広い境内にはまだまだ見所があります。

「石摺(いしずり)不動尊」です。
分かりにくい場所にありますが、仁王門から階段を上って香閣の前を右に行き、
東門への階段の手前を右に入ります。
文政十年(1827年)照胤上人によって建立され、
天保十三年(1842年)に照阿上人が再開眼したと裏面に書かれています。

現在は禁止されていますが、以前はこのお不動様の像に墨を塗って
拓本のようにして写し取り、お札代わりにしていたそうです。

石摺不動尊から下を眺めると、前々回に紹介した「こわれ不動堂」が見えます。

前回紹介した一切経堂の後方には「聖徳太子堂」があります。
1992年に建立され、我が国の仏教興隆に尽くした聖徳太子を祀っています。


ずいぶん童顔の聖徳太子ですね。


周りの塀にはずらりと掛け灯篭が並んでいます。

境内のはずれにあるためか、ここに入ってくる人は少ないようです。
塀に囲まれた敷地内には木が一本もなく、ちょっと異質な感じのする空間です。




大本堂の裏手の斜面には不動明王の手助けをする
八大童子や三十六童子、五大明王、役行者等の像が並んでいます。


大本堂に中を覗くと御護摩の最中でした。
堂内は撮影禁止なのでガラス越しにシャッターを切ってみましたが、
ガラス面が反射してうまく撮れません。
場内撮影禁止ですから仕方ありませんね。

なんとか隙間を見つけて、雰囲気だけでもと撮ってみました。


大本堂は周りをぐるっと回ることのできる広い廊下があります。
裏側には大日如来を真ん中に虚空蔵菩薩、聖徳太子像が安置されています。


大本堂の左手、大日如来像のそばの階段を上ると
「額堂」「光明堂」「平和大塔」などがありますが、
今回は大本堂の前を香閣からの煙にむせながら左へ進みます。


見慣れた釈迦堂の前に立つと、左手に真っ白な「聖天堂」が見えます。

秘仏「大聖歓喜天」が安置されています。
この大聖歓喜天は良くインドで見かける象頭人身像です。
子授けの神様として信仰を集めています。

ちょっと戻って釈迦堂の先を右に曲がると「出世開運稲荷」に通じる長い階段が見えます。

明治21年に再建されたこのお稲荷さんは、
小さいながらいつも熱心な信者で賑わっています。
佐倉城主の稲葉丹後守が宝永年間に寄進した
吒枳尼天(だきにてん)を本尊としています。


私は十数年前、このお稲荷さんのお賽銭箱のそばで小さな子猫を拾いました。
足を骨折していましたが、与えたエサには見向きもせず、私の後を必死に追ってきました。
十年あまり成田を離れていて久しぶりに帰って来たばかりで、
とても忙しい中でしたが、見かねてそのまま獣医さんに連れて行きました。
以後13年にわたり我が家のマスコットとして幸せに過ごしましたが、
この場所は彼にとって、まさに「開運」の場所だったのです。


たくさんの絵馬や狐の置物が並んでいます。
こじんまりしたこの場所は、何かほっとする空間です。

帰り道の階段からは成田山の広い境内が見渡せます。
次の機会には「光明堂」や「額堂」、そして遠くに見える「平和大塔」を訪ねたいと思います。
※大本堂、釈迦堂についてはすでに書いていますので、
左欄の「記事の分類とアップ数」中の「成田山」を
クリックしてください。