
「小御門神社」は明治15年に創建された、比較的新しい神社です。
そして、ご祭神を実在の人物である藤原師賢(ふじわらのもろかた)とする珍しい神社です。
師賢は正安三年(1301年)生れで、大納言として後醍醐天皇に仕えていましたが、
元弘元年(1331年)に天皇と時の執権・北条高時とが対立して起った「元弘の乱」で敗れ、
元弘二年五月に遠くこの地に配流されて、十月に亡くなることになります。
元弘三年、楠木正成らの挙兵により鎌倉幕府が滅びると、天皇は師賢に太政大臣の官位と
「文貞公」の謚号(しごう-贈り名)を贈り、その忠義を称えました。
後に明治天皇がこの忠臣を称えて、国の守り神として「小御門神社」を創建し、
「別格官弊社」に列しました。

鳥居の手前に建つ大きな石柱には公爵・近衛文麿の筆で、
「別格官弊社 小御門神社」と刻まれています。
昭和15年の建立です。

境内とその周辺の鬱蒼とした森は、県指定の天然記念物「小御門神社の森」です。
タブノキを中心にクスノキ、トチノキ、シラカシ、ヒガンザクラ、スギなどが生い茂っています。
もともとのタブの自然林に神社造営時の人工林が一体化して森を形成しています。

拝殿は明治17年の建立です。

手水舎は明治17年に設置され、山岡鉄舟の筆による揮毫で「清素」と刻まれています。

手水舎の奥に石碑が3つ並んでいます。
手前が「小御門神社敷石寄附人名」と記された明治24年のもの、
真ん中の細い石碑は昭和36年の「生垣補修工事」、
奥が「杉苗百十五本」と記された明治16年のものです。


大柄な立派な狛犬です。

菊の紋章の付いた水桶は明治33年に造られたものです。


明治15年に建立された本殿は、拝殿から少し奥まった場所にあります。
いろいろ場所を代え、裏側にも回ってみましたが、中を窺うことはできません。

裏手に回る途中の草むらの中に、小さな石碑がありました。
「文貞公御庿道」とあり、明治4年と記されています。
文貞公とはご祭神の藤原師賢のことですから、この先にお墓があるようです。

小御門神社ホームページより 文貞公 像 ⇒

大木の生い茂る大きな塚があります。
柵に囲まれていて、頂上に何やら石碑が建っています。
説明板にあった「公家塚」です。
これが文貞公のお墓ですが、“畏れ多い”と昔から誰も立ち入らなかったと言われて
いますから、荒れた感じがするのも仕方ないのでしょう。

公家塚の周りは深い森です。


まだ新しい祈祷殿の脇には「館内眞名井社」と木札が付けられた井戸があります。


4月29日に行われる「ブンテコさん」と呼ばれる祭例での舞
(小御門神社ホームページより 祭例の舞 ⇒ )
配流されてわずか数カ月後に亡くなってしまった師賢ですが、地元の人々には尊敬され、
大事に祀られてきたことが分かります。


神社としては130年ほどの歴史しかない「小御門神社」ですが、
その由来を知ると、680年余りの歴史が流れるロマン溢れる神社です。

※ 「小御門神社」 成田市名古屋898
JR滑川駅より徒歩約30分 または、しもふさ循環バス小御門神社前下車