
珍しい名前の神社ですが、創建年代やご祭神の記述がなかなか見つかりません。(※)
同じ名前の神社が栃木の日光にあり、ご祭神は磐裂命と根裂命の二柱とありますし、
同じく栃木県の下都賀郡壬生町にある「磐裂根裂神社」のご祭神も同様なので、
多分ここの「磐裂神社」のご祭神も「磐裂命」「根裂命」の二柱だと思われます。
「イワサク(イハサク)・ネサクは、日本神話に登場する神である。
『古事記』では石析神・根析神、『日本書紀』では磐裂神・根裂神と表記される。
『古事記』の神産みの段でイザナギが十拳剣で、妻のイザナミの死因となった
火神カグツチの首を斬ったとき、剣の先についた血が岩について化生した神で、
その次に石筒之男神(磐筒男神)が化生している。」
(ウィキペディア「イワサク・ネサク」の項より)
(※「成田の地名と歴史」にはご祭神を磐裂神とし、松子城主の大須賀氏が城の
鬼門除けのために、伊勢国の朝熊山から勧請した、という記述がありました。)

道端のちょっと引っ込んだところに急階段があり、その上に鳥居が建っています。
坂道の途中なので、下を向いて歩いていると見落としてしまいそうです。

階段の上の鳥居の脇に「大願成就」と記した昭和20年1月の石碑が建っています。
右上の部分が欠けていて、何の大願成就なのかは分かりませんが、敗色濃い戦争
末期のころに、どんな「大願」があったのか、想像もできません。


質素な拝殿ですが、2月に行われる神事の「奈土のおびしゃ」(後述)が行われる場所です。
神額は陸軍大将林銑十郎の筆になるものです。
林銑十郎は石川県金沢の出身で陸軍大学校長、近衛師団長等を歴任し、昭和12年に
内閣総理大臣となった人物。
林と奈土というこの土地、この神社とのつながりはどんなものだったのでしょう?
林が陸軍大将になったのは昭和7年、12年2月初めには総理大臣になっていますから、
昭和7年~11年の間に書かれたことになります。



本殿は小振りながらなかなか質感のある造りで、千木は垂直切り、鰹木は3本で、
ご祭神が男神であることを示しています。


風化で良く読めませんが、皇太子・・・と記されていますので、今上天皇の誕生(昭和8年
12月23日)を祝賀して寄進されたのでしょう。

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拝殿右手の天王社と手水舎。
天王社は牛頭天王・素戔男尊をご祭神としています。

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狛犬の台座は昭和48年に寄進されていますが、狛犬はもっと古い年代のもののようです。
この神社には境内のあちこちに合祀された神社の小さな祠があります。

拝殿の左側にある「阿夫利神社」

本殿左手にある奥から天満宮、淡島神社、月山神社
天満宮は文政十二年(1829年)と記されています。

疱瘡神社
文化五年(1808年)と記されています。

金毘羅大権現

稲荷大明神
さて、聞き慣れない「おびしゃ」について説明しましょう。
歩射、奉社、備社などとも書かれ、昔から村人が集まって五穀豊穣や家内安全、子孫繁栄、
悪疫退散などを祈願する、正月行事が起源です。
「奈土のおびしゃ(御武射)」は、「磐裂神社」で約150年前から行われてきた祭礼で、
毎年2月13日に行われてきましたが、近年はその前後の日曜日に行われるようです。
珍しい行事ですので、進行について大栄町史編纂委員会編の「大栄町史・民俗編」から要約
して説明してみます。(大栄町は平成の大合併により現在は成田市になっています)
まず、「おびしゃ」の2日前に当番(官主と言います)とハタラキと呼ばれる女性が、各戸から
儀式に使うもち米を5合ずつ集めてまわります。
前日には官主の使いが「明日、御神酒あげとうございますので、おこしください」と各戸を
ふれてまわります。
当日は午前中に磐裂神社の神殿にて、地域の各班持ち回りの新旧官主、区長、組長など
の役員が集まって神事を行い、その後現官主の家で祭礼が行われます。
酒がふるまわれ、庭先では獅子舞が奉納されます。


奈土のおびしゃ(成田市観光プロモーション課提供) ⇒
最後に旧官主が新官主の衿に「御幣の依り代(ごへいのよりしろ)」を差し込みます。
「御幣」とは神事に用いられる2本の紙垂れを竹や木の幣串に挟んだもので、「依り代」とは
神様が依り付くものという意味です。
これ以降は新官主は自宅に戻るまで一切しゃべってはいけない決まりがあります。
その後近くの三叉路の路上で新官主と旧官主が盃を交わして、神様が新官主の班に移り、
儀式が終わります。
「おびしゃ」と呼ばれる行事は北総の各地に見られますが、古くからの形式を守っている
「奈土のおびしゃ」は珍しく、県の無形民俗文化財に指定されています。

境内からやや離れた道端に道祖神と思われる小さな石碑が立っています。
かろうじて「南 いのう たこ」と読めます。
道祖神が向かっている方角が違いますから、どこからか移設されたのでしょう。


普段は訪れる人も無い磐裂神社。
近隣では「虚空蔵様(こくうぞうさま)」とも呼ばれていて、奈土の人々は「虚空蔵様の使い」
とされるウナギを決して食べないそうです。
成田山はウナギが名物の一つですが、奈土の皆さんはどう思っているのでしょう?
奈土を離れれば食べても良いのでしょうか?
でも、信心とはそういうものではありませんよね。
(南房総の大多喜町のある地区でも、同じ理由からウナギを食べない風習があるようです)
昔ながらの様式を守って行われる「おびしゃ」、そして、「ウナギを食べない」風習など、
奈土の地は、成田でも珍しい伝統の集落です。

※ 磐裂神社 成田市奈土738
京成成田駅前よりコミュニティバス津冨浦ルート 奈土下車徒歩10分