
「下総松崎駅」はJR成田線我孫子支線の駅で、成田の隣の駅です。
明治三十四年(1901)に当時の成田鉄道の「松崎駅」として開業し、大正九年(1920)
に日本国有鉄道となって「下総松崎駅」に改称されました。



ホームは2本、1番線は成田行き、2番線は我孫子方面行きで、跨線橋で連絡しています。
1番線の表示は、成田の他に乗り換えで行ける千葉と佐原とが書かれて、2番線の表示は、
隣駅の安食の他に、我孫子から一部直通で行ける上野やその先の品川、さらに反対方向
の水戸までが書かれています。



「下総松崎」と書いて「しもうさまんざき」と読みます。
でも、ローマ字表示では「しもーさまんざき」ですね。
ところで、成田線の我孫子支線にはこの下総松崎の他に、我孫子(あびこ)、安食(あじき)
などの難読駅があります。
この他支線には10の駅がありますが、新木(あらき)、布佐(ふさ)、木下(きおろし)などは
難読駅ではないものの、よく間違えられて呼ばれます。


ホームは12両編成が停車できるだけの長さがありますが、実際は10両編成までしか
運用されていませんので、停車位置表示は10両用のみです。

長いホームを安食方面の端まで行くと踏切が見えました。
駅舎を出て、付近を散策してみましょう。



駅舎を出ると、構内にはたくさんの実を付けた柿の木や、今や街中では見かけなくなった
公衆電話ボックスが目に入ります。

これが駅前のメインストリート(?)で、小さな商店が2軒あるだけです。

駅前の山は紅葉が始まっています。

ホームから見えた踏切に着きました。
「大竹踏切」と書かれています。


我孫子支線は駅の構内だけが複線で、あとは単線です。

踏切を渡るとすぐに墓地がありました。
柵も何も無く、細い道に沿って広がっています。




墓地から見える駅の跨線橋。


墓地の反対側を行くと、知る人ぞ知る和菓子の名店「大竹堂」があります。
周りに何もない、分かりにくい細道の奥という立地条件の悪い場所ですが、地元の人達
の他にも多くのファンがいるお店です。


目線の先に見えているのは、「松崎街道」の項で紹介した「成田街道踏切」です。


駅に向かって帰る道は「松崎街道」です。
左に上って行く道は「坂田ヶ池総合公園」や「房総のむら」へ向かっています。



木造平屋の駅舎は、こじんまりとして温かみが感じられ、最近めっきり数が減ってきた燕が
毎年巣を作るための場所をしっかり用意していたりします。


出札口には「営業時間 7:05~18:20」と書かれています。
この駅は、「JR千葉鉄道サービス株式会社」が駅の業務を受託している業務委託駅に
なっていますが、駅員は午前7時5分から午後6時20分の間のみ駐在し、それ以外の
時間は無人駅になります。
無人駅となる時間帯にこの駅から乗車する人は、「乗車証明書発行機」から乗車証明書
を取って入場する必要があります。
この「乗車証明書発行機」は、無人駅の「久住駅」にもありました。

穏やかな時間が流れる無人駅~「久住駅」 ☜ ここをクリック

遠くに北総線の高架が見えています。
成田線は北総線の成田湯川駅のホーム下をくぐって成田に向かいます。
成田で一番新しい駅、成田湯川駅 ☜ ここをクリック


我孫子行きの電車が2番線に入るとすぐに1番線に成田行きの電車が入ってきます。
我孫子支線には、日中は1時間に2本、通勤・通学時には3本の電車が走ります。


跨線橋の上からは、遠く印旛沼が望めます。


電車が行ってしまうと、ホームにも改札口にも人影が見えなくなります。
1990年から2003年までは900人以上あった一日平均の乗車人数(降車は含まず)は、
その後徐々に減少し、2014年の一日平均の乗車人数は722人となっています。

秋の日差しが暖かい、のんびりした「下総松崎駅」です。

※ 「下総松崎駅」 成田市大竹340