです。
これで外国の客人をもてなすことができたのでしょうか?

いくつかの部屋を抜けて奥の部屋に入ると、洋風の大広間が現れました。
板張りの床に高い天井、照明もシャンデリア風です。
広く大きな窓に白い壁。
これなら外国人を招いてちょっとしたパーティーが開けます。

広い風呂場には総檜の浴槽が。

とても面白いものを見つけました。
雨戸の戸袋を少なくして、室内を出来るだけ明るくするための工夫です。
直角に曲がる場所では雨戸を半分ほど庭側に飛び出させ、角の丸い金具と
溝を削った場所を利用して90度ターンさせるのです。


ちょっとしたコツが要りますが、これだと角かどに戸袋は要りません。
お分かりになりますか?

折れ曲がった長い廊下も戸袋が無いので、陽の光が差し込んで
室内がとても明るくなっています。

芝生の庭には2つの文学碑があります。
左奥にはこの場所に近い駒井野に住んだ文人、水野葉舟の歌碑で、
「我はもよ野にみそきすと しもうさの あらまきに来て土を耕す」とあります。
手前は葉舟の親友の高村光太郎の詩碑で、“三里塚の春は大きいよ。”から始まる
「春駒」という詩が刻まれています。

これは裏庭にある防空壕の鉄扉です。
階段を地上から10メートルほど降りたところにあります。
左側の細長く見える斜面は、爆風を逃がす設計で、地上に通じています。
昭和16年に宮内省(当時)から発注され、当時の皇太子(今上天皇)が
戦災を避けてこの地に来られた時のために造られました。

小さな前室の先に主室があります。
壁のコンクリートは75センチ、1メートルの爆風逃しの空間を挟んで
さらに52センチのコンクリート壁で守られています。
広さは3.4坪、電話の引き込みもありました。

爆風逃しのスペースは1メートル、この右側が主室になります。
一般の防空壕とは規模も強度も比べ物になりません。
なお、この防空壕が使われたという記録はありませんが、
この防空壕の存在は機密事項でしたから、真偽のほどはわかりません。

明るい地上に戻り、公園の奥にある「三里塚御料牧場記念館」に向うと、
左側にひっそりと3つ並んだ石碑がありました。
一番左は「獣医学実地教育創始記念碑」です。
明治11年、取香種畜場に獣医科が設けられたことを記念する碑です。
真ん中の石碑には「名馬ダイオライトの碑」と書かれています。
昭和10年に英国から輸入された種牡馬で、子には史上初の三冠馬・
セントライトがいます。(ダイオライトは閃緑岩の意)
右の石碑は「名馬トウルヌソルの碑」です。
昭和2年に英国から輸入された馬で、第1回日本ダービーの優勝馬・
ワカタカをはじめ多くのダービー優勝馬を輩出しました。
東京の目黒競馬場跡の近くに銅像があるそうです。
(トウルヌソルはひまわりの意)

記念館の前庭に新山荘輔博士の銅像が建っています。
下総御料牧場をはじめ各地の御料牧場長を勤め、三里塚近郊の振興や
児童たちの奨学に大きな功績を残した人です。

残念ながら記念館の内部は撮影禁止です。
内部には御料牧場の歴史や畜産や農耕に関する資料の展示があり、
2度にわたって行幸された明治天皇や昭和天皇が行幸された時の記念品等が、
展示されています。

葉舟をはじめ高村光太郎、窪田空穂、前田夕暮、水町京子等の
三里塚ゆかりの文人たちの作品も展示されています。

公園の入り口から記念館へと続く一本道はトチノキ並木です。
左奥にある細い散策路に沿って桜が植えられ、こちらは桜並木になっています。
数本の八重桜が残り少ない花を咲かせていますが、
2週間ほど前には、大勢の花見客でさぞかし賑わったことでしょう。
※三里塚記念公園 成田市三里塚御料1-34
JR成田駅東口からから三里塚行き、または多古行き・八日市場行きで
三里塚下車。来た道を戻る方向に徒歩3分。
入場無料。貴賓館は原則として内覧はできません。
記念館も入場無料。駐車場あり。