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sausalito

Author:sausalito
成田は新しいものと旧いものが混在する魅力的な街。歴史を秘めた神社やお寺。遠い昔から刻まれてきた人々の暮らし。そして世界中の航空機が離着陸する国際空港。そんな成田とその近郊の風物を、寺社を中心に紹介して行きます。

■ ■ ■

多くの、実に多くのお寺が、明治初期の神仏分離と廃仏毀釈によって消えて行きました。境内に辛うじて残った石仏は、首を落とされ、顔を削られて風雨に晒されています。神社もまた、過疎化による氏子の減少や、若者の神道への無関心から、祭事もままならなくなっています。お寺や神社の荒廃は、古より日本人の精神文化の土台となってきたものの荒廃に繋がっているような気がします。   石仏や石神の風化は止められないにしても、せめて記録に留めておきたい・・・、そんな気持ちから素人が無謀にも立ち上げたブログです。写真も解説も稚拙ですが、良い意味でも、悪い意味でも、かつての日本人の心を育んできた風景に想いを寄せていただくきっかけになれば幸いです。                             このブログでは、引用する著作物や碑文の文章について、漢字や文法的に疑問がある部分があってもそのまま記載しています。     また、大正以前の年号については漢数字でカッコ内に西暦を記すことにしています。         なお、神社仏閣に関する記事中には、用語等の間違いがあると思います。研究者ではない素人故の間違いと笑って済ませていただきたいのですが、できればご指摘いただけると助かります。また、コメントも遠慮なくいただきたいと思います。

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ちょっとしたスポット~430年以上前の建立「下福田稲荷」
【ちょっとしたスポット】

今回は下福田の山道で偶然見つけた「下福田稲荷神社」です。

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下福田稲荷ー1

大正二年(1913)に編さんされた「印旛郡誌」中にある「八生村誌」には、村内の神社に
ついてのの記述がありますが、その最後に「其の他の神社」として列記された数社の中に
この「稲荷神社」はありました。

「稲荷神社 下福田村字稲荷原 祭神・保食神 明治二年一一月一日再建 社殿・間口
三尺奥行三尺 境内坪数・五六一 氏子・三九戸」


「成田市史 中世・近世編」にある「成田市域の主な神社表」にも、下福田の「稲荷神社」の
ご祭神は「保食神」とあります。

「保食神(ウケモチノカミ)」は食物の神様で、長沼にある稲荷神社と成毛の稲荷神社が同じ
「保食神」をご祭神としています。


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*********** 下福田稲荷ー6
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*********** 下福田稲荷ー8

4基の御神燈の奥に流造りの社殿があります。
御神燈はいずれも平成19年の寄進です。


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この手水盤には「文化十一年甲戌正月吉日」と記されています。
文化十一年は西暦1814年ですから、200年前のものです。

「京屋」の文字が見えます。
その下に刻まれている文字は、「店商賣繁盛」「宰領道中安全」と読めます。
また、「願主 大野太郎左ェ門」とも記されています。
何の商いかは分かりませんが、「京屋」の主人の太郎左ェ門が、商売繁盛と商品の輸送の
安全を祈願して寄進したのでしょうか。


下福田稲荷ー9

平成19年7月に建立の「下福田稲荷神社 由来」の石碑。

『神体は「正一位稲荷大明神」もとは白い木製の狐であったが、戦後紛失し現在は幣束と
なっている。祭神は倉稲魂命(保食神)で由緒は未詳だが、数百年前村人が伊勢参りの
際、外宮の豊受大神宮にて倉稲魂命を参拝し、大神宮の神礼と帰途京都の伏見稲荷で
神体を受け、持ち帰って神社を建立したと伝承される。・・・』


文化二年(1805)、明治二年(1869)と再建が行われ、以降数回の改築を経て、平成
19年の社殿等の改築が行われました。


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「千葉県神社名鑑」(千葉県神社庁)には、ご祭神は「豐受姫大神(トヨウケヒメノオオカミ)」
と「倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)」と記載されています。
「印旛郡誌」にある「保食神」と、神社名鑑にある「倉稲魂神」、そして「豊受姫」は、いずれも
穀物・食物の神です。


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社殿の奥にあるこの祠は、何の神様をお祭りしているのかは分かりませんが、比較的
新しいもののようです。


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社殿の裏側から境内を見ています。
長い参道があって、その奥に社殿がある狭い境内があります。


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こじんまりした境内と細長い参道は、鬱蒼とした鎮守の森に守られています。
昔はこんな風景が日本中のどこにでもあったのでしょう。


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「古老の伝承によれば、伊勢の外宮様より御分霊を奉斎。天正九年兵火のため社宇を
焼失、稲葉藩主の寄進によって再建されたが、慶応年間再び野火により焼失、現在の
社殿は明治二年一一月一日創建された。往古は稲荷原に広大な社地を有した。」


「神社名鑑」には「下福田稲荷神社」についてこのように記されています。
天正九年は西暦1581年、織田信長が破竹の勢いであったころです。
430年以上も前に兵火によって焼失したとすれば、この神社が村人によって建立された
のはそれよりも前ということになります。

この神社は、成田安食バイパスを「房総のむら」に向かって進み、「八生大橋」バス停の
そばの細道を右に少し入ったところにあります。
鳥居が細道からさらに引っ込んだ場所にあり、まわりは鬱蒼とした森ですから、バイパス
からはこの「稲荷神社」は見えません。

目立たない小さな神社ですが、ここには長い歴史が漂っています。


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                ※ 「下福田稲荷神社」 成田市下福田1520




テーマ:千葉県 - ジャンル:地域情報

寺社 | 09:32:46 | トラックバック(0) | コメント(0)
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