
「須賀神社」は安政年間に社殿が全焼したため縁起が残っていませんが、
仁寿三年(853年)に創建されたと伝えられる歴史ある神社です。
ご祭神は「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」。

『「助崎の天王様」と呼ばれ、近隣のみならず常陸方面からも信仰を集めている。』
(成田市発行「成田の地名と歴史」P285)
この扁額もこのことを証明しています。
それにしても50年連続しての参拝とは驚きです。


拝殿と周辺は荒れた感じです。
木は朽ち、防火桶には大きなひびが、境内も雑草が・・・。



本殿は重厚な感じのする造りで、屋根に千木や堅魚木(鰹木)はありません。

物置でしょうか、これも大分傷んだ建物です。


本殿の裏に窪地があり、小さな祠があります。
観音堂のようです。
周りは雑草が生えて、最近人が通った形跡はありません。


境内には数本の大木が、太い根を張って立っています。

7月の祭例は「助崎の祇園」と呼ばれ、薙刀を先頭に御輿が練り歩きます。
(成田市ウェブサイト リンク 助崎の祇園」 ⇒)

鳥居は明治44年建立されました。
歴史ある神社の荒れた姿は寂しい限りですが、ここにも少子高齢化の波が
押し寄せ、地域住民と神社仏閣との絆を細くしているような気がします。

道を挟んで細い路地がありました。
奥に何やら柱のようなものが見えます。

「妙光山清龍寺」と浮き彫りされた木柱が立っていました。
通りからは見えませんが、お寺です。

南妙法蓮華経と記された石碑。
元文四年(1739年)の建立です。


「清龍寺」は弘治二年(1556年)に建立された日蓮宗のお寺で、山号は「妙光山」。
「助崎大須賀氏の一族である大須賀胤朝(法号は常顕日道または日清幽儀)が日蓮宗に
帰依し、「大須賀家蔵大須賀系図」によれば1556(弘治2)年、助崎城跡に下に建立した。」
(成田市発行 「成田の地名と歴史 P287)

境内の一角に古い墓石が並んでいます。
宝永、享保、宝暦、安永、寛政など、古い年号が刻まれています。

無住のお寺のようです。
境内はがらんとしています。

本堂脇の墓地に並ぶ墓石には、享保、安永、嘉永などの年号が記されています。

頭部が落ちた石塔の台座には「奉 蓮華経」の文字だけが読めました。
たまたま通りがかっただけですが、須賀神社や、この450年以上の歴史あるお寺の現状は、
いろいろと考えさせられるものがあります。

※ 須賀神社 成田市名古屋564
JR滑河駅より徒歩約50分
循環バスがありますが、本数が少ないので注意が必要です
空港に加え、歴史的にも興味深く魅力的な地ですね❗️
成田好きなので、このようなホムペ探していました。いつも勉強させていただきありがとうございます(^○^)
僕は、手探りでやってますので、文章の勉強になります。
今後ともよろしくお願い申し上げます。