
細い道路の脇に仁王門を見つけました。
道路から少し高いところにあり、木々に遮られて見落としそうです。



左右に仁王様がおられるのですが、前面のガラスが埃でくもり、中が見えません。
横に貼られていたポスターを写して我慢しました。
右(上)が丹慶の作、左(下)が慈覚大師の作と伝えられています。


仁王門には所狭しと五穀豊穣を願う草鞋や木槌が括り付けられています。
高い場所にあるので、書かれている文字は読めませんが、
さぞかし古いものだろうと思われます。
永正五年(1505年)、千葉・北条の戦で灰燼に帰し、
天文十九年(1550年)に千葉氏によって再興、
文政元年(1818年)失火により全焼、当時の領主の稲葉公が再建するも、
またも火災により焼失・・・という災禍の繰り返しだった仁王門は、
嘉永六年(1853年)に近郷からの浄財を集めて再興されました。
その後長い間荒廃していましたが、昭和59年に修復が行われ、現在に至っています。

仁王門の先に見えるのが本堂でしょうか?


近づいて見ると「延命地蔵尊」という掲額があります。
地蔵堂でした。
この地蔵堂に龍の胴体が祀られているわけです。


地蔵堂の手前に大きな梵鐘がありました。
南北朝の頃の鋳造だと説明板に書かれています。


梵鐘の右奥には日枝神社がありました。



神社の裏手には小さな祠がたくさん並んでいます。
出雲大社、三峰山、浅間神社、諏訪神社、八阪神社などなど、所狭しといった状態です。

地蔵堂の裏手には墓地が広がっていました。
古い墓石に交じって比較的新しい墓石もあります。

大きな灯篭には天保七年(1836年)と刻まれています。
それにしても本堂が見当たりません。
龍腹寺の文字もどこにもありません。

諦めて帰りかけた時、仁王門と地蔵堂から100メートルほど離れたところに
狭い急坂があり、石柱がちらりと見えました。
民家の庭先に出てしまうかもしれませんが、思い切って登ってみます。
石柱には「龍腹寺」と刻まれています。

ここに本堂がありました。
「玄林山龍腹寺」は延喜十七年(917年)に創建された歴史あるお寺です。
(一説には大同二年(807年)とも)
ご本尊は「薬師如来」で、もともとは「勝光院延命寺」と称していましたが、
例の龍の胴体をここに葬った時に、「龍腹寺」に改めたと言われています。

ご本尊が安置されているとなりの部屋では、説法会が行われていました。


仁王門や地蔵堂のある一角に比べると、素っ気ない境内です。
龍角寺と同じく、龍の伝説にまつわるものは見当たりません。
龍腹寺という少し変わった名前に興味をひかれる人は少なくないでしょう。
ちょっと伝説に触れる説明板でもあれば楽しいのに・・・と思ってしまいます。
(お寺は楽しむところではありません、と怒られてしまいますかね)
文久三年(1863年)に創建された龍腹寺の本堂は、
昭和20年の東京大空襲で焼失した「成田山東京別院深川不動尊」の
本堂再建のため、昭和25年に移築されました。
現在の本堂はその後に建てられたもので、詳しい事情は分かりませんが、
その時仁王門や地蔵堂から離れたこの場所に移ったのではないでしょうか。



見つけました!
これぞ、龍の伝説のモニュメント。
お寺の近くの北総線の跨線橋に、龍のオブジェです。
やっと伝説の地にいる実感が湧いてきました。
ここまで来たら、匝瑳(そうさ)にあるという「龍尾寺」を探さないではいられません。
次回は「龍尾寺」を訪ね、小さな龍の伝説を完結させたいと思います。
※ 龍腹寺 印西市竜腹寺626 (住所では“竜”になっています)
北総線印西牧の原駅より循環バス 印旛支所ルートで約8分
龍腹寺東または龍腹寺西下車
2017-07-22 Sat 12:18:19 | リタイア後の悠々スローライフ