三里塚街道を大清水から三里塚に向かって進みます。

三里塚街道を走るJRバスのほぼ中間点、大清水バス停からスタートします。
バス停から法華塚方向にちょっと戻ると
左に下る小さな坂があり、清水神社が見えます。
道から見ると目線に鳥居がかかります。

小さなお社で何の飾りもありません。
最近建て直された手水舎だけが目立ちます。

脇の坂を10歩も下れば「弘法の清水」があります。
昔、この地に住む一人の老人が、水を所望する旅の僧侶のために
遠くまで水を汲みに行って飲ませたところ、
「この坂の下を掘れば清水が湧く」と伝えて去って行ったので、
翌日そこを掘ってみたところ、本当に清水が湧き出し、
近隣の住民は大いに助かったという言い伝えです。
後にこの僧侶は弘法大師だと知り、「弘法の清水」と名付けられました。

今は井戸には蓋がされ、ポンプが取り付けられて少々味気ない景色ですが、
安全のためには仕方ないでしょうね。
手前の池にはメダカがたくさん元気良く泳いでいました。

バス停を三里塚に向って1つ歩き、宮下のバス停の手前を右折します。
100メートルほどで右手に「星神社」が見えてきます。
街道をちょっと入っただけで、車の往来は無く、とても静かです。

星神社なんてなかなかロマンチックな名前ですね。
延喜年間に千葉城の鎮守として駒井野に創杞されましたが、
ここも近隣の多くの寺社と同様に空港事業の関係で
平成5年にこの地に遷座されました。


本殿の左奥には熊野神社、手前には天神社、子安神社、稲荷神社が合祀されています。

裏手の一隅にお不動様がありました。
うつむいているようなお姿はめずらしい気がします。
台座の裏に天保十四年という文字が読めます。
※この石仏は庚申信仰の「青面金剛」像でした。(「お不動様」は間違い) 2016/07/09 記

星神社の左手の坂を下ると高福寺が見えます。
天台宗のお寺です。


お地蔵様の台座には宝暦三年と彫られています。
寺の由来を知る手掛かりは無く、谷間に静かに佇んでいます。

何も書いてありませんが、用事があれば鐘を鳴らせということでしょうか。

来た道を引き返し、さらに街道をバス停1つ歩くと三里塚小学校があります。

明治24年の開校という歴史ある学校で、
正門は津田沼鉄道大隊の兵舎の門であったものを移設しました。


広い校庭の周囲はうっそうとした木々に囲まれ(ここも校庭の中です)、
こんな環境で勉強し、遊べる子供たちはうらやましいかぎりです。

交通量の多い三里塚街道ですが、
標識がなければここが昔からの街道だとは気付かないでしょう。
右奥に見えるこんもりとした木々は三里塚小学校の校庭の林です。

小学校の正門前からは三里塚記念公園の森が見えます。
前に紹介してからさほど時間は経っていませんが、トチノキ並木は
新緑のアーチとなって、大きな日陰を作っていました。
夏の散歩は涼しそうです。
三里塚はもう目の前です。
※次回は三里塚の近辺を散策します。
コメント、ありがとうございます。
だいぶ前の記事ですが、お目に止めていただいてとても嬉しいです。
足を悪くして最近はほとんど取材に歩くことができず、記事のアップ
も滞りがちですが、なんとか頑張っています。
よろしければ時々覗いてみてください。