
「成田市史近代編史料集一」にある下総國下埴生郡赤荻村誌(明治36年)には、
『寺号善福寺、宗派天台宗 寺格七等、村内西和泉城固寺末寺、創建不詳、開基住覚師。』
とあります。
六つの末寺を持っていた西和泉の城固寺の末寺としても、現在唯一残っているお寺です。
城固寺の末寺には、この「善福寺」の他に、西和泉の「守泉寺」、赤荻の「吉祥院」、水掛の
「正寿院」、芦田の「安養寺」、同じく芦田の「証明寺」がありました。
「吉祥院」が弘化四年(1847)に火災に遭って以降再建されなかったことを除き、いずれも
明治初頭に廃寺となっています。
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本堂に向かう石段の前には畑が広がり、その中に取り残されたような墓地があります。

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傾き、倒れ、風化した古い墓石には、貞享、正徳、元文、安永、文化等の年号が見えます。

小道を挟んだ墓地の手前に、記念碑が建っています。
「稲荷山・善福寺・弁天池跡」と記し、地域の事情から池を埋め、防火槽を設置するにあたり、
池の主に、“これまでの恵を感謝し、やむを得ず埋め立てる人々の詫びる心を受け入れて、
これからもお護りください”という趣旨のこの碑文は、自然を敬い大切にしてきた日本人の
心根を見るような気がします。
“自然界のあらゆる所に神が宿る”という昔からの素朴な庶民信仰は、大切に伝え続けて
行きたい素晴らしいものだと思います。
ところで、この池の主は埋められてしまったこの場所に、今も留まっているのでしょうか?

この銀杏の古木は、弁天池を知っています。
根元が池のほとりだったはずです。



池は姿を消し、コンクリートの防火槽と砂利が敷かれた空き地になっています。
空き地を巡る小道は昔からの道のようですから、「弁天池」はせいぜい20メートル四方の
小さな池だったと思われます。
ここ赤荻の地で没した幕末の剣豪、富士浅間流の中村一心斎と、この池にまつわる話が、
「成田 寺と町まちの歴史」(小倉 博著)に紹介されています。
一心斎は当代随一の剣豪と謳われ、一方ではその破天荒な言動でも知られる人物です。
乗っていた船が難破し、外国船に助けられて二年ほどアメリカに渡っていたと吹聴したり、
水野忠邦、勝海舟、千葉周作、斎藤弥九郎、二宮尊徳等、時代の著名人との交流などは、
高橋三千綱氏の「剣聖一心斎」シリーズで(史実か否かはともかく)良く知られています。
流派の普及のため諸国を巡り、晩年は木更津や九十九里に逗留した後、赤荻で安政元年
(1854)にこの世を去りました。
『村の天台宗善福寺に葬られ、門人たちによって墓石が建立されたが、その後若者の
いたずらなどにより、墓石は寺の門前の小池に沈められたという。』 (P259)
この池が埋められた時、一心斎の墓石は掬い上げられたのでしょうか?
一心斎の墓は木更津の「成就寺」にもありますが、これは弟子たちが善福寺より分骨して
建立したのもと伝えられています。


『善福寺は阿弥陀如来が本尊で、稲荷山と号している。安政三年当時、村内に一六軒の
檀家を有し、持高は四石七斗一升である。境内一畝六歩が除地で、鎮守稲荷大明神宮や
天狗宮を支配していた。』
『本堂は文化年間(一八○四~一八一八)の建立になる。』
(「成田市史 中世・近世編」 P783)
200年前の本堂はもうありません。
市史が編さんされたのが1988年ですから、現在の本堂はここ二十年くらいの間に建て替え
られたもののようです。
ほんの一部、窓越しに見える内部の様子からは、生活感が感じられる本堂ですが、声をかけ
ても返事はありませんでした。





境内には4つのお小堂が並んでいます。
右端のお堂には「観音堂」と書かれていますが、並んでいる他の三つのお堂には
何も書かれていません。
一番左の新しい鞘堂に入っているのが「稲荷大明神」でしょうか。
中の二つは「地蔵堂」のようです。

石段の下に残る桜の古木。
この桜は、埋め立てられた池のほとりに立つ銀杏とともに、かつての「善福寺」を見て
いるはずです。
明治27年(1894)ごろには、「善福寺」の境内に中郷小学校の仮校舎があり、近隣に
元気な子どもの声が響いていました。


石段と墓地の間の小さな畑でキジバトが何かを突いていました。
近づくとちょっとさがって距離を置きますが、あまり人を恐がっていないようです。
普段はひとけの無い場所だからでしょうか。


「成田の地名と歴史」によれば、天保九年(1838)の赤荻村の戸数は34戸、人口は174人
という記録が残っています。
昭和36年(1961)には人口は316人でしたが、平成22年には228人へと減少しています。
多くのお寺と同様、「善福寺」も地域の過疎化の影響を受けているのでしょうか。


前回ここを訪ねたのは4月の末でした。
この2枚の写真は5月末のものです。
1ヶ月経った今、石段も境内も、すっかり雑草に覆われていました。
一部のお寺を除き、大部分のお寺は、維持して行くのも難しいのが現実のようです。

※ 「稲荷山善福寺」 成田市赤荻1162