「百庚申」とは、(「百」という数にはこだわらず)多くの庚申塔が集められた場所を指します。
市内には、西和泉、宝田・桜谷津、宝田・後、竜台の四ヶ所にあります。



「庚申塔」や「青面金剛」、そして「庚申信仰」については、これまで何回か触れていますが、
あらためてもう一度紹介しておきましょう。
「庚申信仰」は道教の説く「三尸説(さんしせつ)」を起源とする民間信仰です。
「三尸説」では、庚申の日の夜には、眠っている人の体内から「三尸(さんし)」と呼ばれる虫
が抜け出して、その人の悪行を天帝に告げ口をして寿命を縮めるとされています。
三尸虫は宿主が死ぬと自由になれるため、常にその短命を願っています。
そのため、庚申の日の夜は身を慎んで眠らないで過ごし、三尸虫が体内から出られないよう
にする、「守庚申」と言う信仰の形が生まれました。
貴族の間に始まったこの信仰が、やがて庶民の間にも広まり、念仏を唱えたり、酒を飲んで
歌い踊る宴会によって眠気を払う「講」の形になりました。
庚申塔は、この庚申講を三年間、十八回続けた記念に建立されることが多いとされています。
「庚申」とは「干支(えと)」の一つです。
昔の暦や方位に使われていた「干支」とは、十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)を組み合わ
せた60を周期とする数詞です。
十干とは[甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸]、十二支とは[子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・
酉・戌・亥]で、干支の組み合わせ周期は60回になります(10と12の最小公倍数は60)。
つまり、庚申の年は60年に1回、庚申の日は60日に1回周ってきます。
庚申塔には「庚申塔」と文字が刻まれたもの、「青面金剛(王)」の文字、または「青面金剛像」
が刻まれたものの三種類があります。
「青面金剛(しょうめんこんごう)」について、「仏像鑑賞入門」(瓜生 中 著 平成16年 幻冬舎)
には次のように解説しています。
『 一般には「庚申さま」の名で親しまれている。 もともとは悪性の伝染病をはやらせる疫病神
として恐れられていた。 疫病の神にふさわしく、青い肌に蛇を巻きつけ、髑髏の装身具を身に
つけるなど、恐ろしい姿をしている。経典には四臂像が説かれているが、実際に造られるのは
六臂像が多く、また二臂のものもある。 青面金剛が庚申さまと呼ばれるようになったのは、
中国の民間信仰である道教の影響を受けたためである。』 (P224)
多く見かける像容は六臂で、法輪・弓・矢・剣・錫杖・ショケラ(人間)等を持つ忿怒相で、邪鬼
を踏みつけ、左右に童子や鶏を刻み、台座に三猿を置いています。
鶏は、鶏が鳴くまで起きていることを表しているとか、十二支の申(さる)の次の酉(とり)の日
になるまで起きていることを表しているとか言われています。
また、三猿は(諸説ありますが)庚申の申にかけて、三尸に“見ざる・言わざる・聞かざる”で
天帝に告げ口をさせないようにするためだと言われています。
四ヶ所のうち、最初に訪ねるのは宝田の後(うしろ)にある「百庚申」です。


ここは国道408号線に面していますが、庚申塔が道路に背を向けていることと、工場の敷地
に見えることから、見過ごされがちです。

正面奥にある「青面金剛像」は合掌する二臂像に見えますが、良く見ると法輪や鉾を持つ
手が線描されていました。
線描された部分はほとんど消えていますが、六臂の青面金剛です。
「安政七庚申六月吉日」と記されています。
安政七年は西暦1860年、大老井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」があった年です。

明治二十二年(1889)に建立の「庚申塔」。

風化で読みにくいのですが、「文久二壬戌」と記されたものが多いようです。

顔が削られたこの「青面金剛像」には、「安■七庚申六月吉日」と、先ほどの青面金剛像と
同じ紀年銘が記されています。


お堂の中にも「青面金剛像」があります。

右上に日を、左上に月を刻み、「明和四丁亥天十一月吉日」と記されています。
明和四年は、今から250年前の西暦1767になります。

像は六臂で、二手で合掌し、右上手に鉾、左上手に法輪を、右下手に矢、左下手に弓を持ち、
左右に鶏を置いて邪鬼を踏みつけ、台座に三猿を刻んでいます。

庚申塔は二列に並べられ、前列に13基(内、金剛像は1基)、後列に14基(3基)、後部に
像が1基と堂内に像が1基の、合計29基あります。
終日背中を車が行き交う環境では、もう「庚申講」もできませんね。
次は同じ宝田の桜谷津にある「百庚申」です。

桜谷津の百庚申は国道408号線から細い道をちょっと入った所にあります。
庚申塔群は道のさらに奥にあり、木々が視界を遮っているため見過ごしてしまいそうです。


道路際に小さな塚があり、杉の大木の根元にある祠が「百庚申」への目印になります。
祠の屋根は落ちていますが、天明八年(1788)と記されています。

小塚の陰にお堂と石仏があります。


長い間風雨に晒されていたのでしょうか、薄暗いお堂の中の石仏は判別ができません。
真ん中から折れたようで、補修痕が見えます。

この石仏は年代不詳ですが、「十五夜講」の文字が読めますので、「大日如来」のようです。
よく見る「大日如来」は装身具を付け、智剣印を結ぶ姿ですが、この像は装身具を付けず、
法界定印を結んでいる胎藏界の「大日如来」と思われます。
左側面には「南 なりた道」と記されています。

お堂の裏でヤツデに覆われている石碑は、「奉読誦普門品一千巻供養塔」と刻まれている
明治三十三年(1900)建立の「讀誦塔」です。

桜谷津の百庚申の全景ですが、正面の庚申塚は垂れ下がった木の枝で見えません。


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ここの庚申塔は見たことのない形をしています。
直方体の石を縦線で七分割し、それぞれに「庚申塔」と刻んでいます。
これが左右に5基ずつ、計10基が並んでいます。

正面にある「庚申塚」。
中央上部に明和元年(1764)の「青面金剛像」を置き、その周辺を「庚申塔」や「青面金剛王」
と刻んだ塔が囲んでいます。

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ここにも七分割型の庚申塔があり、分割されたものを一つ一つ数えれば、塚に建つ庚申塔
を加えて、ほぼ「百庚申」になります。
訪れる人も無く、木々に陽を遮られて塔は苔蒸しています。
次は西和泉の「百庚申」です。


これらの庚申塔は、かつて野毛平との村境にありましたが、道路整備に伴ってここに移設
されたものです。


二列の庚申塔のほとんどは小型の文字塔ですが、良く見ると「庚申塔」ではなく、「孝心塔」と
刻まれたものが五基、「庚心塔」と刻まれたものが十基あります。

普通に「庚申塔」と刻まれたものは三基あり、後列には「青面金剛」と刻まれたものが二基、
そして「青面金剛像」が五基となっています。
ここの「百庚申」には、合計25基の庚申塔があります。


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「青面金剛像」はいずれも六臂で邪鬼を踏みつけていますが、三猿はありません。
移設した時に台座部分が失われてしまったのでしょうか?
五基の金剛像は、いずれも上部に日月を配し、剣・弓・矢・法輪・鉾・ショケラを持っています
が、表情は微妙に違っています。

不思議なことにここにある庚申塔には紀年銘がありません。
ただ、建立した人の名前はほとんどのものに記されていますのて、“その名前から推測すると
江戸時代後期のものだろう”と標柱には書かれています。


「奉讀誦普門品一万巻稱號四百万遍供養塔」と刻まれている「讀誦塔」。
脇に「正面ハ たこ 八日いちば」とあり、右側面には「此方 助崎 神崎道」、左側面には
「此方 芦田 滑川道」とあって、裏面には「享和三癸亥六月吉日 総州埴生郡西和泉村」と
記されています。(州は異体字)
享和三年は西暦1803年になります。
道標を兼ねた讀誦塔ですが、これも移設されたもののようで、方角が合っていません。



百庚申の後ろに鳥居があり、奥に「香取大神」と刻まれた石碑と、「古老傳曰往昔經津主神之
東征~」で始まる難しい旧漢字がビッシリの由緒らしき石碑が並んでいます。
香取大神の碑は明治二年(1869)、由緒の石碑には嘉永七年(1854)と記されています。

明治17年(1884)の祠と、年代不詳の石碑。
石碑は風化で何も読めません。


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「百庚申」のすぐ後ろは「総成カントリークラブ」のティーグラウンドです。
庚申塔群の中を、ティーショットの音が響く・・・ちょっと変わった風景です。
そして最後は竜台の「百庚申」です。
ここは前回の『竜台の「おはつ稲荷」と「百庚申」』で紹介しました。

ここは宝田の後や桜谷津、西和泉の「百庚申」とは違い、まさに百基の庚申塔が並んでいます。

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整然と並んだ庚申塔は大小の文字塔と像塔が混在し、文字塔85基、像塔15基の構成です。

「青面金剛尊」の文字が深く刻まれたこの庚申塔は寛政十二年(1800)のもので、百基の
中で一番古いものです。





真ん中の「青面金剛」と刻まれた庚申塔の台座には、御神楽を舞う三猿が彫られています。
信仰も何も笑い飛ばす、江戸時代の庶民の柔軟なユーモアを垣間見る気がします。
「おはつ稲荷」と御神楽を踊る猿がいる「百庚申」(竜台) ☜ ここをクリック








後の百庚申は国道べりに背を向けて、桜谷津は細道の奥、西和泉はゴルフ場の脇、竜台は
路地の突き当たりと、どこもちょっと見つけにくいところにありますが、孝心や庚心、御神楽猿
や様々な像容の金剛など、じっくり見ると発見の多い「百庚申」です。
どのような形で「講」が形成されたのか、運営されたのか、もの凄く惹かれます。
いつか意外な所からこの庚申塔にまつわる話が出てくるのではないか、と期待しています。
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