
この駅の周辺路線の運営は非常に複雑で、成田湯川駅と両隣の印旛日本医大駅と
空港第2ビル駅との間は第3セクターの成田高速鉄道アクセス株式会社のもので、
運用は京成電鉄が行っています。
成田高速鉄道株式会社の大株主は成田空港株式会社で54.5%の株を保有しています。
京成高砂駅から成田空港に至る路線は、一般にスカイアクセス線とか北総線とか呼ばれ
ていますが、正式には次のようになっています。
京成高砂駅~小室駅間は、第1種鉄道事業者の北総鉄道株式会社が、小室駅~印旛
日本医大駅間は、第3種鉄道事業者の千葉ニュータウン鉄道株式会社が、そして、印旛
日本医大駅~成田空港高速鉄道線接続点(土屋のイオンモール付近)間は、第3種鉄道
事業者の成田高速鉄道アクセス株式会社が、さらに成田高速鉄道アクセス線接続点~
成田空港駅間は、第3種鉄道事業者の成田空港高速鉄道株式会社(アクセス(株)とは
別会社)が保有するという複雑さです。
成田高速鉄道の路線は京成成田駅から成田空港までですが、イオンモール付近で成田
高速アクセス線と合流しています。
この路線の運賃の高さは、この辺が影響しているのでしょう。


少し離れた山の上からこの駅を見ると、電車が3階部分に止まっているのが見えます。


改札口に人影はありません。

1階のコンコースには淡い色彩の大きなステンドグラス。
駅舎としては珍しい演出です。

2階へはエスカレータとエレベーターで。
階段で登るにはいささか・・・。

2階もとても広いコンコースです。
ちょっとしたイベントが開けそうです。


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ホーム階へのエスカレーターもこの長さです。
ここはエレベーターで上りました。

空港行きのホームです。
乗客は1人もいません。
この先は空港第2ターミナルと成田空港駅の2駅のみです。
ホームの待合室




ふと外を見ると100メートルほど先で何やら工事が行われています。
トンネルを掘っているように見えますが、良く見ると踏切がありました。
仮設の踏切のようで、下の細い道から木組みの階段が設けられています。
工事の上は線路のようです。
と、すると、この工事はトンネルではなく、線路をくぐるガード工事ですね。
線路はJR成田線でしょうか?


いったん2階のコンコースに降りて、高砂、上野方面のホームに出ました。
ちょうど電車が入ってきました。
乗車した人が10名程度、降車した人はいません。
この駅の2013年度の1日あたりの乗降者数は1284人でした。
この電車は羽田空港行きでした。
成田空港高速鉄道線~成田空港高速アクセス線~千葉ニュータウン鉄道線~北総鉄道線
~京成電鉄本線~京成押上線~都営地下鉄浅草線~京浜急行本線~京浜急行羽田線と
串刺しにして走って行くわけです。


ホームから見える景色は成田ニュータウンの北の外れで、まだ開発は進んでいません。
遠くにニュータウンのランドマーク、NTTの鉄塔が見えます。

いきなり背中をスカイライナーが通過して行きました。
この駅は線路が4本あって、高速で通過するスカイライナーのためにホームの間に上下2本
の通過線が設置されています。
高砂方向からは複線ですが、この駅から空港へ向かっては単線になります。
複線から単線へ、しかも高速の電車が通過するポイントは、大変な負荷がかかります。
ここに使われている分岐器は、日本最大級の38番分岐器です。
(本線と分岐線が1メートル離れるまでに必要なレールの長さを番数で表します。 例えば、
20メートル進んで1メートル離れるのなら、20番となります。 つまり、この駅の先では
38メートル進んで1メートル離れるわけです。)
この駅を通過するスカイライナーは時速160キロ程度ですから、相当長い距離を使う必要
があるのですね。

ホームから下を覗くと線路が見えます。
この駅の下を潜っています。
間違いなくJR成田線で、先ほどのガード工事の場所に続いているのです。


改札を出て駅前のロータリーに出ました。
駐輪場の上を成田線の電車が通過して行きます。
こんな近くで交差しているのなら、JRもここに駅を作れば便利になるのに・・・と、誰もが
思うのですが、JRにしてみれば、我孫子方面から空港に向かう乗客を取られる心配が
あり、また現在のような利用客数では魅力がないのでしょう。



駅前のロータリーを出たところに「千波が池(千把ヶ池)跡」の碑があります。
このお地蔵様の前にはかつて千把ヶ池という幅90メートル深さが1メートルの池があり、
辺り一面萱原だったそうです。
ここには、「地主が子守に娘を背負わせたまま、萱を千把刈り取るように命じたところ、
千把目を刈り取った時に背負った娘の首が落ちてしまった」という、何ともやるせない
物語が残っています。
中央のお地蔵さまはその供養のため建てられたのでしょうか。
文化十一年(1814年)と記されています。
左の「廿三夜供養塔」には明和七年(1770年)、右の「奉讀普門品一萬巻供養塔」には
文政十三年(1830年)と記されています。

開業前の仮駅名は「成田ニュータウン北」でした。
ここから出るバスはニュータウンを横断してJR成田駅へ向かいます。
ニュータウンの拡大とともに、ホームに乗客が溢れる日は来るのでしょうか?
※ 「成田湯川駅」 成田市松崎1620-1
隣の駅は空港第2ビルと印旛日本医大駅