
「龍正院」(りゅうしょういん)は天台宗のお寺で、山号は「滑河山」。
坂東札所第28番で、「滑河観音」(なめかわかんのん)の名前で親しまれています。
承和五年(838年)に滑河城主・小田政治が創建し、
開基は慈覚大師円仁と伝えられています。
ご本尊は「十一面観音菩薩」で、大観音像の胎内に納められています。
山門脇の寺伝によれば、『城主小田将治が凶害に苦しむ民百姓を救うため七日間の
法華経読誦の満願の日に小田川の朝日ヶ淵(ケサガフチ)より御出現され、当地に
おまつりしたところ人々は蘇生の思いをしたと云う。』とあり、
「音にきく 滑河寺の 朝日ヶ淵
あみ衣にて すくふなりけり」
という花山天皇御製の歌が添えられています。

花山天皇 (ウィキペディア「花山天皇」より 原典は月岡芳年画「月百姿花山寺の月」)


お寺の入り口、県道161号線に沿って十基の宝篋印塔が並んでいます。
風雨に削られて、彫られた文字はほとんど読めませんが、
辛うじて寛永八年(1631年)、十四年(1637年)の文字が読めました。
1637年とは、「島原の乱」の年です。

手水舎の先に八脚門茅葺寄棟造りのがっちりした佇まいを見せる仁王門があります。
建保四年(1216年)の暴風雨により倒壊したものを、文亀年間(1501~04)に
再建したもので、国の重要文化財に指定されています。


仁王様はやや彫が平面的に見えますが、表情が穏やかに見えるような気がします。
ユーモラスな「ぼけ封じ道祖神」

しもふさ七福神の「毘沙門天」


地蔵堂の中に置かれている2頭の馬の像は、本堂の軒下に置かれていたという
左甚五郎作と伝えられるものなのでしょうか。
中央に船越地蔵、右が閻魔大王、左が脱衣婆です。


銅造宝篋印塔(どうぞうほうきょういんとう)です。
享保三年(1718年)に建てられ、中に陀羅尼経が納められています。
良く見ると精緻で本格的な建造物ですが、
6メートル近い高さがあり、色彩が無いので見過ごされるかもしれません。
県の指定文化財になっています。

本堂は元禄九年(1696年)、5代将軍徳川綱吉の寄進によって再建されました。
建保四年の暴風雨から実に480年もの間、ご本尊を仮住まいさせていたことになります。


正面の彫刻は見事な天女の舞ですが、天女の表情が妙に艶めかしいのが印象的です。

天井にも色彩豊かな天女の絵が描かれています。

境内の中央に松尾芭蕉の句碑と夫婦松があります。
句碑には寛政五年(1793年)の銘があり、
「観音の いらか見やりつ 華の空」の句が刻まれています。

本堂の右裏には古い石仏群があり、宝暦、文化、等の年号が読めます。

本堂の左奥には、天満神社、金比羅神社、熊野神社、白山神社、
稲荷神社の五社が鎮座しています。

延命、安産、子育ての守り本尊として信仰を集めている
坂東観音札所28番の滑河観音。
一つ前の27番は銚子の「飯沼山円福寺」、次の29番は千葉の「海上山千葉寺」です。

※ 滑河山龍正寺(滑河観音) 成田市滑川1196
JR滑川駅より徒歩約15分