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このブログでは、引用する著作物や碑文の文章について、漢字や文法的に疑問がある部分があっても、そのまま記載しています。また、大正以前の年号については、漢数字でカッコ内に西暦を記すことにしています。 なお、神社仏閣に関する記事中には、用語等の間違いがあると思います。研究者ではない素人故の間違いと笑って済ませていただきたいのですが、できればご指摘いただけると助かります。また、コメントも遠慮なくいただきたいと思います。

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Author:sausalito
成田は新しいものと旧いものが入り混じる魅力的な街。歴史を秘めた神社やお寺。遠い昔から刻まれてきた人々の暮らし。そして世界中の航空機が離着陸する国際空港。そんな成田とその近郊を、流れる風になって気の向くままに綴ります。

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時の彼方の姫と牛、「摩尼珠山松虫寺」(2)
前回の「松虫寺」の続きです。
今回は松虫姫を中心に紹介します。

松虫寺ー25
松虫寺ー24
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松虫寺ー26
松虫寺ー63
          
松虫寺の本堂の左奥には「松虫姫神社」があります。
こじんまりした神社ですが、鮮やかな色彩の装飾が施されています。


松虫寺ー20
松虫寺ー19

奥まった場所に「松虫皇女之御廟」があります。
石柱には文化九年(1812年)と記され、石柵の中には杉の大木の根元に積まれた
いくつかの岩に埋もれて、種字の書かれた板碑が1基立っています。


松虫寺ー21

傍らにある明治24年に建てられた「松虫姫碑」。

松蟲姫者盖貴人子也有故畧譜系唯存古稱矣天
平某年齢十四不幸有疾醫薬無効適有所夢因自
請遠至此地日夜祈七佛薬師而得瘉後留住似寶
亀五年二月十五日終焉墓而不墳有奮株是其表
也於是里民或恐後世其無以徴也乃相共謀遂樹
此碑以不朽之

と読みましたが、誤読があるかも知れません。

病が癒えて京に戻るところまでは前回に紹介しました。
その後の松虫姫について調べると、概略次のようになります。

松虫姫とは通称で、伝説の物語のころは不破内親王(ふわないしんのう)と呼ばれる
聖武天皇の皇女でした。
病が癒えた内親王は、やがて天武天皇の孫にあたる塩焼王と結婚します。
天平宝字八年(764年)には、夫の塩焼王が藤原仲麻呂の乱に加わって殺害されて
しまいますが、内親王とその息子の氷上志計志麻呂はなんとか死を免れました。
神護景雲三年(769年)、時の称徳天皇を呪詛して息子の志計志麻呂を皇位につけよう
としたと疑われ、内親王の身分を剥奪されたうえ、厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ)と
改名させられ、平城京内に住むことを禁じられてしまいます。
息子の志計志麻呂は土佐に流刑となってしまいました。
3年後の宝亀三年に、呪詛は冤罪であったことが判明し、内親王に復帰しましたが、
今度は延暦元年(782年)にもう一人の息子、氷上川継が謀反を起こそうとしたと疑われて
伊豆に流刑となり、内親王も淡路国に流されてしまいます。
その後、延暦十四年(795年)に和泉国に移されるなどしましたが、その後の消息は
定かではありません。

病のことと言い、その後の波乱の人生は、姫を悲運の人として語り継がれることとなります。


松虫寺ー27

松虫姫神社の参道脇には沢山の石仏が並んでいます。

松虫寺ー28
松虫寺ー65

嘉永元年(1848年)のこの仏様は、はじめは「馬頭観音」だと思いましたが、
中央の二手が馬頭観音に特有の「根本馬口印」(こんぽんばこういん)を
結んでいないので、ちょっと自信がありませんでした。

どうしても気になって後日もう一度確認のため訪れました。
頭上にあるのは馬の顔ではなく、獅子のような気がするからです。
と、すると、これは「愛染明王」ということになります。
左手に持っているのは金剛鈴に見えてきました。
どうやら「愛染明王」が正解のようです。


松虫寺ー29

出羽三山の名を記したこの石碑には、智剣印を結んだ大日如来が刻まれています。

・・・  「金比羅権現」・・・・・松虫寺ー30



松虫寺ー42
松虫寺ー60

寺を後にしようとした時、境内右手の奥の方に気になる建物を見つけました。
目を凝らして見ると「松虫姫霊」と書かれた扁額がかかっています。
門には太い竹竿が掛けられていて、人が中に入ることを拒否していますので、内部は
分かりませんが、姫にまつわる品々が収められているのでしょうか。


さて、ここで松虫姫が都に帰った後に、残されてしまった牛についても触れたいと思います。

松虫寺ー52

松虫寺、松虫姫神社から少し離れた場所に、「牛むぐり池」はありました。
寂しさと悲しさのあまり牛が身を投げた池です。
今はすっかり整備された調整池になっていて、過日の面影はありません。


松虫寺ー51
松虫寺ー53
松虫寺ー67

この辺りは千葉ニュータウンの外れ、池の向こうには西洋の城のような北総線の
「印旛日本医大駅」が見えています。
印旛日本医大駅には「松虫姫」という副駅名が付いています。


松虫寺ー54
松虫寺ー56

「牛むぐり池」の周りは広大な公園になっています。
その一角に松虫姫と牛のモニュメントがありました。
「印旛の地と松虫姫伝説」と題されたこのモニュメントは、鈴木典生氏の作品で、
平成15年にここに設置されました。


松虫寺ー57

悲しくも哀れな物語を知ってか知らずか、子供たちが元気に走り回っています。

私は松虫姫の物語より、なぜかこの牛に気持ちを移入してしまいます。
なにか哀れでしかたありません。

もう一度神社に戻り、姫とともに牛にも手を合わせました。

松虫寺ー35

松虫寺ー66

松虫寺は周辺の開発が進む中、細道の奥で、静かに伝説を抱えて建っています。


松虫寺ー58


              ※ 松虫寺  印西市松虫 7
                 北総線 印旛日本医大(松虫姫)駅 徒歩25分



テーマ:千葉県 - ジャンル:地域情報

印西市の寺社 | 08:04:17 | トラックバック(0) | コメント(4)
コメント
こんばんは。

楽しく読ませていただきました。
よく調べられていますね。

当時、らい病?でこんなところまでやってきたのかとも思いますが、
どこか本当の話であったのかもしれないと感じさせてくれる話ですね。
2014-11-24 月 20:30:51 | URL | Roman [編集]
Roman 様
伝説には必ず何らかの事実が含まれていると思っています。
大部分は後から付けたフィクションであっても、ひとかけらの
事実があれば、私はロマンとして受け入れても良いのではないか
と考えます。 その方が楽しいですよね。
2014-11-24 月 20:46:43 | URL | sausalito [編集]
愛染明王像
 病と流離いの込められた伝承は、心を打ちます。
 このようなお姿をした愛染明王像は珍しいですね。私の町では染色にたずさる集団がおまつりをしていました。そのような背景があるのでしょうか?
2014-12-01 月 10:57:56 | URL | 野火止用水 [編集]
藍染明王
野火止用水 様
愛染の愛を藍に置き換えて、「藍染(あいぞめ)明王」と読み、染物職人の
守護仏として信仰することもあるようです。
2014-12-01 月 15:46:16 | URL | sausalito [編集]
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