
成田山新勝寺の御本尊不動明王は、真言宗の開祖、弘法大師空海が自ら一刀三礼
(ひと彫りごとに三度礼拝する)の祈りをこめて敬刻開眼された御尊像です。
成田山では、この霊験あらたかな御本尊不動明王の御加護で、千年以上もの間、
御護摩の火を絶やすことなく、皆さまの心願成就を祈願してきました。
(成田山新勝寺ホームページより)
今回はこの成田山新勝寺のご本尊、「不動明王」が現在の大本堂に鎮座されるまでの
長い「旅」を4回にわたって追跡してみます。
天慶二年(939年)、平将門が関東で兵を挙げ、自らを新皇と称して朝廷に反旗を翻し、
関東は混乱の極みにありました。
時の朱雀天皇はこれを鎮めるべく、諸寺に調伏の祈祷を命ずるとともに、藤原忠文を
征東大将軍に任じて追討軍を向かわせ、あわせて寛朝大僧正に京の高尾山神護寺の
護摩堂にあった不動明王像を与えて、関東に入って調伏の祈祷を行うよう命じました。
寛朝大僧正(916~998)は真言宗の僧で、父は宇多天皇の皇子・敦実親王。
真言宗の僧侶としては初めて、日本では三人目の大僧正となり、洛外・広沢に遍照寺
を開いています。
寛朝大僧正は不動明王を奉持して大阪から船に乗り、房州の尾垂ヶ浜(おだれがはま)
に上陸しました。

不動明王上陸の図(成田山新勝寺ホームページより) ⇒

ここが尾垂ヶ浜(おだれがはま)です。
九十九里浜の中央よりやや銚子寄りの海岸で、横芝光町にあります。
付近には堀川浜、木戸浜、屋形、殿下等の海水浴場が並んでいますが、この浜には
ただ太平洋の波が打ち寄せるだけで、何もありません。

海岸線から100メートルほど入ったところに「成田山」の額束が懸った鳥居があります。

「成田山御本尊不動明王御上陸之地」とありますが、なにせ今から千年以上も
前のことですから、海岸線は現在よりもずっと内陸部にあったと思われます。
海上(うなかみ)、干潟、春海等の地名が、現在の海岸線よりだいぶ内陸にある
ことや、○○新田(しんでん)と付く地名が海岸近くに多くみられることからも
推測できると思います。

鳥居の傍に建つ昭和36年1月建立の「殉職碑」。
「流るる雲よ 打ち寄する波よ しばしとどまりて聴け~」と始まる碑文には、
昭和35年8月8日にこの近くの海岸で遊泳中に溺れた子供たちを救って、
自らは海中に沈んだ市原幸治郎氏を悼む言葉が記されています。

遠くに見えるのは不動明王像でしょうか?
まっすぐ続く道の両側には二十数本の桜の木が植えられています。
それぞれの木には寄進者の名前と年齢が記されていますが、寄進は昭和53年と
なっており、寄進者の年齢は85歳、81歳、78歳などと、いずれも高齢の方たちです。
失礼ながら大部分の方はすでに亡くなられているでしょうが、こうして名前の付いた
桜が毎年咲くことを想って植えられたのでしょう。
海岸近くのせいか、30年以上の樹齢のわりには成長が遅いようですが、来年も
きっとささやかながら綺麗な桜並木を見せてくれると思います。


不動明王像です。
10メートルはあるでしょうか。
台座には「浪切不動尊」と記されています。
首をやや右に傾け、左眉を吊り上げて、海の方角を睨んでいます。

「成田山御本尊 不動明王 御上陸之地」と記された石碑は、昭和38年に建立され、
「大本山成田山貫主 大僧正照定 謹書」とありました。
現在の橋本照稔貫首の3代前、第18世の貫首です。

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ここから見える海には、ただ水平線が広がっています。
寛朝大僧正はなぜこの海岸に上陸したのでしょう?
現在とは違う地形だったのでしょうか、それとも、“たまたま”だったのでしょうか?

「成田山御本尊 御上陸記念碑」の裏には、この場所を整備するために寄付をした
人たちの名前がびっしりと記されています。

海に向かって降りてみます。
この海岸はウミガメの産卵地であり、コアジサシの営巣地でもあるようで、車やバイクの
乗り入れが規制されています。
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看板のそばを、注意を無視した車輪の跡が・・・
残念ながら心無い人たちはどこにでもいます。

はるかに見えるのは日本のドーバー・屏風ヶ浦です。



上陸の時もこんな穏やかな海と、砂浜の景色だったのでしょうか?

この地に上陸した不動明王はいよいよ将門の乱を鎮めるため、内陸に向かいます。
次回からは幾多の変遷を経て現在の成田山に鎮座されるまでの足跡を追います。

※ 尾垂ヶ浜 横芝光町尾垂
JR横芝駅より循環ひかり号バス 尾垂浜下車徒歩5分
(1日3本程度しかありませんので車をおすすめします)
次回以降も楽しみにしています!
いつもコメントをいただき、ありがとうございます。
平将門についてはその評価に諸説があり、一方的に逆賊扱いするのは
間違いかもしれません。成田から北方、特に茨城方面の将門に何らかの
縁がある人たちは、今でも絶対に成田山にはお参りしないそうです。
成田山には大本堂の他にも大本堂裏の築山、平和大塔の中などに不動明王像があり、
大日如来像も三重塔内や大本堂の回廊にある裏仏などにあります。
ゆっくり回るとあっという間に時間が経ってしまいます。