
(不動尊像 成田山ホームページより)
お不動様の旅はまだまだ続きます。
寛朝大僧正による祈祷の効もあってか、将門の乱も治まり、天皇から寺号も賜った「新勝寺」
でしたが、時が経つにしたがって次第に人々からは忘れられて行き、荒れ果ててしまいます。
見かねた近郷の名主たちが集まり、相談の結果、お不動様を成田村の名主諸岡三郎左衛門
の屋敷内に移すことになりました。
以後、お不動様はこの場所で大切にお祀りされていました。

「成田不動尊 御遷座旧跡」の碑。
昭和41年に建立されました。

「不動の大井戸」。
三郎左衛門は、霊水が湧き出ると言われた近くの大井戸から毎朝水を汲んでお不動様に
お供えしました。
その井戸はもう埋められてしまいましたが、同じ水脈より湧出する清水を「不動の大井戸」と
名付けて今日に伝えています。
三郎左衛門は羊羹の米屋の創業者の遠縁にあたる人物で、その屋敷跡は米屋總本店の
の裏側にある、ここ「お不動様旧跡庭園」のあたりになります。
お不動様は現在の成田山の向かい側にある神明山に本堂が建立されるまで、この場所に
留まることになります。

米屋は表参道のほぼ中間点にあり、一年中参拝客がお土産を求めて来店します。


総本店の裏に工場があり、その工場敷地の中に「お不動様旧跡庭園」はあります。
案内板はあるのですが、店舗とは仕切られた工場内なので、ちょっと入りにくい感じがします。

平成4年に建立の「平成水守り不動」。
裏側に「大本山成田山新勝寺貫主 照硯 開眼」と記されています。
この庭園を守護し、「不動の大井戸」の水源を守っていただくよう願って建立したと、
米屋のホームページに書かれています。


小さな庭園ですが、いつもきれいに清掃され、手入れされています。
お不動様が諸岡家屋敷内から神明山へ遷座した年代は不明ですが、小倉 博氏の著書
「成田 寺と町まちの歴史」(聚海書林)によれば、
「遷座年代は不明だが、天文年間(一五三二~五五)に千葉郡生実の大厳寺の道誉
上人が参拝したとの記録があるので、それ以前のことと思われる。」
とあります。(参拝したのは神明山)
神明山はとても狭かったので、永禄九年(1566年)には現在の成田山の場所へ遷座した
のですが、いくら狭かったとはいえ、せっかく建立した本堂をわずか十年や十五年で放棄
してしまうとも思えません。
道誉上人は、享禄四年(1531年)に和泉国(大阪)から関東に下って修行し、帰国。
しばらくして再び関東に下った際、成田山にて21日間の断食修行を行い、天文二十年
(1551年)に大厳寺の開山となりましたから、成田山で修業した時は大厳寺開山の
前ということになります。
諸岡家の屋敷内から遷座したのは天文年間の早い時期だったと私は推測しています。
さて、もう一か所忘れてはならない場所があります。

ここは「不動尊旧跡」と呼ばれる場所です。
安政五年(1858年)、新勝寺の新本堂(現釈迦堂)が完成し、その入仏供養の行列が
ここから出発しました。
元禄十四年(1701年)の新本堂(現光明堂)の入仏供養は、前回訪ねた不動塚から
出発しましたが、その後この地が幕府直轄領となったため、約1.7キロ離れたこの地に
仮の安置所を設け、ここから出発したのが始まりです。
現在でも7月の祇園祭では、ここから神輿と稚児行列が出発して始まります。





中央に小さな祠がありました。
失礼して中を覗かせていただきました。


慶應四年(1868年)と明治4年の「永代護摩木山」と刻まれた石碑。
護摩木山とは護摩木になる杉を切りだす山のことで、山ごと寄進されるものです。


足元には京成本線、その先にはJR成田線の線路が見えています。
見えている陸協は「阿利耶(ありや)」という難解な仏教語がついた「阿利耶橋」です。

落葉の季節ですが、きれいに掃き清められていました。
新本堂の入仏供養のために、一時的に使われただけの場所ですが、
成田山新勝寺と地元の人々に大切に守られていることが分かります。
次回は神明山から薬師堂(明暦の本堂)、光明堂(元禄の本堂)、釈迦堂(安政の本堂)、
そして現在の大本堂へとお不動様の旅を追いかけます。

・・・・・・・・・

※ 「お不動様旧跡庭園」
JR・京成 成田駅から表参道を徒歩5~6分
なごみの米屋本店内を抜けて裏に出られます。
※ 「不動尊旧跡」
JR・京成 成田駅から徒歩約15分
駐車場はありません。
本で出版できますよ。
僕のブログは、いまいち中途半端です(笑)内容とともにいろいろ勉強させていただきありがとうございます\(^o^)/
楽しく読ませていただいています。 特に今回の土方歳三については、
私の好きな歴史上の人物なので興味深く、また五稜郭へ行ってみたいと
思いました。
コメントをありがとうございます。少しでも楽しんでいただければ、また書く
く気力が湧いてきます。(本文は別ファイルに保存させていただきました)
詳しいことは存じませんが、お身体が大変そうですね。無理はなさらず
気長に療養なさってください。私は東日本大震災の後、仕事で東北での
支援活動を行っている時に、過労とストレスから突発性難聴を発症し、
引退しました。引退するととたんに体のあちこちに異変が起こり、入退院
を繰り返しましたが、ブログを書くために歩くことが多くなり、少しずつ健康
を取り戻しています。何とか頑張ってブログを書くことが健康法になってい
るようです。まだあまり遠出はできませんが、いつか機会があればお会い
したいですね。