
「善勝院」は八代にある真言宗豊山派のお寺で、山号は「大張山」。
ご本尊は「十一面観音菩薩」です。


創建年代等は定かではありませんが、元禄元年(1688)、澄賢和尚によって江戸時代の
初めの頃に焼失した本堂が再建されたことが分かっています。
その後も何度か火災に遭い、現在の本堂は昭和58年に再建されました。
推定400年近い歴史のあるお寺です。

本堂前に立つ空海(弘法大師)像は平成17年の建立です。
「南無遍照金剛」と刻まれています。

「百観音霊場巡拜結願記念」と刻まれた石碑。
南無観世音菩薩」の文字の左右に、西国霊場、秩父霊場、坂東霊場と記されています。
平成元年の建立です。

並んで立つ「弘法大師入定一、一五〇年御遠忌」「四國霊場巡拜結願記念」と刻まれた
この石碑は、昭和59年の建立です。

さらに、「四國霊場巡拜結願記念」と刻まれた、平成25年建立の石碑も並んでいます。
境内右手の崖下に並ぶ3基には、それぞれに巡拝年月日と巡拝者名が記されています。

地蔵堂の隣に立つ「戸井氏碑」。
千葉氏遺臣戸井四郎・・・と始まるこの顕彰碑は明治八年(1875)の建立です。
ここに記されている「戸井四郎」とは、干ばつに苦しむ八代の農民を救うため、農業用水路
の開発に尽くした人物で、千葉氏の遺臣・戸井四郎の孫である八代村の名主・戸井四郎
左衛門のことです。
全長約6.5キロの「万治掘」と呼ばれる用水路は、万治二年(1659)3月に完成し、近年、
土地改良事業が行われるまでの長い間、八代地区に恩恵をもたらしました。

昭和58年の「善勝院再建記念碑」。
「元禄年間澄賢和尚により創建・・・昭和26年、39年に祝融に会って灰燼に帰し・・・」
と記されています。
祝融とは聞き慣れない言葉ですが、中国の神話に出てくる火の神のことで、火災にあう事を
「祝融に遇う」とたとえる言い方があるようです。

大正二年(1913)の「千葉縣印旛郡誌」は、「善勝院」について次のように記述しています。
「八代村字谷津にあり眞言宗にして東勝寺末なり十一面勸世音を本尊とす由緒不詳堂宇
間口六間奥行五間三尺庫裡間口五間三尺奥行二間三尺境内二百三十一坪官有地第四種あり」
「檀徒三百六十六人を有し管轄廰まで八里十町とす境内佛堂三于あり即
一、地蔵堂 地蔵尊を本尊とす由緒不詳建物間口六尺奥行三尺
二、大師堂 弘法大師を本尊とす由緒不詳建物間口三尺奥行三尺
三、大師堂 弘法大師を本尊とす由緒不詳建物間口三尺奥行三尺 寺院明細帳」

大師堂。

地蔵堂。

本堂の屋根に「輪違い紋」が見えます。
この紋は、真言宗豊山派の宗紋です。
『「輪違わちがい」は仏さまと衆生しゅじょうは同じであり、異なることはない凡聖不二ぼんじょうふに
というおしえを基にしています。』 (真言宗豊山派ホームページ)

境内に入ってすぐ左手に墓地があり、寛文、享保、文政、天保、弘化等の年号が読めます。


びっしりと古い墓石が並ぶ無縁塚。


「善勝院」の入口からすぐ右に登る石段があり、少し登ると鳥居が建っています。
控柱の付いた立派な台輪鳥居です。
脇にある手水盤は天保六年(1835)のものです。


長く急な石段を登ると、境内が広がります。
「村社稲荷神社 八代字時田にあり蒼稲魂命を祭る神位正一位寛政十一年未年贈位社殿
間口三間奥行三間境内三百坪官有地第一種」
「印旛郡誌」には「稲荷神社」についてこう書かれています。
「蒼稲魂命(ウカノミタマノミコト)」は穀物・食物の神で、「日本書紀」では倉稲魂命、「古事記」
では宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)と表記します。
「伏見稲荷大社」の主祭神で、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されています。
正一位を贈られた寛政十一年は、西暦1799年になります。




流造りの本殿は、小さいながらもどっしりとした重量感があります。
キツネの狛犬は拝殿の前ではなく、本殿の前に並んでいます。

「疱瘡神社」。
疱瘡神(ホウソウシン)は疱瘡(天然痘)を擬神化した悪神で、疫病神の一種ですが、これを
鎮め、治癒と流行の防止を祈願して祀られています。




境内の奥に鳥居とお堂があります。
鳥居は笠木が円柱で貫が角柱の靖国鳥居です。
お堂の中には古い神輿と、色鮮やかな新しい神輿がありました。


境内の外れに小さな五角柱がありました。
「地神碑」と呼ばれ、神々に五穀豊穣を祈願するためのものです。
それぞれの面に、「大己貴命(オオムナチノミコト)、少彦名命(スクナヒコノミコト)、植安媛命
(ハニヤスヒメノミコト)、倉稲神命(ウカノミタマノミコト)、天照大神(アマテラスオオミカミ)と
刻まれています。
何れも農業に深い関わりを持つ神々です。

上部が欠けて「・・記念」とのみ読めるたこの石碑には、「公津村八代區歓迎會」と記され、
「・・■十九年四月廿八日建立」と刻まれています。
公津村は昭和29年3月31日に成田町、八生村、中郷村、久住村、豊住村、遠山村と合併
して成田市となりましたので、この碑は昭和29年建立の合併記念碑ですね。

石段を下りて「善勝院」の境内に戻ります。


「善勝院」と「稲荷神社」は、以前訪れた山口の「證明寺」と「稲荷神社」のように、寺社が並立
する信仰の空間を持っています。
日本人が昔からそうであったように、“お寺にお参りしたついでに神社にも・・・”、”神様・仏様”
といったような、“ゆるい信仰の場”が私は好きです。
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※ 「大張山善勝院」 成田市八代805