
「大鷲神社」の鳥居は、ちょっと変形ですが、木製でシンプルな八幡鳥居です。

急な石段の途中に踊り場があり、手水盤や庚申塔があります。

慶応元年(1865)と記された手水盤。



右側に立つ青面金剛像が刻まれた庚申塔。
天保二年(1831)のもので、踏みつけられている鬼や、下部に並ぶ見ザル・聞かザル・
言ワザルの3匹のサルもはっきりと分かる、保存状態の良い庚申塔です。


左側に立つ庚申塔も保存状態が大変良いものですが、台座の大部分が埋まっていて、
建立年代を正確には読み取れません。
何とか寛政五年(1793)と読むことができました。
こちらは金剛の足許の鶏もしっかり残っています。
これは庚申講が、ニワトリの声が聞こえる朝まで、徹夜で念仏等を唱えることからきた、
と言われています。

この踊り場に新しい祠が置かれていますが、台座にも何も書かれていません。
鰹木は3本、千木は垂直に切られていますので、男神が祀られているようです。

小さなお社は荒れ果てています。

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「成田市史」にはこの神社についての記述は見られません。
千葉県神社庁の「神社名鑑」中には、ご祭神が「天日鷲之命(アメノヒワシノミコト)」であること、
本殿は亜鉛板葺で0.5坪、境内は30坪であること、氏子は20戸であると記載されています。
天岩戸に入られてしまった天照大神を呼び出すため、岩戸の前で神々が踊っていると、奏でた
弦楽器の弦の先に鷲が止まったので、これを吉祥とした神々が楽器を奏でた神を「天日鷲命」
としたとされています。
「天日鷲命」は、一般に紡績や製紙の神様として知られていますが、「お酉様」としても知られ、
開運、殖産、商売繁盛の神様として信仰されています。


4基の祠が並んでいます。
右端の祠には「保食命(ウケモチノミコト)」と刻まれています。
「保食命」は食物の神とされ、同じ食物の神である。宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ=
古事記 )や倉稲魂命(ウカノミタマノミコト=日本書紀)と同一視されることがあります。
「天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊
が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から
魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。
月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。
それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。
それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。」(ウィキペディア「保食神」)
「月夜見尊」に殺された「保食神」の頭からは牛や馬が生まれ、体からは稲や麦、大豆、小豆、
粟などの穀物が生まれたことから、食物の神とされました。
さらに「頭から馬」が生まれたことから、「馬頭観音」とも同一視されることがあります。

境内の奥には荒れた雑木林が続いています。

眼下に広がる北羽鳥の田園風景。

狭く急な石段は、枯葉で覆われていて慎重に足を運ばないと滑り落ちそうです。


石段の下から見上げる「大鷲神社」の森。
最近の土砂崩れの痕が残っていて、何らかの手当てが必要な状況です。

大正三年の「千葉縣印旛郡史」に「大鷲神社」について一行だけ記載があるのを見つけました。
無格社であること、「天日鷲之命」が祭神であるとの記述の次に、
「延■元癸丑三月勧請」 (P754) とありました。(■は印字潰れ)
先に「延」のある年号は、平安時代初期の延暦から始まって、延喜・延長・延久・延応・延慶・
延文・延徳・延宝、江戸時代中期の延享と10回ありますが、それぞれの元年の干支が癸丑
(ミズノトウシ)であるのは延宝元年(1673)だけですので、「大鷲神社」は延宝元年に勧請
された、340年あまりの歴史を有している神社ということになります。
(※ はじめの文章で420年と書きました。計算ミスですので訂正します。)
小さなお社と、祠が4基並ぶだけの境内ですが、酷暑が続く中、ここだけは涼しい風が吹き
抜けていました。


※ 「大鷲神社」 成田市北羽鳥1721
保食命、書物では接して居ましたが、画像としては初めて拝見しました。
有り難うございます。公民館講座で紹介するときに自信が持てました。
これまでにも沢山の庚申塔を見てきましたが、この神社の青面金剛像を
見た時にはちょっと感動しました。
保食命については、昨年12月に長沼と言う所の稲荷神社で、ご祭神と
して初めて出会いましたが、このようにはっきりと名前が刻まれている
ものは私も初めて見ました。
お、阿波忌部の祖、天日鷲ですね。 徳島と千葉県との繋がりが此処にも。
ちなみに大国主=天日鷲 という説もあるのですよ、聞いた事ありますか?
島根県の人は怒るでしょうけどねw
阿波忌部の祖ということは調べていましたが、大国主の件は全く知りませんでした。
実は天日鷹命は神武天皇のことではないか、という説もありますね。
神話の世界は迷路のようで興味が尽きません。
>>実は天日鷹命は神武天皇のことではないか>>
それが正解なら神武天皇は徳島県人(神)と言う事ですw
神武天皇の助っ人に来たのが(八咫烏)天日鷲ですから、2人は別人と
思いますが、徳島県人(神)というのは当たっていると思いますね。
阿波の天日鷲が助っ人に来れる距離に居たと言う事は…そういう事です。
…と、私は推測します。 古事記は面白いですね。
本当にバリバリの徳島県人ですね。
古事記や日本書紀は直接読むには私には難しいのですが、
解説本や現代語訳等は折に触れ読むようにしています。
曖昧なところの多さが、空想や推理を働かせてくれますよね。