
北須賀の「勝福寺」は真言宗智山派のお寺で、山号は「大台山」、院号は「龍岸院」。
ご本尊は「聖観音菩薩」です。

石段の下に建つ寺号標と石仏は、最近寄進されたものです。




石段の上には、決して大きくはありませんがしっかりした立派な山門が建っています。

山門脇に数基の石塔がありました。
風化で文字が読みにくくなっていますが、読誦塔のようです。
一つは文化二年(1805)、もう一つは天保十年(1839)と読みましたが・・・。

これは板碑でしょうか?
細長い形は珍しいと思います。

「千葉縣印旛郡誌」には「勝福寺」について次のように書かれています。
「北須賀村字和田にあり眞言宗にして東照寺末なり正觀世音菩薩を本尊とす由緒不詳
堂宇間口七間奥行五間庫裡間口七間奥行四間半門間口二間通間九尺境内三百五十
三坪官有地第四種あり住職は鈴木運照にして檀徒三百六十五人を有し管轄廰まで八里八町
十間なり寺院明細帳」
※ 東照寺は東勝寺(宗吾霊堂)の間違いと思われます。
「成田市史」に収められた「公津村誌」(大正四年)には、この「勝福寺」についての記述
は見当たりません。


ご本尊の「聖観世音菩薩」です。
「聖観音」は「正観音」とも言い、一面二臂の像で阿弥陀如来の化仏の付いた宝冠をかぶり、
蓮華を持って蓮台に立つのが一般的ですが、こちらの観音様は座っておられます。
六観音(聖観音・十一面観音・千手観音・馬頭観音・如意輪観音・准胝観音)の中では地獄道
を化益します。
※ご住職のお許しを得て、撮影させていただきました。


本堂の右手にある大師堂。

境内の一角にある二基の石仏は享保年間(1716~1735)のものです。




墓地はやや荒れていますが、寛文、元禄、宝暦、安永、天明などの年号が見えます。


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石段を下りて周りを散策してみました。

印旛沼方向に少し行くと、道端に「六地蔵」がありました。
「六地蔵」については何度か紹介していますが、あらためて簡単に紹介すると、
六体の地蔵菩薩を並べて祀ったもので、全ての生命は地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、
人道、天道を輪廻する(六道輪廻)とする思想に基づいて、六道のそれぞれを六種の地蔵
が救うとする説から生まれたものです。
その六地蔵とは、一般に、檀陀地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障地蔵、日光
地蔵とされています。




ここは地元では「和田のろくじょう」と呼ばれています。
「和田」はこの地の小字(こあざ)で、「ろくじょう」は「六地蔵が訛ったものです。


ブリキの説明板が置いてあります。
それによると、前列左が「勢至菩薩」、中央は「三界萬霊塔」、その右が「大日如来」、右端
が「如意輪観音」、そして後列左にある二基は「地蔵菩薩」、中央の背の高い石塔は「光明
真言塔」、右の二基は「地蔵菩薩」となっています。
「光明真言塔」には享保十三年(1728)の紀年銘があります。
「光明真言」はわずか23文字のお経です。
「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」
と唱えますが、「“進むべき道を無量の光をもって遍く照らし御導きください”と、大日如来に
お願いする」という意味です。
さて、ここには「地蔵菩薩」は四体しかありません。


実は、「六地蔵」は脇に立つ灯篭にありました。
六角形の火袋のそれぞれの角に一体ずつの地蔵菩薩が彫られています。
「六地蔵」とは、こちらのことのようです。
陽も傾いてきました。
もう一度「勝福寺」に戻って、観音様にお参りしてから帰ることにします。

晩秋の夕暮れ、山中の寺を訪れる人はありませんが、開け放たれた本堂は温かい光に
満たされていました。

※ 「龍岸院勝福寺」 成田市北須賀426-1