
取香の「側高(そばたか)神社」を訪ねます。
空港のゲートの手前左側にあり、空港への通勤者以外は人通りのないところです。
ここは道路から一段高いところにありますので、車で通る人には社殿が見えません。


東関東道や国道51号線方向から車で空港に入るにはここを通過します。
空港ゲートの中で一番忙しいところです。


「三里塚街道を往く(その壱)」で紹介した「側鷹神社」とは同じ“読み”でも字が違います。
石塔には「側高神社」となっていますが、なぜか拝殿の掲額は「側鷹神社」となっています。
一説には“鷹”が正しいとも・・・。
ご祭神も分かりません。
一説には「側高大神」とも・・・。
佐原の「側高神社」をはじめ側高神社ではご祭神を教えてはいけないとされているようで・・・。
何か謎めいた神社です。

本殿の作りも立派です。

「取香の三番叟(さんばんそう)」の説明板がありました。
もとは歌舞伎の三番叟に起源するもので、白髭の翁、冠の千歳、黒面のデク(三番叟)の
三人で舞う五穀豊穣を願う郷土民俗芸能です。

千葉県教育委員会ホームページより転載
http://www.pref.chiba.ig.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p321-054.html
現在は毎年4月の第1日曜日に行われる行事ですが、
お面の箱書きに天保十一年(1840年)とあるそうなので、
少なくともそれ以前から行われていたようです。

庚申塚には安政五年(1858年)と記されています。
側面には「さくら」「なめ川」の文字が見えます。
ここに移設される前は道標を兼ねていたのでしょうか、めずらしいものです。

石尊大権現には左右に「大天狗」「小天狗」と彫られています。
どんな意味があるのか興味津々ですが、これも宿題です。
側面には安政六年(1859年)と記されています。
※ 神奈川県伊勢原市にある「大山阿夫利神社」への参拝記念碑でした。(2015.7.28)




いろいろと分からないことの多い神社です。
じっくり時間をかけて調べてみたくなりました。
この神社は昭和48年に東関東自動車道の工事のため
この場所に遷座されました。
それにしても不便な場所です。
氏子と切り離された場所で寂しくたたずむ様は、小菅の側鷹神社と同じです。
現在と将来にとって必要なこととは言え、空港関連の工事は、
この地域の歴史と風俗に少なからぬ影響を与えています。
新しい場所での時間が、この神社のような歴史あるものに、
静かな落ち着きを取り戻させることを祈るばかりです。
※ 側高神社 成田市取香276
空港第2ビル駅から徒歩約12分。京成成田駅からサークルバスで
成田東武ホテルエアポート下車(約30分)、徒歩3分。