
熊野神社は延喜二十年(920年)に仮宮を建て、延長元年(923年)に創建されました。
ご祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の夫婦神です。

階段を上ると拝殿までのまっすぐな石畳が続きます。
降るように蝉の声が響いています。
蝉時雨という言葉をふと思い出しました。

鳥居の前に立派な石碑が立っています。
「指定村社 熊野神社」と記されたこの石碑は昭和15年に建立されました。
この神社は、南羽鳥、北羽鳥、長沼、竜台、田川(茨城県河内町)の
旧五か村の総鎮守です。



参道の左側、「祓戸大神」の先に「庚申猿田彦大神」の石碑と
少し離れて「青面金剛像」が立っています。
寛政十二年(1800年)と記されているこの石碑は、
庚申の申の字が申(さる)に通じることから、庚申信仰と猿田彦神とが結びついたものです。
庚申塔には青面金剛像が彫られることが多いのですが、ここでは二つに分かれています。


天正九年(1581年)の豊臣軍と北条軍との竜台合戦で社殿を焼失し、
寛文七年(1667年)に再建されたもののこれもまた焼失することとなり、
天保十年(1839年)に再建されたのが現在の社殿です。



本殿は切妻造りで鰹木は5本、千木は垂直に切られています。

木々の茂る薄暗い中に、灯りがともる拝殿の景色は厳かで、何やら幻想的でもあります。

境内の右奥にある「天神様」。

拝殿に向って左手の小高い丘の上に浅間神社があります。
享和四年(1804年)に建立され、昭和52年に再建されました。
新しい石造りの小さな祠ですが、昔からここにあって、戦前までは
子供の健やかな成長を願って、親子が裸足でお参りする習わしがあったそうです。


裏山にたくさんの祠が打ち捨てられていました。
新しい祠が建って、用済みとなったのでしょうが、何か虚しく寂しい景色です。


神社のパンフレットには、ご祭神は夫婦神で、配神として「速玉男命(はやたまおのみこと)」、
「事解男命(ことわけおのみこと)」をお祀りするとありますが、
多くの文献には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と速玉男命、事解男命の三神を合祀している
ことから、「三熊野神社」とも呼ばれていると書かれています。
私見ですが、夫婦神は二柱で一代とするので、この場合は夫婦神を伊弉諾尊として
三神としたのではないでしょうか。
陽が傾き、いつの間にかヒグラシのもの哀しい声だけが響く境内でした。

※ 成田豊住 「熊野神社」 成田市南羽鳥76
京成成田駅よりコミュニティバス豊住ルート 宮下下車 徒歩3分
JR成田線下総松崎駅より徒歩約30分