「薬王寺」は以前に「裏参道を歩く」の項で紹介しましたが、今回あらためて訪ねてみました。

「薬王寺」(やくおうじ)は天台宗のお寺で、山号は「仏法山」。
ご本尊は平安時代後期の作である「木造阿弥陀如来座像」で、
成田市の指定文化財です。
もともとは土屋にあった殿台城の城主、馬場伊勢守勝政の持仏で、
平安時代後期の作とされています。

裏参道から細い路地を入った石段の上に立派な山門があります。


火災により記録が消失したため、創建の年代は不明ですが、天正八年(1580年)に
中興したと伝えられていますから、長い歴史を持ったお寺です。
天正八年とは、NHKの大河ドラマの「軍師官兵衛」に出てくる三木城主・別所長治が
秀吉に攻められ、毛利からの援軍を得られずについに自刃した年です。

装飾の少ないすっきりとした本堂です。

「関東百八地蔵尊霊場第六十九番札所」の木柱。
埼玉県川越にある瑤光山最明寺を一番とし、東京・巣鴨の萬頂山高岩寺を結願寺とする、
関東の1都6県にまたがる札所です。
以前に紹介した東勝寺・宗吾霊堂は七十番になります。
⇒ 東勝寺

見事な多重塔です。

客殿。


井戸の奥に立つ石板には中央に「奉 讀誦普門品五萬巻供養塔」と刻み、
左右に「国家安穏」「天下泰平」と記されています。
天保六年(1835年)に建立されました。
普門品(ふもんぼん)とは観音経のことです。

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境内に住みついた二匹の猫がここは自分の縄張りだとばかりに睨みつけています。

この新しい建物は永代供養塔です。
半年ほど前にここを訪ねたときには無かったものです。

本堂に向かって右側の階段を上ると墓地になります。
ふと振り返って本堂を眺めた時、大変なものを見つけました。


本堂正面の軒下にスズメバチの巣が見えました。
カメラをズームして見ると、たくさんのスズメバチが出入りしています。
先ほどお参りしたときには気がつきませんでしたが、参拝者が襲われたら大変です。
(今週あらためて訪ねた時には巣は取り除かれていました)

墓地の奥、客殿の屋根に隠れるように、狭くて急な「福聚観世音」に通じる石段があります。
分かりにくい場所ですし、今は登る人もいない様子です。
「福聚観世音」は「裏参道を歩く」の項にも写真があります。
⇒ 裏参道を歩く

薬王寺観音堂「福聚観世音」。
このお堂を抜ければ、成田山の平和大塔や光明堂が目の前です。
⇒ 光明堂


観音堂から戻る階段を下って行くと、急斜面の先に小さな祠が見えました。
息を切らして登ってみましたが、傾いた祠には何もありません。

墓地に戻ると一段高い場所に6基の墓石が並んでいます。
難しい字ばかりですが、一番奥から「竪者 法印俊峯大和尚位」天保十四年(1843年)、
「大乗妙典供羪塔」文化二年(1805年)、「不退心院大阿闍梨 竪者法印豪海位」
大正10年、「法印俊慶塔」明和二年(1765年)、「竪者 法印尊城和尚位」(年代不明)、
「自浄院大阿闍梨 大律師豪観和尚位」昭和十一年、と読めます。
「竪者(りっしゃ)」とは聞きなれない言葉ですが、仏法論議での質問に答える僧のことで、
要するに仏法を極めた偉いお坊さんということでしょうか。
「大乗妙典供羪塔」の側面には「一石一字書寫」と刻まれています。
これは、お経を一つの石に一文字ずつ写し、それを埋めたもので、埋経(まいきょう)と
呼ばれるものの一種です。
私が好きなお寺の一つ、秩父の札所三十四番・水潜寺(日本百観音結願寺)では、
お経の文字が一字ずつ出てくる札を見て、その文字を小石に書き写して祠の下に
滑り落とすことができますが、同じ行(ぎょう)ですね。

風化が進んでいますが、珍しい石造りの「阿弥陀三尊像」です。
かろうじて正徳六年(1716年)と読めます。
墓地内には多くの石仏が・・



墓地の入り口近くに目立つ石碑が立っています。
「春水柳田行義之墓」と刻まれた石碑には難しい漢文が記されています。
何やら故人の業績を称え、その死を悼む文のようです。
天保六年(1835年)に建立されたものです。

帰路、山門から下る石段の途中にある石板には「照于一隅此則国宝」と記されています。
「比叡山開創一千二百年記念」として建立されたとありますが、この最澄の言葉には
「照于一隅此則国宝」と読むか「照千一隅則国宝」と読むかの二説があり、
とても興味深いものです。
伝教大師最澄が弘仁九年(818年)に天台宗の修行規定として書いた「山家学生式」
(さんげがくしょうしき)にある言葉で、「照于一隅此則国宝」(一隅を照らす、これすなわち国宝
なり)が一般に広く知られている言葉と意味ですが、最近の学説では「照千一隅此則国宝」
(一隅を守り千里を照らす、これすなわち国宝なり)が正しいとされています。
最澄の時代の背景を考えると「照千一隅~」なのでしょうが、「照于一隅~」が長年人々の心に
響いてきた言葉と意味なので、この方が良いと判断されたのでしょう、薬王寺のこの碑には
于と彫られています。


地形的には成田山の真下ですが、木立に視界を阻まれて気づかれることはありません。
裏参道からも少し入ったところですので、訪れる人は少ないようです。
さして広くはない境内ですが、訪れるたびに新たな発見があるお寺です。

※ 仏法山薬王寺 成田市土屋8
JR成田駅から徒歩約25分
いつも、楽しみにしております❗️
いつも読んでいただいてありがとうございます。今朝も薬王寺に行ってきましたが、先客がいて、お寺巡りが好きな方が大勢いることにうれしくなりました。