二つに分断されています。
南北二つの地区を結ぶのは、取香橋と浅間橋という二つの橋しかありません。
取香橋には歩道がありますが、浅間橋には無く、人の往き来には取香橋しか使えません。
地区の総戸数は80戸余り、北側にはほとんど人家は無く、
大きなホテルや旅行客相手の広い駐車場が多くの面積を占めています。
今回は北側をひと回りしてから南側に回ります。

取香橋は空港の入り口近くにあり、ここからは管制塔やレーダーが見えます。
この道の先を左に入ると成田空港で一番大きなゲートがあります。
直進すると東成田、芝山千代田駅前を通って、芝山町、多古町へと抜けて行きます。
交差点の付近を少し歩いてみましょう。

空港ゲートの入り口の脇にあるのは、以前紹介したことのある「側高神社」です。
空港建設の影響で、住民からは切り離された場所に建っています。

交差点に面して、「成田東武ホテル」があります。
このホテルは開業時は「ホリデイ・イン」でした。
空港近辺のホテルの中では「ファーストシティ・ホテル(現成田ビュー・ホテル)」に次ぐ
早いオープンで、外から見えるエレベーターは当時はめずらしく、見物人が集まったほどです。

東武ホテルを背に左に3分ほど行くと、「東横イン・成田」があります。
成田地区のシティホテルの変遷は激しく、ほとんどのホテルが開業時の名前から
変わっていますが、中でもこのホテルは一番名前が変わった(経営母体が代った)ホテルです。
スタートは「トラべロッジ」でした。
直ぐに「成田プリンスホテル」にそして日本航空系の「ウィングホテル」に、
数年前に東横インへと看板が掛け替えられました。



遠くに建築中の建物が見えました。
近づいてみると、相当大きな建築物です。
空港の敷地内ですからこれ以上は近づけず、何の建物かは分かりませんが、
多分LCC専用ターミナルではないかと思います。
「空港第2ターミナル」の項で紹介しましたが、LCCの急速な伸びが、
専用ターミナルの建設を必要としています。


県道44号線沿いには旅行客向けの駐車場が目立ちます。
通りから見えない所にも驚くほどの台数の車が駐車しています。

ホテル日航成田です。
このホテルも日本航空の経営再建のため、現在はホテルオークラの傘下に入っています。
最近屋上に鶴丸のマークが復活しました。
44号線に沿って植えられた桜は見事な大木で、
開花の季節にはこの一帯がピンクに染まります。

道を挟んでホテルの反対側の崖下にチラリとトンネルのようなものが見えます。



空港に向かうJRと京成の線路がここでちょっと顔を出しています。
線路が見えている距離は50メートルほどしかありませんから、
ここで電車を見る機会はめったにありません。


浅間橋の手前に小さな丘があり、その上に浅間神社があります。
開発で削られた丘は4~5坪ほどしかなく、この神社に気付く人はほとんどいません。
石造りの祠は昭和48年に建てられたものです。

神社から見える新空港線と国道295号線です。
この2つの道で取香地区は南北に分断されています。
取香橋に戻って、取香の南の地区に入ります。
こちらの地区は北とは全く違う顔を見せてくれます。


取香橋を渡って直ぐに右の坂を登ると取香稲荷社が見えてきます。
小さなお社ですが、手入れが行き届いています。
入り口に金剛夜叉像が立っていました。
寛政三年(1791年)と刻まれていますから、
この地域に昔から人々の営みがあったことを示しています。

取香稲荷社の前を左に進むと「円勝寺」が見えてきます。
四月に行われる民俗芸能の「取香の三番叟」はこのお寺から出発し、
取香橋を渡って北側にある側高神社へと向います。

質素なお堂です。
右側に見えているのは「成田市取香共同利用施設」です。


墓地の石仏群
寺の左手は「取香墓地」で、空港関連工事への協力のため、
分散していた墓地をここにまとめたそうです。
入り口近くの仏石には、正徳三年(1713年)と刻まれています。


この山道を歩いている間、誰にも会うことがありませんでした。
風向きの関係もあるでしょうが、空港の騒音も聞こえません。
静かな、のんびりした山村がここにはありました。


坂を下る途中に「大師堂」がありました。
小さいながらも立派な構えです。

坂を下り切る少し手前には「熊野神社」があります。


熊野神社
狭くて急な石段を登ると、僅かに拓かれた平地にへばりつくようにお社がありました。
わざわざここまで登ってくる人は少ないようです。

杉の大木がお社を抱えるように立っています。


さらに坂を下ると、以前紹介した取香川の源流部に辿りつきます。


見上げると聖マリア記念病院が見えます。
心療内科、精神科、神経科等、特色のある診療科目を持つ大きな病院です。
前庭にはマリア像をはじめたくさんのメルヘンチックな像が置かれています。
新空港道と国道295号線によって分断された取香地区は、
平成22年時点で戸数88戸、人口162人の寂しい地区になってしまいました。
南北に分かれた地区を一つにまとめているものは、
円勝寺から出発して取香橋を渡り、側高神社で行われる
「三番叟」のご祭礼だけなのでしょうか。

千葉県教育委員会ホームページより 取香の三番叟 ⇒
