
25日は成田山新勝寺の大本堂前を会場にして、津軽三味線の大演奏会が行われました。
開演は午後4時からですが、3時過ぎには大勢の見物客が集まっていました。
イスに座っている人たちは、午後1時ごろから並んで着席券を手にした人たちです。

開演30分前には境内は人であふれかえっていました。
「成田弦まつり」は、今年で20回目を迎えます。
春の「成田太鼓まつり」とともにこの秋の「成田弦まつり」は、成田山を中心とした
春秋のイベントとして市民の間に定着しています。
『お不動様の御利益を再現し、そのご縁に感謝しつつ、さらにご利益をいただけるよう
お祝いするイベント』(FEEL成田 弦まつり より)です。
開演に先立つ主催者の挨拶では、「新勝寺のご本尊のお不動様は左手に「索(なわ)」を
持っているが、それが楽器の「弦」のように見えることから、弦楽器の演奏を奉納しようと
始まった」と述べていました。

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演奏会場の周りでは菊花展が行われています。
見事な菊が、演奏を見られず、離れて聞くだけの人たちの目を楽しませています。


総勢150名もの津軽三味線演奏家が本堂の階段に並び、音合わせが始まりました。
前段に並ぶ人たちは、名のある演奏家のようです。


一糸乱れぬ演奏は迫力があり、聴衆を津軽三味線の激しくも切ない音の世界へと
引き込んで行きます。


最前列に並ぶ一流演奏家の掛け合い演奏などもあって、会場の熱気は急上昇します。

1時間程度の演奏でしたが、「アンコールでもう一曲」があり、聴衆は大満足です。


二日目の26日は表参道を歩いてみました。
参道沿いには9ヵ所に分かれてステージが設けられ、エレキギターのおやじバンドや、
尺八、クラシックギター、フラメンコギターなど、多彩な演奏が繰り広げられていました。


人々はステージを渡り歩いて楽しんでいます。

JALのCAもイベントに参加しています。


小雨がパラついてきました。
見物客は参道の店の軒下や店内に避難したり、コートのフードを引き出したり
してますが、演奏者は逃げられません。
幸い雨はすぐ止みました。

弦まつりの主役はやはり三味線です。
三味線の演奏の前には一番聴衆が集まっていました。

まつりが終わりに近づくころ、多くの人たちが急いで仁王門をくぐり、
大本堂にお参りして帰路についています。
「弦まつり」は聴衆と演奏者が一緒に楽しむ、学校の文化祭のような雰囲気でした。

祭りもそろそろ終わりです。
屋根の上の若衆の表情にも安堵の色が浮かんでいます。

3日目の後宮は薄日が差す祭りにとっては絶好の天候に恵まれました。
山車の上に立つ人形を見ることができて、本当に良かったと思います。


祭りの初めに集合した大本堂前に再集合して総おどりを行った後、
それぞれの町内へと山車や屋台は帰って行きます。



皆さん、3日間お疲れ様です。



総門前に戻った山車の人形も、心なしかホッとしているように見えます。

境内に戻って大本堂から見下ろすと、香閣の位置が何か違うことに気付きました。
いつもは仁王門の階段を上った正面、境内の真ん中近くにあるのに、
三重塔の横まで移動されています。
大きな山車や屋台が集合するために、一時的に動かしたのですね。

境内もほとんど人影が見えなくなってきました。
何んとなく祭りの後の寂しさが感じられます。

3日間賑やかに各町内を練り歩いた御神輿は
静かに清瀧権現社の前で休んでいます。

今晩は午後9時まで奥之院の扉は開いています。
訪れる人もほとんどいなくなりましたが、
二人のお坊さんはもう少しここに座っていなければなりません。

賑やかな祇園祭は終わりましたが、静かな奥之院の祇園会はあと3日続きます。


2日間、雨模様の天気が続きましたが、今日はようやく晴れました。
元気よく各町内から山車や屋台が出発します。


今日は山車の人形も顔を見せています。
2日間、雨に濡れないようにしまわれていて、窮屈な思いをしていたことでしょう。

怪しい雲が出てきましたが、天気予報を信じて人形はしまわずに進みます。

ふだんはあまり気にしていなかった参道のお店の看板は、
このところ歌舞伎をモチーフにしたものが増えてきました。
山車の人形を見上げていて、あらためて気が付きました。


表参道には電柱がありません。
以前は山車の若衆の役割は、屋上での踊りで曳き手を鼓舞するだけでなく、
道をまたぐ電線から人形を守ることでした。
電柱と電線が見えなくなって、普段の景観も一変し、
山車の引き回しもずいぶんと楽になったことでしょう。

でも、脇道に入ったとたん、電線を注意しなければなりません。
さあ、いよいよ引き回しのメインイベント、仲町の坂の駆け上がりです。




大勢が全力で綱を引き走ります。
登りきったところで方向転換が必要なため、
左右の2本の綱は一見逆方向に引かれているように見えます。

ようやく山車が坂を登り切りました。

続々と山車や屋台が登ってきます。

嵯峨天皇の人形も前かがみになって後押ししているように見えます。

登り切っても安心はできません。
約90度曲がって西参道から土屋方向に向い、大本堂前に入らなければなりません。

曲がり角のお蕎麦屋さんの二階は特等席です。

お囃子も屋根の上の若衆も、最後の盛り上がりを見せてくれます。

御神輿も続きます。
だんだん祭りの終りが近づいてきました。
※ 明日は祭りの終わりをお伝えします。

多くの見物客の見守る中、2日目の本祭りが始まりました。
表参道では見物客が各町内の山車や屋台を追いかけて右往左往しています。

山車を小さな女の子達が先導します。

手古舞(てこまい)と呼ばれ、錫杖で地面を叩きながら歩きます。


昨日からの雨空がまだ続き、時々小雨がぱらつくあいにくの天気ですが、
威勢の良い掛け声とお囃子で山車が参道を進みます。
屋根の上の若衆は、提灯に代えて赤い番傘を差しました。
これはこれでなかなか決まっています。

以前紹介した、参道名物「甘太郎焼」です。
10×8列の焼器が通りに向って2つ、奥に2つあり、
一人で右に左にと踊るように焼いて行きます。
手前に行列ができていて、この行列が途絶えることがありません。
いつもは窓の外から覗きこむ人がいっぱいいて、シャッターを切るのは気が引けるのですが、
山車が通り過ぎた一瞬の奇跡的瞬間でした。


次々と山車や屋台が通過して行きます。
参道はもう身動きが取れないほどの見物客です。
浴衣にたっつけ袴、パナマ帽姿は町内の「だんな衆」と呼ばれる役員です。

時々雲が切れて晴れ間がのぞきます。
でも、山車の人形はいつ降りだすか分からない雨のため、今日も顔を出せません。

見物客に気をつけながら角を曲がり、進んで行くのは大変な作業です。
お酒が効いてきたのか、それとも朝からの重労働のせいなのか?、
力いっぱい綱を引いても、足元がふらつき始めて(?)います。


いつまでも雲行きが怪しく、シートは外したものの、どうやら今日も一日山車の人形を
立てることはできそうもありません。
お囃子もイマイチ盛り上がりません。

御神輿の担ぎ手の背中にも疲労感が漂っています。
「エイサッ、エイサッ」の掛け声も枯れてきました。

引き手や屋上の踊り手が疲れ気味なのに、屋台の中のお囃子連は
どうやらこの時間になって調子が出てきた様子です。
お囃子は仲之町、本町、交道会(成田山)の3台が江戸囃子、田町、土屋、花崎町、囲護台、
幸町、上町、東町の7台が佐原囃子です。
二種類のお囃子があるのは全国的にもめずらしいと言われています。

鐘楼が6時の鐘を鳴らす頃、奥之院にはまだポツポツと御参りする人がいます。
出口から覗いてみると、皆小さなロウソクを大日如来様に献灯し、
拝んだ後にそのロウソクを持ち帰ってきます。
ご利益を家まで運べるというわけですね。


夕闇のなか、山車や屋台が引き上げても、子供たちにとってはこちらの“夜店屋台”が主役です。
今はどの夜店屋台も携帯発電機で電灯を点けていますが、
私の小さい頃は、夜店・屋台はカーバイトでの薄暗い明かりでした。
カーバイトの匂いがする屋台を、夜更けまで大っぴらに遊べるお祭りが大好きでした。
今も昔も子供たちにとってお祭りとは、夜店・屋台の間を駆け回る“夜遊び”なのですね。

夜も更けて人通りも少なくなってきました。
「暫」と得意の見得を切って通りを睨んでいる市川海老蔵さんもお疲れ様です。
※ 明日は3日目の後宮の様子です。

御神輿が京成成田駅前を練り歩きます。
狭い場所なので、方向転換も大変です。



先導するお坊さんの跡に太鼓と幟が続きます。

屋台も狭い坂を上ってやってきました。
狭い上に交通量の多い所なので、なかなか前へ進めません。


表参道を行く山車です。
辺りが暗くなると山車に明かりが灯り、
いかにも“夏祭り”の風情となります。


JR成田駅東口の権現山には、今日一日各町内を練り歩いた御神輿が置かれています。
ここで本祭りの明朝まで、一泊します。
これは昔の湯殿権現社の祭りの名残です。
この一帯は鉄道が通る前は権現山と呼ばれる鬱蒼とした森だったそうです。
今ではこのお社と駅前ロータリーを挟んで立っている「不動の椎」のみが
昔をしのばせるものとなっています(椎については「歌舞伎役者が舞う成田駅東口」
で紹介しました)。

JR成田駅前のロータリーを山車が回ります。
急な旋回を行いますので、屋根の上の若衆はバランスをとるのが大変そうです。



お祭りと言えばずらりと並ぶ夜店・屋台が欠かせません。
子供たちは山車には目もくれず、綿菓子や焼そばに夢中です。
どうやら雨も上がり、宵宮は山車を引く掛け声とお囃子、
そして子供たちの歓声の中に終わりを迎えます。
※ 明日は2日目の本祭りの様子です。
今回は7月4日から6日まで行われた成田山の「祇園祭」の様子をお伝えしましょう。
成田山の「祇園」は、「奥之院大日如来」の祭礼と湯殿権現社の祭礼が、
一つになって行われるものです。
特に「奥之院」の祭礼は祇園会(ぎおんえ)と呼ばれ、この祭礼の間だけ扉が開かれ、
安置されている「大日如来」を拝むことができます。
享保六年(1721年)には祇園祭の記録があるので、300年近くの歴史ある祭礼です。
今年は7月4日から7日までの3日間、開催されました。

湯殿権現社の祭礼は旧暦6月8日に行われたので、
「成田の八日祭り」と呼ばれていたようです。
江戸時代になって同じ日に行われていた大日如来の祭礼と合体し、
祇園祭の形が整いました。
明治になって暦の関係から祭日は7月8日となり、年々盛んになるとともに
宵宮、本祭り、後宮の3日間となったのです。
現在は7月の8日に直近の金曜日を宵宮として、土曜・日曜の3日間に行われています。
少子化の影響から、山車の引き手の若者の確保が難しくなってきたことが
その理由で、週末に行うことで県内外からの観光客がさらに増えることになりました。

季節がら毎年祇園祭には雨が付きものでしたが、今年は特にこのところの
不規則な天候にたたられてのスタートとなりました。
薬師堂前を西参道に入り裏参道に続く長い坂道をゆるゆると屋台が下って行きます。
祭礼の始まりに際して大本堂前に各町内の山車と屋台が集合するためです。
折から強まった雨脚に私も車中からの撮影となりました。

雨を予想してあらかじめビニールで覆いをしていますが、吹き込む雨に
お囃子連も意気が上がらない様子です。

ようやく境内に入ってきました。
屋根に上った若衆も気合いが入ってきました。
まだ祭礼の始まりまでには時間がありそうなので、
「奥之院」の大日如来様を拝みに行くため、「額堂」の前を通り、「光明堂」裏の
「奥之院」に向います。

途中に「清瀧権現社」に置かれている成田山の御神輿が表に出されていました。
あと2時間もすれば威勢の良い掛け声とともに境内から各町内を練り歩くことになります。


いつもはしっかりと閉じられた奥之院の扉が開かれています。
ここからは撮影禁止です。
中は奥行き約10メートル、高さは約160センチほどの洞窟で、
その先のやや開かれた空間に大日如来様が安置されています。
穏やかなお顔の如来様は、不動明王の本地仏です。
仏教のことは良く分かりませんが、尊い仏様を暗い洞窟の中に置いておくのには
どんな理由があるのでしょうか。

これは7月3日(宵宮の前日)の奥之院です。
いつもの通り、扉は閉まっています。
この扉が開かれるのは祇園会の間だけです。
今年は7月4日から9日まで開かれています。




降り止まぬ雨の中、境内には次々と山車と屋台が入ってきます。
今日だけは、お不動様に背を向けて本堂から見物する人が大勢います。

山車と屋台が揃ったところでお坊さんが各町内の山車と屋台について解説をし始めます。
マイクがあるとは言え、それぞれの由来やお囃子の内容、若者頭についての紹介は、
さすがお経で鍛えた喉で、境内の隅々まで届きます。

御神輿を先導するお稚児さん達がお不動様にご挨拶をすると、大きな拍手が巻き起こりました。


いよいよ今朝ほど清瀧権現社前に置かれていた御神輿が登場します。
歓声が湧き、祭りの雰囲気が盛り上がってきました。
この御神輿は各町持ち回りで担いでいましたが、最近の少子化傾向から担ぎ手が不足し、
現在は成田山の従業員と有志によって担がれるようになっています。

大勢のお坊さんが本堂の階段を下りてきます。

ご高齢の橋本照稔大僧正も、祭りの安全の祈願のためにお出ましです。


全員での安全祈願、鏡開きと行事は進み、いよいよ市中へ繰り出します。
成田山では行事のたびに「東日本大震災」の犠牲者への哀悼と
地域の早期復興を祈願しています。
今回も鏡開きまでの間にこの件に何度も触れていました。


あいにくの天候ですが、もう参道や駅前のスポットには
大勢の見物客が集まっていることでしょう。
山車と屋台、そして御神輿は裏門から参道へと向います。
※ 町中の様子は明日に・・・

朝9時過ぎには市役所前の駐車場には
市内の各町内からの山車や屋台が集合しています。

繊細で華麗な彫刻や装飾で飾られた山車(だし)の上には
歴史上の人物やその町にゆかりのある人形が乗っています。

明治33年に製作された成田最古の山車の上には神武天皇が乗っています。

こちらは日本武尊(ヤマトタケル)です。

人形の大きさはそばにいる人物を見ていただければ分かると思います。
出発前の調整をしていますが、大きいだけに大変そうです。

山車と屋台のデモンストレーションが始まりました。
こちらの山車の上ではお囃子に合わせて狐が踊っています。
後ろの人形は藤原秀郷(俵 藤太)です。


各町内の山車や屋台が順番に賑やかなお囃子を演奏し、
若衆が屋根に上って踊ります。

デモンストレーションが一巡すると、参加者全員による「総踊り」です。
お囃子に合わせて若衆が掛け声も勇ましく扇子片手に踊ります。

いよいよ「曳き回し」の始まりました。
18台の山車と屋台が次々と市役所前を出発して行きます。


曳き回しが始まるとバランスを考えてか、人形を屋台の中に
しまうこともあるようです。
中を見たことはありませんが、歯車を利用した昔からの技術で
人形を上下させると聞きました。



小一時間もした頃、表参道をJR成田駅に向かう山車や屋台が次々に現れました。


特等席を見つけました。
お腹が空いて入ったレストランの大きな窓から
次々に通って行く山車が間近に見えます。

曳き回しの最大の見せ場は、成田山総門前から薬師堂前までの坂を
一気に駆け上るところです。
曲がりくねる坂道を登るには相当の力と技術が必要です。

最後の難所、薬師堂前の三叉路を駆け上がります。

ようやく登り切りました。
屋根の上の若衆も、立ちっぱなしの八幡太郎義家公も、
ほっと安堵の瞬間です。


続々と山車と屋台が駆け上ってきます。
山車は市役所前から電車道(かつて成宗電車が通っていた道)、山門前、表参道、
JR成田駅を巡る約2キロの行程を3周します。

山車や屋台が通過した後にはくっきりと車輪の跡が残っています。
何トンもの車が通過するのですから、道路の白線も削られてしまいます。

巡行コースの最後、JR成田駅から市役所前に戻る下り坂です。
ここには観客はほとんどいません。
山車や屋台の“関係者”だけが、一周終えた安堵と疲労感を漂わせて
曳いて行きます。
成田太鼓祭り、成田山車祭りと2週続いた大きな祭りはここで一段落。
7月始めの成田祇園祭りを皮切りに、9月初旬の宗吾御待夜祭まで、
市内の各所で夏祭りが続きます。
※成田・山車祭り
成田市の市制施行60周年を記念して行われました。
第1回は市制50周年、2回目は55周年と5年おきに
開催されています。
今回は、山車が囲護台、幸町、田町、土屋、仲之町、成田山、
花崎町、本町、飯田町、台方・下方、並木町、ニュータウン、
屋台が東町、上町、寺台、宗吾、三里塚、本三里塚の計18台。
今年で26回目になるのですが、私は今回が初めての見学です。

大本堂前の会場での「千願華太鼓」という、千人の(本当にそのくらいはいました)
太鼓の合奏(?)が祭りのスタートです。
大本堂前の広場は本当に広いのですが、参加する人達が会場に太鼓を運びこむと、
一面に敷き詰められている玉砂利が全く見えません。

まだ開演までには1時間もあるというのに、周りには見学の人達でいっぱいです。

いよいよ開演です。
みんなバチを高く掲げてスタンバイです。

千人の合奏は想像以上の大迫力です。
地響きのようなその大音量は、おなかの底にまで響きます。

沖縄から参加のグループです。

市内からだけでなく、全国から参加したグループが、
次々に立ちあがってパフォーマンスを繰り広げて行きます。

小さな女の子たちのグループもいます。

アフリカからも2名だけの参加でしたが、独特の太鼓の音を
会場に響かせてくれました。

昼前からは8カ所の会場に分かれて、それぞれのグループが演奏します。
これは埼玉県の武蔵越生高校の太鼓クラブです。
梅林で有名な越生だけに、法被には梅の花が描かれています。

小田原の相洋高校は小田原提灯片手に「おさるのかごや」を演奏し、
その若者らしく、はつらつとしたパフォーマンスは大きな拍手を浴びていました。

陽も傾き、風が冷たく感じる頃、千年夜舞台が始まります。
大本堂前の舞台では数々の賞に輝く都立深沢高校が、
大勢の観客の前で息の合った演奏を繰り広げていました。

太鼓奏者として世界的に有名な林 英哲さんが
大太鼓にバチを入れる頃には陽も沈んで、
照明に照らし出された舞台には幽玄な雰囲気が漂います。

その雰囲気の中でライトに浮き上がり、時には強く、時には弱く
太鼓を自在に操る林さんの演奏に、観衆は深く吸い込まれて行きます。

演奏はいつまでも続きます。
素人でもその体力の強さが分かる凄まじい演奏です。

境内の隅々まで力強い音は拡がって行きます。
太鼓がこんなにも豊かな表現力を持った楽器だとは、
ついぞ気が付きませんでした。

西参道からの帰り道、釈迦堂の扉は閉じて人影もありません。
静かな釈迦堂の周りにも、今日一日成田に鳴り響いた太鼓の音が、
小さく残っているような気がしました。
太鼓祭りの二日目です。

2日目は太鼓パレードです。
成田のゆるキャラ「うなりくん」を先頭に、JR成田駅から成田山の総門まで、
表参道を沢山のグループが太鼓をたたき、踊りながら、練り歩きます。

ひょっとこやおかめ、いろいろなお面を付けた一団が
沿道に鈴なりになった見物客を笑わせます。

元気の良い若者の一団は、担いだ太鼓を振り回しながら進みます。
勢い余って見物客の中へなだれ込みそうです。

意外と女性のドラマ―(?)が多く、男性よりにこやかで元気に見えます。

大人たちに交じって子供たちも一人前の顔をして行進していました。

沖縄のグループは二組。
指笛を鳴らし独特の掛け声で進み、沿道から拍手を浴びていました。


大きな獅子が2頭、近寄ると子供たちが怖がりもせず顔を撫でています。

神奈川県の桐蔭学園のチームが通り過ぎて行きます。

トリニダード・トバコ発祥のスチールパンのバンドが、
和太鼓とは違う音色を響かせて行きます。

パレードが通り過ぎ、見物客が帰りを急ぐ中、
小さな駐車場に設けられた舞台で、九十九里の「黒潮太鼓」の子供たちが
太鼓をたたいていました。
立ち止まる人は少なく、舞台の前には20人ほどの観客しかいませんでしたが、
一生懸命演じています。
十年後の太鼓祭りでは、きっと凛々しい姿で大きな太鼓をたたいていることでしょう。
1週間後には「山車祭り」でまた賑やかになりますが、
「太鼓祭り」が終わった成田山と参道には、暫しの静寂が戻ります。
※成田太鼓祭り
毎年4月の第2土曜と翌日曜日の2日間開催されます。
今年は第26回となりました。
成田駅からの表参道の数カ所に舞台が設けられ、土日の両日とも
1時間に1回のパフォーマンスを見ることができます。
土曜日には千願華太鼓、千年夜舞台が大本堂前で行われます。
見学は無料ですが、原則として立ち見です。(夜舞台のみ、一部
有料指定席の椅子あり)
日曜日には駅前から総門前まで太鼓パレードがあります。