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このブログでは、引用する著作物や碑文の文章について、漢字や文法的に疑問がある部分があっても、そのまま記載しています。また、大正以前の年号については、漢数字でカッコ内に西暦を記すことにしています。 なお、神社仏閣に関する記事中には、用語等の間違いがあると思います。研究者ではない素人故の間違いと笑って済ませていただきたいのですが、できればご指摘いただけると助かります。また、コメントも遠慮なくいただきたいと思います。

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成田は新しいものと旧いものが入り混じる魅力的な街。歴史を秘めた神社やお寺。遠い昔から刻まれてきた人々の暮らし。そして世界中の航空機が離着陸する国際空港。そんな成田とその近郊を、流れる風になって気の向くままに綴ります。

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馬乗り馬頭観音と虚空蔵菩薩(旧山田町)
前回の「正等院」の謎の石仏を調べる過程で訪問した、旧山田町(現・香取市)の「観音寺」
にあらためて取材に訪れました。

山田馬頭ー21

「観音寺」は珍しい「馬乗り馬頭観音」で知られています。


山田馬頭ー1

天台宗のお寺ですが、ほとんど資料がありません。
天台宗のホームページにも寺名と住所しか載っていません。


山田馬頭ー34

「香取郡誌」には、その他寺院の項にただ一行、「観音寺 天台宗 本尊・馬頭観音」とのみ
記載されています。
「山田町史」(昭和61年編さん)にも、簡単な説明があるだけです。
「観音寺 神生、向油田にある。本尊に馬頭観世音菩薩をまつる。下総七牧の一つ、油田牧
の内にあり、馬観音として信仰されてきた。」 
(P1345)

ゼンリン地図には「観音寺」ではなく、「馬頭観音」と表記されています。


山田馬頭ー3

平成21年に掲げられた寺額には「馬頭観世音」と書かれています。


山田馬頭ー5

本堂の扉に空いた小さな窓から、御前立ちの「木像馬乗り馬頭観音」が見えます。
馬上で趺坐する姿は、後ろの厨子内に安置されている本尊と同じ像容と言われています。


山田馬頭ー8
********** 山田馬頭ー7

石段を登り、境内に入る場所に享和二年(1802)の石灯籠が立っています。

石灯籠の脇にある記念碑(平成二十一年三月の「馬頭観世音本堂修繕事業落慶譜」)には
次のように刻まれています。

『当山馬頭観世音は千数百年前(奈良、平安)の行基菩薩の作である。脇の貝塚は、早稲田
大学の調査チームにより三千五百年前の人骨が発掘され、旧茅場には実際に狩をした塚十
数ケ所あり、古代人の生活の営みがあった証である。 「向油田の馬頭観音」は馬体安全、
商売繁盛、家内安全の観世音として篤く信仰されて来ました。本堂は嘉永二年一月二十三日
の油田村の大火災で全焼し運び出された本尊は十七年間仮殿に安置される。明治五年三月
七日より九日迄、入仏供養の式が執行される。今も本堂展示物、二点に当時の焼けあとが
ある。本堂は慶応三年十一月二十八日大工上棟 明治元年三月十二日茅ぶき屋根上棟され
た。百五十年の月日による本堂の傷みも激しくなりよってここに本堂屋根と、本堂内の修繕、
仏具修復工事を奉賛し、以って馬頭観世音の壮大なる御慈悲を末永く仰がんとする。』


行基菩薩(ぎょうきぼさつ)とは、奈良時代の僧で、我国最初の「大僧正」となった行基のこと。
死後に朝廷より菩薩の諡号を授けられたため、「行基菩薩」とも言われています。
本尊の馬頭観音像が行基の作とすれば、実に約1300年前のものということになり、大変
貴重な文化財ですが、千葉県や香取市の文化財の指定ありません。
いわゆる「寺伝」だということなのでしょうか。


山田馬頭ー9
山田馬頭ー10

手水盤には天明三年と刻まれています。
天明三年は西暦1783年になります。


山田馬頭ー12
山田馬頭ー11
山田馬頭ー33

虹梁、木鼻等、どれも細かい部分にまでこだわった見事な彫刻です。


山田馬頭ー13
山田馬頭ー30
山田馬頭ー31

本堂の側面に郡馬の掲額があります。
右端には「馬乗り馬頭観音」が描かれていますが、本尊や御前立ちのように馬上に趺坐する
観音像とは異なり、馬に跨っています。
はっきりとは分かりませんが、肌は青く、三面六臂の忿怒相のような気がします。

「仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、
いわゆる「六観音」の一尊にも数えられている。柔和相と憤怒相の二つの相をもち、日本では
柔和相の姿はあまり知られておらず作例も少ない。そのため、観音としては珍しい忿怒の姿
をとるとも言われ、通例として憤怒相の姿に対しても観音と呼ぶことが多いが、密教では、
憤怒相の姿を区別して馬頭明王とも呼び、『大妙金剛経』に説かれる「八大明王」の一尊にも
数える。」
 (ウィキペディア 馬頭観音の項より)


山田馬頭ー15
山田馬頭ー17
山田馬頭ー16

馬の掲額は裏側の壁面上部にまで続いています。


山田馬頭ー32

境内の裏手斜面に四基の石造物が見えます。


山田馬頭ー22

左端の倒れかけた「馬乗り馬頭観音」。
風化が進み、紀年銘等は判読できませんが、馬に乗っていることは分かります。


山田馬頭ー20
山田馬頭ー25

隣に立つ「馬乗り馬頭観音」は右手に三叉、左手に未開の蓮を持ち、馬上に趺坐しています。
宝冠を被り、馬頭観音とは思えない柔和な顔つきです。
「安永六丁酉六月吉日」 と刻まれ、240年も風雨に晒されていたとは思えないほど風化が
少ない貴重な文化財です。(安永六年は西暦1777年)

 
山田馬頭ー23

右側の倒れた二基は「馬頭観世音」の文字のみが刻まれています。
地中に埋まっているため、紀年名は読めません。


山田馬頭ー24

この明治二十六年の読誦塔には側面に建立の経緯が記されています。
「維時明治廿五年八月於當山普門品読誦講ヲ創設シ二十六年九月ニ至満願成就ス依之
同十月廿七日是ノ大供養ヲ執行シ記名信徒ノ篤志ヲ■■■


山田馬頭ー29
山田馬頭ー28

屋根には千葉氏の紋章、月星紋が光っています。
斜め左の上向きの三日月に一つ星の紋は、江戸時代中期以降に用いられたもので、それ
以前には上向きの三日月に一つ星でした。

円通寺ー22 円通寺の月星紋

ただ、寺社にある千葉氏の紋は九曜紋が圧倒的に多く、月星紋はあまり見かけません。

和泉熊野ー13  西和泉の熊野神社
 旧栗源町の真淨寺  真浄寺ー11
宝応寺ー26   松子の寶應寺


山田馬頭ー38
山田馬頭ー39

「観音寺」からちょっと下った三叉路に小さなお堂が見えます。
近づいてみると「虚空蔵菩薩」と書かれています。

「虚空とは、どこまでも広がる空間の意味で、広大無辺な仏の智慧と慈悲を象徴し、それが
母胎の中にあるかように優しく包み込まれている。虚空が決して破壊されないように、この
菩薩の智慧と慈悲も永遠不滅である。」
 (「仏像鑑賞入門」 瓜生中 著 P104)


山田馬頭ー40
山田馬頭ー46

堂内には右手に宝剣を持ち、左手に如意宝珠を持つ立像の虚空蔵菩薩が安置されています。

ここに虚空蔵菩薩が祀られている理由は分かりませんが、お堂の周りはきちんと整理されて
いて、地元の人々に大切に守られている様子がうかがえます。


山田馬頭ー41

お堂の傍らに数基の石仏が並んでいます。


山田馬頭ー44
山田馬頭ー42
山田馬頭ー43

一基を除いていずれも「慈母観音」のようですが、ちょっと変わっているのが赤子に乳を飲ませ
ているポーズです。
慈母観音にはいろいろな像容がありますが、このような慈母観音は初めて目にしました。


山田馬頭ー45

一基だけ場違いのように立っているお地蔵様。
「奉 供養諸願成就」「寛政九巳十月吉日」 と刻まれています。
寛政九年は西暦1797年です。


山田馬頭ー37
山田馬頭ー21

東総地区に集中してある「馬乗り馬頭観音」は、他には木更津地区にしか無く、全国的にも
房総地方にしか見られないとされている珍しい石仏です。
山田町(現・香取市)は初めての取材でしたが、まだまだおもしろい石仏が隠れていそうです。


山田馬頭ー01

                  ※ 「観音寺」(馬頭観音) 香取市神生1473-1



テーマ:千葉県 - ジャンル:地域情報

香取市の寺社 | 08:12:54 | トラックバック(0) | コメント(2)
コメント
安永の馬乗り馬頭観音
 東大和市域では安永期になると、不作が続き、無宿人が往来し、年貢の延納を願い出るなどの状況下で、なぜか道しるべ庚申塔や廻国供養塔、巡礼供養塔などが増えます。その理由は解けていません。
 
 ご紹介下さる地域での「馬乗り馬頭観音」が重なり合って、ますます興味をかき立てられます。安永六年像の柔和さには、厳しい背景があったのでしょうが、思わず手を合わせたくなります。
 
2016-05-07 土 09:14:16 | URL | 野火止用水 [編集]
Re: 安永の馬乗り馬頭観音
江戸時代には佐倉から佐原にかけて、いくつもの幕府直轄の野生馬の
放牧場があった関係で、馬にまつわる物語が数多く残され、馬頭観音
が他地域より多いように思われます。
旧街道の険しい坂道近辺では荷役に多くの馬が使われ、事故や過労
から死んだ馬を慰霊する馬頭観音が目立ちます。

2016-05-07 土 21:03:52 | URL | sausalito [編集]
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