
三ノ宮埴生神社が正式名で、御霊代(みたましろ)は土師器(はじのうつわ)。
御祭神は埴山姫命(はにやまひめのみこと)で、土の神様です。
その名前や御霊代、御祭神からして、古代に土器の製造を職業としていた
土師部(はじべ)一族が創建したと言われています。
創建年代ははっきりしていません。

成田総鎮守として子育て、安産、初宮参りなどの祈祷が多く行われます。
その昔、麻生郷(栄町矢口)に一宮、玉作郷(成田市松崎)に二ノ宮があり、
その総社としてここ三ノ宮があったようです。

裏手には小高い山があり、木々の間から見えるお社は
長い歴史の重みをたたえています。

小さな裏山には新緑がまぶしい散策路がありました。

お地蔵さんが・・・と思ったら、どうやら違うようです。
何やらお婆さんのような・・・
色あせた紙に女性の戒名のようなものが書かれています。
説明書きはどこにもありませんので想像するしかありません。

小さな墓石と見えたのは、馬頭観世音と刻まれた三つの石碑でした。
嘉永三年と寛政十年と、小さな見字がかろうじて読めました。

石碑の脇から石段が小さな祠に向かって続いています。

浅間神社の掲額がありました。
小さな賽銭箱に投げ入れたお賽銭は乾いた音を立てて底に落ちて行きました。

お社の隣にそびえる椎の巨木は樹齢何百年になるのでしょうか。
いかにも神様が宿られている厳粛な雰囲気を醸し出しています。

この一帯は昔からその地の利ゆえに数々の争乱に見舞われています。
(このことはいずれ触れることになるかもしれません)
その中で現代まで地域の中心として人々の信仰に守られてきた埴生神社は
成田の一角で長い時の流れを見守ってきました。

埴生神社のあるこの道は、県道として多くの車が往来する生活道路ですが、
地元の人達以外には“参道”としてはほとんど知られていません。
ここが“参道”だとは数カ所に立てられた標識がなければ気付かないでしょう。
三ノ宮埴生神社の現在の社殿は明治39年に再建されたもので、年月を重ねて
静かに参道の傍らに鎮座されています。
※三ノ宮埴生神社 成田市郷部994
成田山表参道が薬師堂の前で二股に分かれるところを左へ徒歩約10分。
JR成田駅、京成成田駅からは徒歩約20分。
車ではニュータウン側からは公園通りを郷部交差点で右折。
(408号線のイオンモール側からは左折)
郷部大橋を登りきったところが交差点なので通り越しに注意。
県道18号(成田・安食線)の標識と西参道三ノ宮通りの標識がある。
鳥居が勇ましい。
巨木の存在感がスゴイ!!
なんだか時間というよりも歴史を感じますね。
沢山あります。それぞれに歴史があり、興味が尽きません。
この三ノ宮埴生神社がある旧埴生庄には「吾妻鏡」にも出てくる
悲劇の勇士埴生時常の物語をはじめ激動の歴史があります。
史跡のほとんどは現存していませんが、時間をかけて探しあるいて
みようと思っています。
千葉県の特徴なのか、関東の特徴なのか判りませんが。
そうですね徳島に比べお金かかってる作りですねw
> あまり気にしていませんでしたが、小さな神社などでは端が反っている
流れ造りが 多いかも知れませんね。
徳島県には 波尓移麻比袮神社(はにやまひめ神社)式内社があります。
ググって見てください。 今にも消滅しそうな小さな神社ですが(汗)
土器製造者が関係しているのでしょうね。
波邇夜須毘売神が埴山姫命と同じ神様ですが、波尓移麻比袮も
埴山姫命と同じ神様でしょうか?
漢字というのは後から入ってきたもので、おのおの読みに当てられたものです。
少なくとも神話の時代(神武以前)は無いものでしたから。
(すみません漢字が入ってきた正確な時期は勉強不足の為判りません)
ですから「阿波、安房、粟」等は同じ「あわ」なのです。
千葉と徳島は神話の時代にはもう繋がりがあったのですね。
館山の安房神社の由緒書きに書いてあったりします。