現在は「房総のむら」と合併してこの場所も「房総のむら」と呼ばれていますが、
昔、何度も来た風土記の丘の名前の方が私にはしっくりきますので、
今回はこちらを使おうと思います。

「房総風土記の丘」は、成田市の西に隣接する栄町にある
広大な敷地に広がる県立の自然博物館です。
以前に紹介した「房総のむら」とは地続きになっています。

100を超える古墳が点在する広大な公園で、
古民家や資料館もあり、散策にはもってこいです。

房総のむらの駐車場から「房総のむら」に入らず、まっすぐ進むと「風土記の丘」です。
この道の左側に「岩屋古墳」があります。
道から少し入ったところにありますので、案内板がなければただの丘にしか見えません。
奈良県の橿原市にある舛山古墳に次ぐ、全国で2番目に大きい方墳です。


古墳に向かう道端で野鳩がエサをついばんでいました。
恵まれた自然環境の中で、人を恐れることなく暮らしているのでしょう、
近づいても全く逃げる気配がありません。

古墳の入り口に着きました。
残念ながらしっかりと鉄扉で閉められていて中には入れません。

扉の隙間からシャッターを切ってみましたが、何も写っていません。
一体この奥にはどんな世界があるのでしょうか。

岩屋古墳を過ぎると、右側に白い大きな木造建築が見えてきます。
「旧学習院初等科正堂」です。



明治39年に建設された学習院の講堂で、
外見はモダンな感じですが、中は重厚な趣があります。
昭和に入って旧遠山村に下賜され、中学校の講堂として利用されてきましたが、
空港の騒音対策のため建て替えを余儀なくされ、この地に移設されたものです。
国の重要文化財ですが、出入り自由で周りに係員もいない状態は
良い状態での保存を続けて行くには不安が残ります。



正堂の裏をしばらく進むと、「旧平野家住宅」が見えてきます。
寛永四年(1751年)に建てられた富津市の名主の家を移設しました。

道の左右に番号の付けられた古墳が点在しています。



さらにしばらく歩くと「旧御子神住宅」が現れます。
安永九年(1780年)に丸山町(現南房総市)に建てられた農家を移設したものです。
梁の太さなどはさすがです。

垣根越しに房総のむらの屋並みを見ながら進むと、「風土記の丘資料館」があります。
残念ながら撮影禁止ですが、この近辺から出土した考古学的に貴重な出土品や
資料を中心に展示しています。

資料館の脇からは「白鳳道」と名付けられた道が龍角寺まで続いています。
(龍角寺については「小さな龍の伝説が結ぶ三つの寺(1)龍角寺」で紹介しました)

資料館の周りは古墳が集中している地域で、「古墳広場」と呼ばれています。


遺跡に囲まれた広場の一角に、面白い立て札を見つけました。
「ぎんなんを持ち帰らないで ぼくらのエサが無くなっちゃう たぬきより」
ぎんなんはタヌキやリスの貴重な食物なのですね。
この一角にはとても多くの銀杏の木があります。
ぎんなんの季節にはまだまだ遠いですが、
ベンチに座っておにぎりを頬張っている100メートルほど先を、
タヌキが悠然と横切ってゆきました。
あわててカメラを構えましたが、ズームのピントが合いません。
モタモタしている内に藪の中に消えて行ってしまいました。
あれはネコにしては大きくまるまるとしていたので、確かにタヌキでした。
それとも・・・歩き疲れて胃袋も膨らんだ時だったので、
もしかして化かされたかな?
※「房総風土記の丘」だけなら入場無料です。(資料館は有料)
房総のむらの入り口を入らず、「ドラムの里」というレストランと
産直品売り場の左を進むと、約3分で岩屋古墳、正堂が見えてきます。