
三里塚交差点では、県道62号線と106号線が交差しています。
これでは何んとも味気がありませんね。
言い方を変えましょう。
多古街道と三里塚街道が交わるのが三里塚交差点です。

長い年月が表面を削った道標が交差点の傍に立っています。
道路に向かう南面には、「志バ山・九十九り」と何んとか読めました。

西側の面には、「○こ○(禰こ奈―案内板による)・さくら・江戸」、
北側には、「なりた・なめ川、」
東側には、「加茂・○○(多古)・てうし」
と彫られています。
今風の言い方ですと、「芝山・九十九里」「根木名(現富里)・佐倉・東京」
「成田・滑川」「加茂(現芝山)・多古・銚子」となります。
この交差点が昔からの交通の要衝だったことがわかります。
三里塚の“三里”とはどこからの三里でしょうか?
諸説ありますが、私は多古町の日本寺(にちほんじ)を起点として、
江戸までの道の三里目という説に一番説得力があると思います。
日本寺は中村檀林と呼ばれる日蓮宗の学問所があった由緒あるお寺で、
そこから一里目が染井(多古町)、二里目は加茂(芝山町)という説です。
そして、四里目は三里塚街道沿いの遠山(成田市)の法華塚になります。
江戸までに17カ所あったと言われています。

交差点の一角に浅間神社があります。
飾り気のない神社の前にある説明板はペンキがはげ落ちてよく読めません。
なんとか富士山信仰と浅間神社についての解説と、
明治19年に建之されたらしいことが読み取れました。
道標は、この浅間神社に隣接する駐車場の入り口近くにあります。

さて、三里塚と言う以上、どこかに“塚”があるはずです。
浅間神社の境内から四方を眺め渡してもそれらしいものは見当たりません。
ちょっと気になる景色がありました。
神社に隣接する公園の先に一段と高い2本の杉の木が見えます。
ちょっと離れていますが、とりあえず行ってみましょう。

杉の木を目指して裏道を2度ほど曲がると、
駐車場の角に「三里塚の地名のもとになったという塚0.1Km」と書かれた
小さな案内板がありました。

0.1Kmなんてありません。
目と鼻の先、ほんの20メートルほどのところに“塚”はありました。
でも、民家の庭先みたいなところです。
路地とも言えない狭いところを、恐る恐る進みます。

これが、“三里塚”です。
保存状態が悪く、残念ながら往時の面影はありません。
住宅に囲まれて、僅かに残る“塚”らしきものを
2本の杉が懸命に守っているように思えます。
“三里塚”という地名が、昔から旅人や荷物が行き交う、
歴史ある交通の要衝として記憶されるのではなく、
「空港反対闘争」の象徴的な地名として記憶されるのは、
こうした史跡の扱い方にも原因があると思えるのは私だけでしょうか?

交差点の角にはJRバスの停留所があります。
結構広い敷地に専用のスペースをとっています。
バスの先に見えるのはドライバーの待機所です。
多くのバスは三里塚が終点となりますが、一部は多古や八日市場まで走ります。

看板を見ると、「三里塚駅」と書いてあります。
ここは昔軽便鉄道が走っていた名残で、以前はまさに駅の待合室のような
停留所の“建物”が建っていました。
(軽便鉄道については別の機会に詳しく書く予定です)
まだ駅の名残の建物があった40年ほど前に、ここを通勤路にしていた私には、
この“駅”で時間待ちをするのんびりした時間が、とても好きでした。

交差点から62号線を芝山方向に進み、最初の信号を左折すると
正面に、天満天神社の鳥居が見えます。
遊具が見えるのは境内が保育園になっているからです。

遊具に旅客機があるのも、如何にも空港に近い三里塚の保育園ですね。

由緒のありそうな名前のお社ですが、説明板はどこにもありません。

破風板の先端が縦切りになっているので、ご祭神は男神様だと思うのですが・・・
(名前から推察すれば、多分菅原道真公だと思います)


来た道を戻る途中、62号線に出る手前の道を左に曲がると
面白い景色が広がります。
高い壁に囲まれた中は空港関係の施設ですが、
その壁に約100メートルにわたって壁画が描かれています。
三里塚の今と昔をテーマにした絵が並んでいます。
人通りの無い裏道ですが、ホッとする風景です。

壁画の反対側にあるガレージを見て驚きました。
柱に小さく「旧御料牧場厩舎」と書いた木札が掛っています。
“こんなところに残されていたのか”といううれしい思いと、
“ガレージになってしまったのか”という寂しい思いが交差します。

ガレージの隣は子安神社です。
案内板に「埴生郡駒井野村三里塚 明治15年建之」とあります。

お社の前に杉の大木が立っています。
人家に囲まれた一角ですが、木々の緑が
静かな空間を作っていました。
三里塚街道は時代の流れで大きく変わってしまいました。
昔から交通量の多い街道だったようですが、
近年の空港建設・開港により特に大きく変貌してきました。
でも、その中で道標や塚や寺や神社が、かろうじて息をひそめて生き残っています。
自然との調和、環境への配慮を十分にした開発を行い、
開発の波が“歴史”を消し去ることのないように願っています。
※三里塚交差点
JR成田駅東口からバスで約25分。
以前紹介した三里塚記念公園はバス停から徒歩3分。