
「節分」は雑節の一つで、立春・立夏・立秋・立冬の前日のことです。
季節の終わりの日ということになります。
江戸時代頃から、立春の前日のみが「節分」と言われるようになりましたが、本来は年4回
の「節分」があったわけです。
季節の変わり目には邪気(邪鬼)が出ると考えられていて、これを追い払う儀式が行われます。

豆撒きが始まる1時間も前から、お坊さんが節分の由来や本日の手順などを説明しています。
今日の特別ゲストの名前を読み上げると、どよめきが広がりました。
大相撲の横綱白鵬、大関稀勢の里、前頭隠岐の海、前頭遠藤の四力士、NHK大河ドラマの
出演者の井上真央、東出昌大、伊勢谷友介、優香、長塚京三の計9名が地元有力者や
年男らとともに豆を撒きます。


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大本堂の階段の上には祭壇が設けられ、震災で被災した陸前高田市の杉で作られた
大きな「勝御守」が置かれています。
下は御札売り場で500円で売られている御守り札です。
500円の内の100円が陸前高田市に寄付されます。



境内は人でいっぱいです。
大本堂の階段から香堂に向かって、芝居の花道のように舞台が造られています。
舞台に近い場所にいる人たちは豆を撒く力士や芸能人が良く見え、豆もキャッチできる
でしょうが、身動きできないくらい窮屈そうです。
舞台から遠い人は力士や芸能人は良く見えないでしょうし、豆も届かなそうです。

機動隊員も大勢出て警備にあたっています。

横綱 白鵬

大関 稀勢の里

前頭 隠岐の海

前頭 遠藤
大相撲の力士たちが階段の上に並びました。
さすがに大きな体です。


NHK大河ドラマの出演者たちも記念撮影のために並び始めました。
見物客からは時折黄色い声援が湧き起こります。


豆撒きに参加する年男(女)の皆さんも参加しての記念撮影が始まりました。
こうしてみても大相撲の力士たちは頭一つ二つ抜きん出ています。
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お坊さんの吹く法螺貝の先導で大僧正が登場します。

記念撮影の後、本堂内での読経が始まります。
三重塔、一切経堂、鐘楼の前にも大勢の人が集まっていますが、ほんのひと時
スピーカーから流れる読経に聞き入って、動きが止まっています。

この豆撒きは「震災に勝つ!福は内!」と叫びながら行う、「特別追儺豆まき式」です。
この式の他に、年男(女)の皆さんが本堂内のお不動様の前で豆を撒く「開運豆まき」も
行われています。
成田山では「鬼は外!」とは唱えません。
御本尊の不動明王の前では、鬼も改心ししてひれ伏すからだそうです。
この日、撒かれる大豆は860キロ、殻付の落花生が400キロです。
その他にこの日のために用意された「節分會福御守」(剣守)が1095枚(1年の日数の365×
3回の豆まき式)撒かれます。
節分の行事は平安時代の追儺(ついな)が始まりだと言われています。
宮中で大晦日に行われていた「鬼やらい」が変化し、民間に伝わったのでしょう。
宇多天皇の時代に、鞍馬山の鬼が都に下りてきて悪さをするので、豆で目を打って
追い払ったという伝説が残っていますが、このころから豆撒きが始まったようです。


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大きな手で豪快に撒く力士の枡の中はみるみる空になって行きますが、役者さんたちの
枡にはまだ沢山の豆や剣守が残っています。
憮然とした表情の二人


突然警官の吹く笛で豆撒きが中断されたのです。
誰かが落ちた豆を拾おうとしゃがんだようです。
警備の警官からは倒れたように見えるのでしょう、繰り返し「途中でしゃがまないでください」と
注意がアナウンスされて再開です。



警官の制止もなんのその、湧きあがる歓声と押し合いへしあいの中、豆撒きは終わりました。


次の回に備えて早くも陣取りをする人、御参りを済ませて帰路につく人・・・。
ざわついた境内に豆撒きの余韻が残ります。

撒かれた豆と剣守
ここ30年以上は2月4日が立春で、節分は2月3日でした。
難しいことは分かりませんが、立春は地球が天球上の黄経315°の点を通過する時
なのだそうです。
天体の動きによって決まっているのならば、多少の変動は当然あるわけです。
1980年や1984年は2月4日(立春は2月5日)でしたし、東京オリンピックの翌年の
2021年は2月2日になります。
立春をはじめとする二十四節気、そして節分や彼岸、社日、八十八夜、入梅、半夏生、
土用、二百十日、二百二十日の九雑節など、日本人は微妙な季節の移り変わりを敏感
に感じて暮らしてきました。
でも、最近の地球温暖化と異常気象のせいか、季節感がなくなってきたように思われます。
それぞれにささやかな祭事があったはずですが、その多くは忘れられてしまいました。
「節分」は生き残っている数少ない祭事ですが、なんとか後世に伝えて行きたいものです。