した5年後のことです。

久住駅は成田市内で唯一の無人駅です。
以前は現在地より200メートルほど成田駅寄りにありましたが、昭和52年に移転しました。
最近のデータはありませんが、2006年の乗車数は238人でした。
周辺の状況から、現在もそれほど変化はないように思えます。

改札口前の待合室。
ベンチがあるだけの殺風景な景色です。

2009年にSuicaが設置されました。

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Suicaのとなりにあった「乗車駅証明発行機」です。
Suicaを持っていない人は、この発行機から切符の形をした「乗車駅証明書」を取り出し、
降車駅で精算するわけです。
裏面は磁気化されていませんから、下車駅の窓口で直接精算することになります。

2つあるホームは跨線橋で結ばれていますが、番線の表示はありません。


銚子行きの電車が入ってきます。
ホームに人影は無く、この電車に乗る人はいません。
降りた人が一人、迎えに来た車に乗って走去ると、また駅前には人影が無くなりました。

次の駅は滑河駅です。
左に分かれて行くように見えるポイントがありますが、昔の引き込み線だったのでしょう、
今はすぐにレールは消えてしまいます。
滑河駅 ⇒

向かいのホームは上りのホームです。
小さな待合室がありますが、成田行きの電車が来るまでは20分近くありますので、
ホームにはまだ誰も見えません。

見えている踏切は「飯岡踏切」。
成田方向は線路が単線になるまでの距離が長くとられています。
貨物列車がすれ違うために必要な長さだそうです。

この駅から成田空港に向かう外人観光客がいるとは思えませんが、ご親切にも英語での
乗換案内が貼られていました。
成田駅で乗り間違えて、この駅に来てしまう外人観光客がいるのかもしれません(?)ね。


跨線橋の上から下り方面を見ると、遠くにちらりと人影が見えました。
カメラの望遠で見ると、ゴルフ場の一角が見えていました。
紅葉のコースを、ここでものんびりとゴルファーがプレイしています、
駅前は宅地造成地が広がっていますが、住宅はほとんど建っていません。
ちょっと歩いてみました。

10分ほど歩き回って、「永福寺」に辿りつきました。
真言宗智山派のお寺で、山号は「飯岡山」、ご本尊は「薬師如来」です。

らしくない本堂ですが、脇にある木彫りの仏様が素晴らしい迫力でした。

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風化が進み、虫に食われた無数の小穴、ひび割れた額・・・
でも、お顔は穏やかに笑っておられるように見えます。

小振りな板碑は相当な年月を経ているような趣があり、中央の板碑には
種字らしきものが刻まれています。
延宝、天和、宝永、寛政等の文字が・・・



帰宅後に調べたところ、寺伝ではこの「永福寺」は天平宝字七年(763年)に鑑真和上に
よって創建されたとされているようです。(成田の歴史散歩 倫書房 小倉博著 P260)
以前紹介した吉岡の大慈恩寺も鑑真和上が天平宝字五年(761年)に創建したという
説があり、その真偽はともかく、時間的にも地理的にも話はつながってきます。
もっとも、鑑真和上が亡くなったのは763年と伝えられていますので、ちょっと無理が
あるかも知れませんね。
大慈恩寺 ⇒
そろそろ上りの成田行き電車が来るころです。
急いで久住駅に戻ります。


ホームには乗客が3人、のんびりと電車を待っていました。


乗車したのは3人、下車した人が1人。
通勤・通学時以外はいつもこんな感じなのでしょう。

近所の人が世話をしているのでしょう、駅舎の入り口に寄せ植えの鉢がひとつ・・・



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ホームにベンチでもあれば、ちょっと日向ぼっこでもしたい気分です。
柔らかな日差しが注ぐ久住駅には、穏やかな時間が流れています。

※ 久住駅 成田市飯岡19-1
上りの隣駅は成田、下りの隣駅は滑河