寺台から三里塚交差点までが通称「三里塚街道」ですが、
まずは寺台から法華塚へと向かいます。

起点の寺台は国道51号線と、空港からの国道295号線が408号へと続く
立体交差点の近辺の地名です。

その昔はここに寺台河岸と呼ばれる船着き場があり、
荷物や人の往来が多く、それは賑やかなところだったようです。
街道の起点から51号線を渡ったところにある「あづまばし」から
往時をしのばせるものがないかと見渡しましたが、
それらしきものは見当たりません。

下流を見ても、上流を見ても・・・
川幅は狭く、水量も少なく、とても舟が往き来できたとは思えません。
時間は自然を大きく変えてしまいます。
人の営みによっても自然は変えられてしまいます。

ともかく、三里塚街道を三里塚に向かって進みましょう。


特に目につくものはなく、右に左にと急カーブが続くだけです。
このあたりは片道一車線の道路で歩道はありません。

道端に小さな祠を見つけましたが、文字は書いてあったのかなかったのか、
表面が風化して判別できません。


2キロ近く進むと、正覚山智耕院の看板が目に留まりました。
近づいてみると大きな建物ですが、どうやら斎場のようです。
通りの反対側には東関東自動車道をまたぐ橋をはさんで、
「八富成田斎場」という大きな施設があるのですが、
斎場が並んでいる景色はちょっと不思議な感じです。
平成18年開山ということで新しい建物ですが、開祖の像が街道からも見えます。

さらに6~700メートル進むと法華塚のバス停があり、
その少し先の左側にひょろっと高い石碑が立っています。
法華塚の石碑です。
5メートルはあるでしょうか、「南無妙法蓮華経」と刻まれたこの石碑は、
曲がりくねった街道で突然視界に飛び込んできます。


私は四十年ほど前、この場所を毎日のようにバスで通っていたのですが、
「法華塚」のバス停はただ何となく通過する場所でしかなく、
この石碑にはついぞ気付くことはありませんでした。
「寶歴十二年 滑川村 願主 冨澤五郎兵衛」と裏面に刻まれた
この石碑の立つ場所は、日親上人が法華経を説いた場所と伝えられています。
またこの塚は、中村檀林で知られる多古の日本寺(にちほんじ)を起点とする
江戸への道程の四里目、三里塚の次の塚です。

その日親上人をここに招いたのは、近くにある妙福寺の僧侶だったと言われています。
妙福寺は“法華経を信じない人からの施しを受けず、法華経の僧侶、信者以外には
施しをしない”という不受不施派のお寺だと聞きました。
宗教には疎い私ですが、本堂をはじめ境内がすっきりした雰囲気で、
何んとなく納得してしまいます。
どこにも賽銭箱が見当たらないのは、その教義ゆえなのでしょうか?

寺の裏手にある墓地の一角に不思議な塚を見つけました。
近づくと小さなお地蔵さまの側面に、
「先祖代々有無両塚 妙福寺総壇方中之諸霊」と彫られています。
弔う家系が途絶えて無縁となった墓石を集めてあるようです。

文化、文政、天保、天明、弘化、嘉永などの年号が刻まれています。
新しいものでは明治44年、昭和14年というものもありました。

市川の中山法華経寺の末寺だというこのお寺の静かな境内が、
私を歓迎していないような気がするのは、
不信心者だからでしょうか。

妙福寺は先ほどの法華塚の脇を左に入り、
直ぐにある小さな十字路に立つと右側に本堂が見えます。
法華塚からは徒歩5分程度です。

法華塚から来た道をさらに進むと、側鷹神社(そばたかじんじゃ)があります。
ご祭神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、大同三年に創祀され、
空港事業により平成19年にこの地に遷座されました。

屋根の構えも装飾もなかなか立派なものです。

境内の脇に三つの小さなお社が並んでいます。
左から子安社、天神社、日天子社です。

一番奥に熊野神社のお社がありました。
小さいながらも立派な鳥居があります。

境内にも、神社の周辺にも人影がありません。
数台が停まれる駐車場も立ち入り禁止のロープが張られています。
狛犬もどことなく寂しそうです。
空港事業のためとは言え、何世代にもわたって親しんできた住民との絆が
細くなってしまったのでしょう。
道は行き止まりになり、右に曲がって京成電車の跨線橋を渡り
細い道を下ると思わぬ場所に出ました。
空港建設のために使われた、通称「資材道路」が県道44号線と交わる
急坂の途中です。
44号を左に行けば、直ぐに「さくらの山」になります。
三里塚街道に引き返すのもしんどいので、
今回はさくらの山で飛行機でも眺めて帰ることにしました。
※三里塚街道はあと2回に分けて書こうと思います。
昔の面影を残す景色はあまり見当たりませんが、
地名の由来や空港事業に翻弄された社寺の物語に
興味深いものがありそうです。
施しをしない”という不受不施派のお寺だと聞きました。
どこにも賽銭箱が見当たらないのは、その教義ゆえなのでしょうか?
→理にかなった教えですね。でも賽銭箱が無いのも珍しい。
三里塚は自然が多いんですね?なんだか時間が止まってるかのように感じます♪
三里塚の自然は空港ができる前はもっと素晴らしかったと思います。
でも、空港によってもたらされたものも大きく、今後も自然と開発が
バランス良く共存できれば良いな、と思います。