(正しくは、雷神社の前にあるのが雷神橋ですね。)
鳥居は昭和58年に建てられました。
小橋川は郷部を水源として新妻で根木名川に合流する全長4.8キロの川です。
遠くに見えるのは北総線
階段では猫が日向ぼっこ
急階段の上にちらりとお社が見えます。
第三十四代舒明天皇(593~641)が行幸の途中にこの地を通った時、山頂の古松より
一つの雷鳴が響きました。
これを聞いた天皇はこの雷鳴に深く感ずるものがあり、その古松の下に一祠を建てられ
たのが、この神社の始まりだと伝えられています。
伝承通りとすれば約1400年の歴史があることになります。
ご祭神は「大雷神」で、疫病除けの神様として近隣の信仰を集めています。
神額は陸軍大将・立花小一郎の書です。
立花小一郎(1861~1929)は、日清戦争では第1軍参謀、日露戦争では第4軍参謀副長
を務めるなど、輝かしい軍歴を持ち、福岡市長を務めた後、貴族院議員となった人物です。
この神額を書くに至った経緯は分かりません。
本殿は質素な造りです。
享保十一年(1726年)
本殿の裏に2つの祠。
いずれも「雷神宮」と記されています。
山口雷神社竣工記念碑(平成6年)
平成5年の記念植樹
「『成田詣』という道中記には「雷の宮へ参り候、抑是は山口村の一の宮にて峨々たる
老松隠森渠々として枝を交え、社頭の石坂を登りて渇仰弥増」と記し、雷神社の森の
すばらしさを表現している。」
(「成田の地名と歴史」成田市発行 P389)
いまは樹木も少なくなっていますが、古木の生い茂るこの小山は当時の面影を残しています。
なお、「成田市史近代編資料集1旧町村誌」中に納められている「下総国下埴生郡山口村誌」
(明治17年)に、雷神社について次のような記述があります。(214P)
「字雷アリ、地坪四拾九坪。 祭神ハ大雷神ナリ。 境内ノ土地醎気ヲ帯ビ海塩ノ如シ。」
塩害があるような場所ではありませんので、太古にこの一帯が海だった名残でしょうか?
そんな土壌に見事な森が育つものなのか、記述に誤りがあるのか、何らかの理由で一時的に
醎気(かんき-辛い・塩辛い)を帯びたのでしょうか?
眼下を我孫子に向かう成田線が走っています。
下総松崎(しもうさまんざき)駅を出て成田に向かっています。
雷神社という名前は多くあるようですが、そのほとんどは雷(いかずち)と読むようです。
雷(らい)と読むこの神社は、(伝承によれば)1400年の歴史を刻むわりには地味な
存在です。
狭いながらもきれいに掃き清められた境内には、冷たい北風が吹きつけて、
近くを走る電車の音も届きません。
※ 「雷神社」 成田市山口1205
北総線成田湯川駅から徒歩約20分
新年は1月5日(月)から更新の予定です。
皆様良いお年をお迎えください。
市内では名古屋の乗願寺とこの円光寺の二つだけが時宗のお寺です。
藤沢にある遊行寺(藤澤山無量光院清浄光寺)の末寺になります。
成田市内には多くのお寺がありますが、一番多いのは「天台宗」のお寺で、
(正確ではないかもしれませんが)24山もあります。
次いで多いのは成田山新勝寺に代表される「真言宗」で、智山派・豊山派合わせると
20山以上、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗、浄土宗等をみても、
時宗の2山はいかにも少ない数です。
「円光寺」は坂田ヶ池総合公園の近くの、曲がりくねった細い道に面していて、
少々分かりにくい場所にあります。
ここだと思って登った坂の上にはポツンとお堂が建っていました。
「天王山」と掲額があるだけで、何の手掛かりもありません。
境内に一つだけ建っている宝塔には宝暦七年(1757年)と刻まれています。
細い山道の反対側に小さな墓地がありました。
墓石を見ると、寛文二年(1662年)、貞享四年(1687年)、正徳三年(1713年)、
明和六年(1769年)等の文字が読めました。
荒れ果てていますが、さぞかし歴史のある場所なのでしょう。
山道を戻って直ぐ近くの細道を辿ると円光寺の山門が見えました。
時宗は宗祖を証誠大師(一遍上人)とし、文永十一年(1274年)に開宗されました。
円光寺は正和三年(1314年)の開山で、「阿弥陀如来」を中尊仏とし、
「観音菩薩」「勢至菩薩」を脇侍とする善光寺式の「阿弥陀三尊像」がご本尊です。
この阿弥陀三尊像は千葉県の有形文化財に指定されています。
なお、阿弥陀如来の背面には延慶二年(1309年)の陰刻があり、
この寺の開山より古いものです。
質素な造りですが、立派な本堂です。
度々火災に遭い、現本堂は昭和47年に再建されました。(小倉 博著 「成田の史跡散歩」)
境内の右手に「愛宕山大権現」「熊野本宮大社」「正一位稲荷大神」の三社が並んでいます。
池のほとりに弁財天像がありました。
池と木陰に隠れるように座る弁財天が奏でる琵琶の音が聞こえるようです。
時宗宗祖の一遍上人像です。
(遊行寺ホームページより)
本山の遊行寺にある像と同じ構図です。
こじんまりした境内ですが、良く手入れされています。
県の重要文化財「石造多層塔」です。
応永十年(1403年)に建立されたもので、七層からなります。
正面に胎蔵界大日如来像、左右の側面には光明真言の梵字が刻まれ、
上部の笠には阿弥陀の文字が陰刻されています。
ガラス張りの中にあり、光線の加減で良く見えないのが残念です。
多層塔の脇にある石仏には元文五年(1740年)と刻まれています。
入り口近くの道端に、風化して文字が読めなくなった石仏が並んでいました。
宗派としての時宗は幾度もの盛衰を繰り返してきました。
一遍上人が亡くなった後には一時的に消滅したり、時の権力に近づきすぎて
庶民から遊離したり・・・
そうした歴史が寺院数の少なさに影響しているのでしょうか?
この寺を正和二年に開山したのは、筑前出身で全国を行脚していた教勧上人ですが、
「教勧上人の兄弟子呑海上人を祖とする清浄光寺が正中二年(1325)の開山であるから、
円光寺の方が本寺より十年ほど古いことになる。」(小倉 博著「成田 寺と町まちの歴史」)
本山よりも歴史ある「円光寺」。
目立たないお寺ですが、とても心が休まる静かな空間です。
※ 「埴生山円光寺」 成田市大竹765
JR成田線下総松崎駅から徒歩15分
近くには「坂田ヶ池総合公園」、「房総のむら」があります