成田市内では大竹の円光寺とここの二つしかない時宗のお寺です
円光寺 ⇒


乗願寺は延慶三年(1310年)に三世遊行上人智得によって開山されました。
ご本尊は阿弥陀如来座像。
山号は助崎山、院号は不断光院です。
以前は現在の成田市幡谷にありましたが、弘治年間にこの地に移りました。

参道の入り口に「聖徳太子」の石碑があります。
慶應三年(1867年)と刻まれています。


杉木立の両側に4体のお地蔵さまが並んでいます。
享保十三年(1728年)と宝暦三年(1753年)の建立です。


山門は石柱のみとなっていますが、周辺には石垣が残っています。
なお、失われたかつての山門は、助崎城の大手門でもありました。
このお寺から助崎城祉までは500メートルはありますから、
相当広い城域を持ったお城だったようです。
助崎城祉 ⇒ (祥鳳院の項の最後に写真があります)



乗願寺は板割の浅太郎ゆかりの寺としても知られています。
浅太郎は国定忠治の子分で、芝居や映画、歌にも歌われた「赤城の子守唄」で
登場する侠客です。
どうした因縁か、この寺に位牌が安置されているそうです。
浅太郎については獄死説の他にいくつかの俗説がありますが、
「赤城山騒動の後に信州に逃れて時宗の金台寺で仏門に入り、後に藤沢の遊行寺の
堂守となった」という説があります。
時宗の本山である遊行寺に浅太郎の墓があることから、この説が有力です。
乗願寺も時宗のお寺ですから、何らかのつながりがあったのでしょう。
境内の脇に布袋像と石碑、二つの祠が並んでいます。



「しもふさ七福神」の一つ、子供を肩に乗せている布袋様です。
珍しい構図です。

説明板がないので分かりませんが、これがお参りすると子供の夜泣きが治るという
「夜泣き地蔵」でしょうか。

布袋様の隣りにある石板には、「南無大開遍照金剛」と刻まれています。

比較的新しい灯篭ですが、鹿を彫ったこの灯篭はあちこちの寺で目にします。

無縁仏がまとめられている一角がありました。
新しいお地蔵さまの台座には「無縁仏の安からんことを」と祈る言葉がありました。
墓地の片隅に打ち捨てられている無縁仏を見ることが多い中、ホッとする景色です。
墓石には享保、明和、文化などの年号が読めます。
300年も経ってもこうして供養してもらえるのなら、幸せなことですね。


さて、この仏様は誰なのでしょう?
裏口の墓地の入り口に立っています。
小さいうえに風化が激しく、素人には判別が難しいのですが、
じっと見ていると足元に「見ざる、言わざる、聞かざる」の三匹のサルがいるようです。
とすると、熊野神社にもあった「青面金剛」ではないでしょうか?
制作年代などは読めませんでした。
熊野神社の青面金剛 ⇒



境内は手入れが行き届いている感じがします。
ここには文化十一年(1814年)から明治時代の始めまで寺小屋があったそうです。

街灯を兼ねたお寺の看板です。
「浄土門」とは阿弥陀仏を信仰し、極楽浄土に往生するという教えです。
浄土信仰は多くの宗派に見られますが、このお寺では阿弥陀如来をご本尊として
いますから、浄土門を掲げているのでしょう。

宝永四年(1707年)に鋳造された梵鐘は大東亜戦争のさなかに供出され、
残念ながら今は残っていません。
同じ時宗の大竹にある円光寺もそうでしたが、市内に二つしかない時宗のお寺には、
何か独特の空気が感じられます。

※ 乗願寺 成田市名古屋234
JR成田線 久住駅または滑河駅から徒歩約50分
2015-09-19 Sat 13:28:32 | リタイア後の悠々スローライフ