前回訪ねた「奥宮」や「祖霊社」がある道は旧表参道ですが、今回は旧参道を利根川方向に
寄り道してみましょう。

さて、この大きな木製の大鳥居は何でしょう?
向こう側は利根川、手前は堤防です。
あたりに神社は見当たりません。

この辺りは津宮河岸(つのみやかし)と呼ばれています。
この「常夜燈」は明和六年(1769年)の紀年銘があり、水運が盛んだった頃に一種の燈台
のような役目をはたしていたようです。

「常夜燈」の隣にある与謝野晶子の句碑。
「かきつはた 香取の神の 津の宮の 宿屋に上る 板の仮橋」
晶子が明治44年にこの地を訪れた時に詠んだ句で、平成2年にここに設置されました。


目の前には利根川下流のゆったりした流れが広がっています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


利根川に向かって建つ「浜鳥居」。
この鳥居はご祭神がここから上陸したことに由来すると伝えられていて、朝廷からの奉幣使
が鹿島神宮から香取神宮に向かう時、海を渡ってここに上陸して香取神宮へと向かうのが
習わしであったそうです。
鳥居は高い土手の河原側に建っていて、土手の内陸側を走る利根水郷ライン(国道356号)
からは、その上部がチラリと見えるだけです。
平成14年に香取神宮のご用材を使って建て直されたものです。
ここでは12年に一度、式年神幸祭が行われます。
神幸祭を始め香取神宮は非常に祭事の多い神社としても知られています。
その祭事を追いかけていると、どんどん脇道にそれて行きそうなので、いずれ機会があったら
紹介したいと思います。

「香取神宮」は延喜式の式内社で、下総の一の宮です。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社となっています。
また、全国に16社しかない「勅祭社」(祭礼に際して天皇より勅使が遣わされる神社)
でもあります。
ここからが前回の続きです。
大きな石灯籠の続く参道をしばらく進むと、左手に神池が見えてきます。
この池は昭和53年に式年大祭の記念事業として造られ、昭和55年10月に完成しました。


この日は雨あがりだったので水面は濁っていました。
小さな滝がこの池に水を流し込んでいます。


滝の上に登ってみると、壊れた石灯籠が無造作に積み上げられていました。
後方に見える道は、前回紹介した津宮の「浜鳥居」から「奥宮」や「祖霊社」を通ってくる
昔の表参道です。


三の鳥居の右手前には「神徳館」があります。
旧宮司邸跡に昭和36年に建てられましたが、その茅葺の門は天明元年(1781年)に
造営されたもので、勅使門でした。(現在補修中)
この「神徳館」の敷地内には、末社の「壐神社(おしでじんじゃ)」と、「大山衹神社(おおやま
づみじんじゃ)」があります。
二社とも急斜面にあって、側まで行くのは大変です。
「壐」とは、御印(みしるし)という意味で、国王の印のことを指す言葉です。
また、三種の神器の一つである八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を指す言葉でもあります。
ご祭神に関する記述が見当たりませんが、この神社の持つ意味は何となく分かります。
「大山衹神社」のご祭神は「大山衹命(おおやまづみのみこと)です。
壐神社


壐神社から見た神徳館


目の前にコンクリート製の「三の鳥居」と「総門」が見えてきました。
鳥居は平成10年の建立で、「天皇陛下御即位拾年」と記されています。
手前には堂々たる狛犬が・・・。





大きく立派な「総門」をくぐると、いよいよ本宮の境内です。

総門をくぐると左手に大きな手水舎があります。
参拝に際しては、まずここで手、口を清めて本殿へと向かいます。

手水舎の脇にある「海抜百三十尺」の碑。
大正12年に「大阪探勝わらぢ會建立」と記されています。
130尺は約39メートルということになりますが、調べるとこの辺りの標高は38メートル
ですので、ほぼ正確な値ですね。
手水舎のさらに左側に木柵に囲まれた一角が見えます。

末社の「市神社(いちがみしゃ)」と「天降神社(あまくだりじんじゃ)」。
ご祭神は「市神社」が「事代主神(ことしろぬしのかみ)」です。
合祀されている「天降神社」のご祭神は、「伊伎志爾保神(いきしにほのかみ)」と鑰守神
(かぎもりのかみ)」です。
「天降神社」は以前は境内の東側の外れで、「諏訪神社」と並んでいました。

隣に並んで建っているのは、同じく末社の「馬場殿神社(ばばどのじんじゃ)」で、ご祭神は
「建速須佐之命(たけはやすさのおのみこと)」です。

「木母杉」。
「貞享元年水戸光圀参宮の折四丈五尺余の老杉であるのを見て此の宮地の数多の杉の
母であろうと名付た 此の杉は今は枯れて寄生した椎樹のみが残る」
説明の木札にはこう書かれています。
さらに、「香取神宮小史」には、この木母杉の項で、黄門さまが参詣する以前の様子を、
「太古宮地は皆槻の木であったが、その後竹林となり、更に杉林となったと云ふ。」
と書いています。
なかなか拝殿・本殿まで進めません。
次回は香取神宮の象徴的な建造物である「楼門」をくぐり、拝殿・本殿へと進みます。